5.

「さっきの兄ちゃん、これ、風呂場に忘れていったよ」


「あっ、俺のタオルだ。これは、これは。わざわざありがとうございます」


「なあに、このくらい。それより兄ちゃん、本当に大丈夫かい?」


「はい、これくらい。大丈夫れすよー」


「そうかい? あんまりそうは見えないけど……」



 けらけらと軽い笑声を上げている桜文とは裏腹、タオルを届けに来たお爺さんは困惑した表情をしている。


 そんな二人の間に、梅吉がひょいと入り込み、

「あの、済みません。コイツ、一体何を……」

 そう訊ねると、

「いやあ、それがこの兄ちゃん、甘酒で酔っ払っちゃってさー」

という答えが返ってきた。



「甘酒って……」


「まさか、こんなに酒に弱いなんて思わなかったからさあ。それに、訊いたらまだ高校生だって言うじゃないか。てっきり成人しているものだとばかり思っていたからなあ」



「すまないねえ」と、もう一度。お爺さんは頭を下げると、ひっそりとその場を後にする。


 その背中を見送ると、梅吉は乾いた息を吐き出した。



「まさか酔っていたとは。道理で顔が赤い訳だよ」


「あの。桜文兄さん、大丈夫なんですか? 相当酔ってるみたいですけど。

 でも、甘酒でここまで酔えるものですかね」


「コイツ、滅茶苦茶アルコールに弱いんだよ。ウイスキーボンボンで酔うくらいだが、甘酒程度でも駄目だったとは。全く、仕方ないな。

 おい、桜文。酔いが醒めるまで、おとなしくしていろよ」


「なあに、このくらい平気だって。さあ、試合、試合!」


「平気って、本当に大丈夫なのか?」


「ああ。大丈夫、大丈夫!」



 そう言い張ると桜文は、なぜか近場にいた牡丹の着ている浴衣の襟と袖をそれぞれの手で掴み取り。



「へ……?」



 咄嗟の事態に、間抜けな声を漏らすことしかできなかった牡丹をそのまま背負い、そして、肩越しに大きく振り下ろした。


 けれど、その最中。桜文が不注意にも手を離してしまい。牡丹は本来の軌道から大きく外れ、下ではなく、真横へと大きく吹き飛んだ。



「わーっ、ストップ、ストップ! この馬鹿、どこが大丈夫なんだよ!? 試合と言っても、柔道じゃねえよ。卓球だ、卓球。ったく、牡丹のこと思い切り投げ飛ばしやがって。

 おーい、牡丹。生きてるかーって……」



 ぽかんと一発桜文の頭を叩くと、梅吉は周りの人間同様、埃の舞い上がっている方へと視線を向ける。


 が。


 その先の光景に、やはり周りと同じく呆気に取られ。まるで時間が止まったみたいに、その場の動きはぴたりと綺麗に静止する。


 けれど、いち早く復活した牡丹は下敷きにしてしまっている紅葉から――彼女の頬からゆっくりと自身の唇を離していき……。



「あ……、紅葉、ごめん……」


「い、いえ、私なら大丈夫です。あの、その、えっと、えっと……」



 紅葉は一瞬の内に、顔中真っ赤に染め、一際熱の残っている頬に手を添える。


 部屋中の視線が集まっている中、紅葉はぽーっと一人別世界へとトリップする。



(どうしよう。頬だけど牡丹さんに、ききき、キスされちゃった……!)



 これもあのお守りの効果なのかしらと思いを馳せる彼女の後ろでは、ばきんっ! と甲高い音が発せられる。その音の出所である萩の手には、グリップの折れたラケットが握られていた。


 それを放り投げると、萩は卓球台を天に向かって持ち上げる。



「牡丹、てめえ。どさくさに紛れて、よくも紅葉さんにっ……!!」


「わーっ!?? 萩くん、落ち着いて!」


「熱湯消毒だ、熱湯消毒! 今すぐ紅葉さんの頬に、熱湯消毒をっ……!」


「だから萩くん、少しは落ち着いて。取り敢えず、卓球台から手を離して……!」



 今にも牡丹目がけて卓球台を放り投げようとしている萩をどうにか止めようと、藤助は、必死になって奮闘する。


 すっかり騒がしくなってしまっている中、梅吉は、

「熱湯消毒なんかしたら、紅葉ちゃん、火傷しちゃうぞ」

と。冷静にも注意を促した。

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