第20戦:天正家源氏物語の件について

1.

 日付が変わろうとしている、深夜遅く。


 ガチャンッ――と甲高い音が、小さいながらも家内中へと響き渡る。続いてリビングの扉が開き、

「天羽さん、おかえりなさい」


「藤助。まだ起きていたのか?」


「はい、その。色々やってたら、こんな時間になっちゃって……」



 藤助はアイロンの電源を切ると立ち上がり、すぐに台所へと向かう。



「夕食、まだですよね? 温めますね」


「ああ、済まないな」


「いえ、このくらい」



 藤助は右へ、左へ、忙しなく狭いその中を動き回り。天羽の前に、次々と料理を並べていく。そして、最後に、

「お水です」

と、天羽の目を真っ直ぐに見つめながら。彼の手元近くへと置いた。


 全てが並べ終えられたことを確認してから、天羽は一口、グラスに口を付け。それから箸を手に持った。



「藤助。その、今朝の話の続きだが、詐欺の電話だったと言っていたが、相手の男とはどんな話をしたんだ?」


「え、どんなって、特には。ただしつこく名前を聞かれて、それで。でも、なんだか変わった人で……。

 いや、詐欺をしようとしている時点で変わっているんでしょうけど。でも、急に和歌なんか詠んで、本当におかしな人で」


「和歌だって?」


「はい。なんでも源氏物語の中に出て来る和歌らしくて。菖蒲が言うには、光源氏が藤壺の宮とか言う人に詠んだ歌だそうです」


「藤壺の宮に? そうか……」



「アイツらしい皮肉だな」と、空気混じりに。そう呟くと、天羽はカツンと甲高い音を立てて箸を置く。


 それから組ませた手の上に、額を預けるようにして置き、

「そうだな。お前が物語通り似ていなかったことが、私にとって唯一の、……救いだったのかもしれないな」


「え……? 天羽さ……」



 天羽は不意に頭を上げ、虚ろな瞳をそのままに。唇を、ゆっくりと動かす。



「――お前にだけは……」



 だが、最後まで言い切る前に。天羽の頭は大きく揺れ、――刹那、がしゃんと甲高い音が室内中へと鳴り響く。


 テーブルの上から箸が転げ落ち。お椀は傾いて、小さな湖が広がっていく。


 その光景に、藤助は生唾を呑み込ませ、

「天羽さん……?」



「天羽さん」と、もう一度。呼びかけるが、聞こえて来るのは小さな寝息ばかりだ。彼の呼びかけに、答えることはない。


 その整った息遣いを耳に、無意味だと分かっていながらも。藤助は震える口先で、縋り付くみたいに繰り返させた。

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