8.
「それでは、早速稽古に移るとしよう。菊くん。特に君は、しっかりと教えてもらうといい」
「あの、石浜先輩。先輩は部長ではなく、元部長だと思うのですが。それに、先日引退したはずですよね?」
「なに。君のためなら、私は協力を惜しまなくてね。ほら、木刀だ」
菊の嫌味をさらりと躱し。石浜は菊の手に半ば無理矢理木刀を握らせるが、菊の顔色が変わることはない。
「余計なお気遣い、ありがとうございます」
と、一抹も心の籠っていない声音で、菊はいつの間にか肩に回されていた手をぺちんと叩く。
そんな彼等の様子を前に、竹郎は紅葉の耳元に顔を寄せる。
「あのさ、甲斐さん。石浜先輩って、いつもあんな感じなの?」
「そうですね。いつもあんな感じですけど、ここ最近は一段とですかね。部長ももう少しで卒業なので、それまでにと考えているんだと思います」
「そうだなあ。三年生が卒業するまで、あと半年もないもんな」
「菊ちゃんは部長のことを煙たがっていますが、引退した先輩が顔を出してくださるのは、部としてはありがたいですから。私達は一向に構わないんですけどね」
懲りずにまた手を叩かれている石浜に、紅葉はくすりと小さく苦笑する。
「やれやれ、相変わらず手厳しい。そうだな。菊くんは、マンツーマンで指導してもらうといいだろう。ここはやはり兄である……」
ちらりと、石浜は牡丹の方に視線を向けるが、ふと隣の人物の姿が目に入る。
「おや、君はミスター黒章。そうか、君も剣道部だったのか」
「いえ、コイツは違います。よく分かないけど、勝手に付いて来ただけです」
「なんだよ、別にいいだろう。俺の方が牡丹より余程役に立てるんだ」
「ふうん、成程。そうだな、私も一向に構わないよ。指導者が多い方が、こちらにとってはいいからな。それに、君とは一度、きちんと話をしてみたかったことだし」
「はあ? 話って……」
何を言っているんだと、萩は猜疑の瞳を浮かばせる。
が。
「紅葉くんも。そんな後ろにいないで、もっと前に来るといい」
「は、はい」
「なっ!? あの気障先輩……!」
(牡丹の妹だけじゃなく、紅葉さんにまで手を出すつもりか……!)
紅葉の肩に回された石浜の手を、萩はじとりと睨み付けながら、
「そうですね、先輩。ぜひ話し合いましょう! できれば刀で!」
「話が早くて助かるよ。私もそうしたいと思っていてね」
すんなりと意見が一致すると、両者は同時に木刀を掴み取る。
(この私からミスター黒章の座を奪った屈辱、ここで晴らしてやる……!)
(紅葉さんにまで手を出すなんて、そんなの、絶対に許すまじ……!)
カン、コンと、鈍い音が響き渡る中。
「へえ。足利、なかなかやるじゃないか。でも、あれ、ただのチャンバラごっこになってないか? 殺陣の稽古はどうしたんだろう。少し話し合えば、互いの利害の一致さに気付けるのにな」
無益な争いに、竹郎は呆れ顔を浮かばせる。
数時間後――……。
「先輩、なかなかやりますね」
「そういう君こそ。骨があってやり甲斐があるよ……」
休むことなく動き続け。萩と石浜は息を切れ切れに、それでも憎まれ口を止めることはない。
けれど、紅葉が遠慮がちに、石浜の方へと寄って行き、
「あの、石浜部長。そろそろ下校時刻ですが」
と、忠告する。
「っと、もうこんな時間か。今日の稽古は、ここまでだな。
やれやれ。私としたことが、すっかり熱くなってしまったようだ。菊くん、もう辺りも暗い。危ないから家まで送ろう……って、菊くん?」
きょろきょろと左右を見渡す石浜に、紅葉はまたしても言い辛そうに、
「部長、菊ちゃんならもう帰りましたけど……」
と、またしても忠告する。
「ははっ。牡丹ってば、相変わらず嫌われてるなー。ここにいる間だって、ずっと天正菊に無視されていたしな」
「うるさいな、ほっとけよ」
「なにっ、菊くんに嫌われているだと――!?
それは困る。君には私と菊くんとの仲を取り持ってもらわないとならないのに」
がしりと肩を掴み、激しく揺さ振って来る石浜に、牡丹はただ困惑顔を浮かばせる。
(ったく、菊のやつ。こんな厄介そうな人を置いて一人で先に帰るなんて。)
「君には私の将来がかかっているんだ!」
と、しつこい石浜の手から。どうやって逃げようかと、牡丹は無駄に頭を悩ませるばかりであった。
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