11.

「まさか、幽霊の正体が狸だったなんて」


「納得というか、拍子抜けというか」



 山の中から無事生還し。旅館に戻って来るなり、芒の腕の中に納まっている狸を眺めながら。歩き回った疲れもあってか、牡丹並びに天正家一同は、揃って深い息を吐き出させる。


 その傍らから、ひょいと紅葉が顔を出し、

「でも、本当に良かった。芒ちゃんが見つかって。急にいなくなっちゃったから、びっくりしちゃった」


「ごめんなさい。あのね、部屋に戻ったら、この子が藤助お兄ちゃんの鞄を漁ってて。それで時計を銜えて逃げちゃったから、追いかけてたの。

 ほら、ちゃんとお兄ちゃんに謝ろうね」



 そう芒が狸に話しかけると、狸は藤助の方を向き。芒の、「ごめんなさい」という声に合わせて、ぺこりと頭を下げた。


 その光景に、藤助は口元を苦ませる。



「ははっ。まさか、狸に謝られる日が来るなんて」


「それにしても、狸なんて初めて見ましたよ。随分と芒に懐いているんだな」



 牡丹がその頭を撫でようと手を伸ばすが、瞬間、狸の口ががばっと開いた。牡丹の手に噛み付こうとしたのを、牡丹は寸での所でどうにか躱した。



「うわっ、びっくりしたあ」


「駄目だよ、牡丹お兄ちゃん。この子、とっても怖がりなんだから。

 よし、よし、大丈夫だよ。牡丹お兄ちゃんは、悪い人じゃないからね」


「なんだよ。俺は悪人かよ」


「まあ、まあ。野生の狸だから仕方ないよ。人間にはきっと不慣れなんだ。

 あっ、そう言えば。桜文、早く消毒しないと」


「消毒って、何かあったんですか?」


「それがコイツ、熊と闘ったんだってさ。馬鹿だよなあ。引っ掻き傷くらいで済むなんて、さすがだよ」


「ええっ!? 熊って、本当に大丈夫なんですか?」


「うん。これくらい平気、平気」



 驚きを隠し切れないでいる紅葉に、傷口を見せながら笑ってみせる桜文であったが、しかし。突然その箇所に、ただならぬ痛みが迸る。


 ふいと顔を下に向けると、そこには仏頂面を引っ提げた菊の姿があった。



「……嘘吐き。本当は痛い癖に」


「えっと。そんなに強く叩かれたら、さすがに……」



 桜文が最後まで言い切る前に、菊はまたしても強く叩いた。再び襲ってきた痛みに、桜文は悶絶しながら顔を歪ませる。


 そんな桜文を余所に、菊はその手首を掴むと引っ張り出し。ずるずると、そのままロビーへと連れて行く。



「救急箱、借りて来たから」



 手短にそれだけ言うと菊はピンセットで脱脂綿を摘まみ、どばっと消毒液を漬ける。それを傷口へと当てていくが、その度に桜文は軽く目を瞑る。


 けれど、意を決すると、おそるおそる、口を開かせていき、

「あの、菊さん。できたらもう少し優しく……」

 して欲しい。そう続けようとしたが、反対に菊は眉間に皺を寄せ、緩める所か反って力を込めて押し付ける。その圧力により、アルコールは一層と傷口へと滲み込み。更なる刺激に、桜文は薄らと目の端に涙を浮かばせた。


 桜文はそれを指の腹で軽く払い、

「あのさ。俺の気のせいかもしれないけど、その……。もしかして、怒ってる?」

 こてんと首を傾げさせる桜文に、菊はすっと目を細めさせて、

「別に。ただ熊と闘うなんて馬鹿だと思ってるだけ」


「馬鹿って、そうはっきり言われちゃうとなあ……」



 返す言葉もないと桜文は、へにょりと太い眉を八の字に寄せる。


 つんとそっぽを向く菊を前に、一寸考え込むが、がさごそと袖の中を漁り出し、そして。


「菊さん、はい」

 何やら手に掴むと、それを菊の顔目がけて突き出した。


 突然、口を襲った柔らかな感触に、菊はぱちぱちと数回瞬きを繰り返し、

「……なに、これ」


「なにって、お団子。できたらこれで許してもらいたいんだけど、駄目かな?

 さっき一緒に風呂に入ってた、お爺さん達にもらったんだ。けど、これしかないから」



「みんなには内緒だよ」と、桜文は続けさせる。一方で菊はもぐもぐと、小さく口を動かす。


 それから、ごくんと喉奥へと飲み込ませると、

「温泉饅頭」


「え?」


「温泉饅頭も食べたい」



 ちらりと、菊の視線の先を辿り、売店が目に入ると、桜文は納得顔で頷いて、

「……ああ、いいよ」

 そう朗らかに続けさせると、菊は小さく頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る