第18戦:三男に果たし状が送り付けられた件について

1.

 日は昇り、世界が明るく照らされている中。


 それでも未だ布に包まり、夢心地に浸っている牡丹。だが、ふと頬に感じるくすぐったい感触に、自然と目蓋を開かせていく。


 すると、直ぐ目の前には、大きな漆黒色の瞳がこちらを覗き込んでいた。鼻先まで迫っていた満月に、牡丹はつい素っ頓狂な音を上げる。


 満月は、いつまでも牡丹の胸の上に我が物顔で座り込んでいる。そんな彼女を、牡丹はひょいと持ち上げて、

「満月。お前、見かけに依らず結構重たいんだな」

 刹那。満月は爪を鋭かせ、そして。

 次の瞬間、

「いってえーっ!??」

と、盛大な悲鳴が家内中へと響き渡った。


 その音を聞き付けてか、とたとたと軽快な足音が外から鳴り出し、ひょいと扉の隙間から芒が顔を出した。



「牡丹お兄ちゃん、どうしたの? 大声なんて出して」


「どうしたもこうしたも、満月に引っ掻かれたんだよ。

 おい、何をするんだよ……って、うわっ、危なっ。また引っ掻こうとしたな、この!」


「駄目だよ、牡丹お兄ちゃん。元はと言えば、牡丹お兄ちゃんが満月のことをいじめるからでしょう?」


「いじめてなんかいないぞ」


「嘘だー。何にもされてないのに、満月がそんなことする訳ないもん。

 ねっ、満月」


「本当だって。ちょっと持ち上げただけだ。なのに、いきなり満月が引っ掻いてきたんだ。

 お前は重たいだけじゃなく、凶暴だなんて。まるでどこかの誰かさんみたいだな」



 どこかの誰かさんを頭の中で思い描きながら。牡丹がそう言うと、満月はまたしても小さな手を振り始める。


 そんな満月を芒は咎めると、

「やっぱり。牡丹お兄ちゃんがいけないんだよ。満月に、『重たい』って言ったんでしょう?」


「え? ああ。確かにそんなこと、言ったような……」


「もう、満月は女の子なんだよ。重たいなんて言われたから、満月は怒ったんだ。お兄ちゃん、満月に謝って」


「でも……」


「謝って!」



「謝って」と繰り返しながら、芒はぐいと、満月を牡丹の鼻先へと突き付ける。


 円らな瞳に見つめ……、いや、睨み付けられ。今にもまた引っ掻いてきそうな満月を前に、牡丹は渋々ながらも、

「うっ……。分かったよ、謝ればいいんだろう、謝れば」

 そう言うと、

「その、重いなんて言ってごめんな」

と謝る。



「だって、満月。うん、うん。そっかあ。

 あのね、満月がお兄ちゃんのこと、許してあげるって。そしたら今度は満月も。引っ掻いちゃったんだから、ちゃんとお兄ちゃんに謝ろうね」



「ごめんなさい」という芒の声に合わせ、満月は不服そうながらも頭を下げる。


 だけど、果たして本当に反省しているのだろうかと。牡丹は疑問を抱かずにはいられない。


 が。



「なんて、狸相手に怒っても仕方がないか。さてと。ご飯も食べたし」



 そろそろ学校に行くかと牡丹はリビングを出ようとすると、足元を満月が通り過ぎて行く。


 一日中ごろごろしていられるなんて羨ましいと。ついくだらないことを考えていると、ぽとりと乾いた音が耳を掠めた。



「ん……? おい、満月。何か落としたぞ」



 牡丹は腰を屈めて拾ってやるが、直後、自然と目は見開いていく。ぷるぷると、手までが勝手に震え出す始末だ。



「こ、これは……!」



(これは、おそらく菊の――。)



 その続きを声に出す手前。背中越しに、異様な殺気を牡丹は感じる。


 おそるおそる振り返ると、そこには案の定、まるでゴミでも見るかのような表情させた妹の姿があった。



「部屋に干していたものがなくなっていると思ったら……。

 やっぱりアンタが犯人だったのね、この変態!」


「やっぱりって、違う、俺じゃない! 満月だよ、満月。満月が落として行ったんだよ!」



 牡丹は必死になって否定するが、菊の耳に届くはずがない。刹那、ばっちーん! と甲高い音が、部屋の隅々にまで浸透していく。



「いっつう……。おい、何するんだよ!」


「狸のせいにするなんて、最低!」


「だから、本当に俺じゃないんだってば!」


「いい加減認めなさいよ。狸が下着なんて欲しがる訳ないじゃない。白々しい!」



 いくら弁解をした所で、菊が素直に聞き入れてくれる訳がない。だが、今回ばかりは無実であるため、簡単に折れる訳にはいかないと。牡丹は必死になって攻防する。


 すると、騒ぎを聞き付けた藤助が間へと入り込み、

「ちょっと。二人して、どうしたんだよ。大声なんて出して」


「この変態が私の下着を盗んだのに、狸のせいにするから」


「牡丹がそんなことする訳ないだろう。どうせ満月の仕業だって。満月、せっかく畳んだ洗濯物とか散らかして遊んでいるから」


「藤助兄さん……!」


「よし、よし。牡丹はそんなことしないもんな。

 あーあ、見事に腫れてるよ。すぐに冷やさないと」


「変態の言うことを信じるなんて。兄さんの馬鹿!」


「馬鹿って……。菊、下を見てごらん」



 藤助の言う通り牡丹も揃って下を向くと、床に落としっ放しだった菊の下着を弄っている満月の姿が目に入る。


 丁度そこに、ランドセルを背負った芒が通りかかり、

「お兄ちゃん。僕、もう学校に行くね」


「あっ、芒。その前に、満月をゲージの中に入れて欲しいんだけど。それから、菊の下着の回収も」


「菊お姉ちゃんの? あっ、本当だ。駄目だよ、満月。これはお姉ちゃんのなんだから、盗ったりしたら。

 そっか。お姉ちゃんのパンツ、リボンやレースが付いてて可愛いから。満月もお洒落がしたかったんだね」



 芒は納得すると、またしても謝ろうねと。満月は菊に向かって頭を下げた。



「おい。菊も俺に何か言うことがあるだろう」


「……なによ。普段から疑われるような行いばかりしてる、アンタが悪いんじゃない」


「なっ……」



(この女は、本当に……!)



 謝る所か開き直り、ふんとそっぽを向く菊に、牡丹は拳を強く握り締める。けれど、それをどうすることもできない。


 たとえ住人が増えた所で、相変わらずな妹の態度に。この先、彼女が自分に対して素直になる日など果たして来るのだろうかと。


 そんな全く想像もできない未来に、牡丹は藤助が用意してくれた氷で痛む頬を冷やしながらも、淡い期待しか持つことができなかった。

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