3.

 せっかくの家族旅行も、部屋の事情により一変し。


 なんだか波乱の空気が流れている中、宿自慢の温泉に浸かっている紅葉は、けれど鬱蒼とした顔をしている。



「ねえ、菊ちゃん。私達の部屋、それなりに広いじゃない? だからね、その……。さすがに全員は無理だけど、あと何人かは寝られると思うの」


「確かにそうね。けど、一体何が言いたいのよ?」


「だからね、私達の部屋に……」



 もじもじと、頬を赤らめながら。紅葉が続きを口にしようとするが、その前に。


「絶対に嫌」

と、彼女の先を読んだ菊が、きっぱりと反論を述べる。



「でも、藤助さんが可哀想だし、それに、牡丹さんだって……」


「なに。もしかしてアンタ、アイツと一緒に寝たいの?」



 じとりとした瞳で見つめてくる菊に、紅葉はますます頬を紅潮させる。



「菊ちゃん!?? 違うもん、そうじゃなくて。もしも本当に幽霊が出たらって、そう思うと」


「アンタまで、何を馬鹿なことを言ってるのよ。幽霊なんている訳ないじゃない」


「でも……」



 しゅんと頭を垂れる紅葉に、菊は最早呆れたとばかり。乾いた息を吐き出す。


 それでもまだ何か述べようとする彼女に、聞く余地もないとばかり。菊はもう一度、一拍の間を置くことなく。ぴしゃりと強く言い放った。




✳︎




 一方、男風呂の方はと言えば。


「なあ、藤助。いい加減、機嫌直せよー」

と、ただならぬオーラの放たれている背中に向け、梅吉は飄々とした声をかける。


 けれど、その先の人物の表情は、良くなる所か悪化する一方だ。



「梅吉の馬鹿。芒だっているのに、あんな部屋を選ぶなんて」


「だって、あまりの安さについ。それに、スリルがあって面白いかなと思って」


「ただの家族旅行に、そんなスリル求めないでよ!」



「信じられない!」と、藤助は顔を真っ赤に染め、一際強く言い返す。


 そんな兄達の様子を、牡丹は遠目に眺めている。



「藤助兄さんの機嫌、まだ直らないのか。本当、梅吉兄さんには困ったものだよ。

 そう言えば、菖蒲は知ってたのか? あの部屋の事情を」


「きちんと説明はされませんでしたが、大方こんなことだろうとは思っていました」



 やはり菖蒲は、淡々とした調子で述べる。


 彼等の遣り取りに、相変わらずだと。旅先でも代わり映えしない我が家の様子に、あまり遠出している気分にならないと。牡丹は自然とそう思わされる。



「それで、部屋を荒らしている犯人だけど……。菖蒲は本当に幽霊の仕業だと思ってるのか?」


「そうですね。僕は今まで一度もそういった心霊現象を体験したことがないので、どちらかと言えば信じてはいません。しかし、そうでないと断言するのも早急かと思われます。それに、夜になれば分かることですから」



 至って冷静な姿勢を維持させたままの菖蒲に、それもそうだと。いつまでも杞憂に浸っていても、仕方ないかと。


 牡丹は割り切ると、ぽちゃんと湯船に肩まで体を浸からせる。



「お兄ちゃん。僕、もう出るね」


「それなら俺も出るよ」


「おい、藤助。いい加減、芒を離してやれ。いくら怖いからってなあ」


「だってえ……」


「それでは、僕も先に失礼します」


「そうだなあ。俺も、そろそろ出よっと」



 芒を発端に、牡丹達は揃って湯船から上がると、ぞろぞろと連れ立ってその場を後にする。


 未だ湯に浸かっている梅吉は、

「なんだよ、揃いも揃って。せっかくの温泉なんだから、もっと堪能すればいいのに」


「もったいねえなあ」と、口を小さく尖らせながら、黙ってその背中を見送った。


 梅吉同様、取り残された萩も、そちらに視線をやっていたが。



(なんで俺が牡丹とその兄貴達と、一緒に旅行なんかと思っていたが。でも、特別に目を瞑ってやるか。

 なんせ、この壁の向こうには……。)



 ちらりと、萩は男湯と女湯とを区切っている柵に目をやり。



「『ああっ。この壁の向こうには、一糸まとわぬ紅葉さんが……!』なーんて、やらしい妄想でもしてるのかなあ? 牡丹達とは違って、萩はお年頃だなあ」



 突然、脳内の声と同調するよう。下卑た声のした方に視線を向けると、いつの間にかすぐ横には、にやにやと気味の悪い笑みを浮かばせている梅吉の顔があった。



「いやあ、若いっていいなあ。うん、うん、羨ましいねえ」


「げっ、牡丹の兄貴。あの、勝手な想像は止めて下さい。誰がそんなこと……」


「ふうん。お前、なかなか良い体してるじゃないか。何か運動でもしてたのか?」


「ちょっと、ベタベタ触らないで下さいよ」


「なんだよ。男同士、気にすることないだろう?」


「そういう問題じゃなくて。それとも、そういう趣味でもあるんですか?」


「まさか。俺だって、触るなら女の子の方が良いよ」



 梅吉は、嫌がっている萩をさらりと躱し。いつものマイペースさで、彼を翻弄し始める。


 そんな中、萩はじとりと目を細めさせるが、その視線の先の人物は、全く気にしている様子もない。



「なんだよ、その目は」


「いえ、別に。紅葉さんを出汁に、俺までこんな辺鄙な所に連れて来て。一体どういうつもりなのかと思って」


「なんだよ、まるで俺が何か企んでいるみたいな言い方をして。心外だなあ。可愛い弟の元・義理の弟と、純粋に親睦を深めようとしているだけじゃないか。

 お前とは一度、腹を割って話してみたいと思っていてな」


「ああ? 話って……」


「そうだなあ。正確に言えば、取り引きかな」



 やはり、胡散臭いと。にたりと怪しげな笑みを唇に乗せている梅吉に、どうしたものかと。


 萩は体全体を巡っている熱を気にかける余裕もなく、怪訝な面を浮かばせた。

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