2.

「ねえ、梅吉。なんだよ、今の会話は。あの仲居さん、責任がどうとか言っていたけど」


「ん、ああ。いやあ、この部屋、出るんだってさ」


「出るって、何が?」


「おい、おい。旅館で出ると言えば、そんなの一つしかないだろう」



 やはり梅吉は、けろりとした顔のまま。一向に、飄々とした様子だ。


 そんな彼を前にして、藤助は顔を蒼くさせると生唾を呑み込ませ、

「えっと、それって、まさか……」


「だから、ゆうれ……」



「い」と、梅吉が最後まで言い切る前に。藤助の口から、「ギャーッ!!?」と、盛大な悲鳴が発せられる。


 誰もがその音に耳を塞ぐ中、藤助の顔色はますます青くなる。



「なななっ、なんでそんな部屋にしたんだよ!??」


「だってこの部屋、すごく安くてな。どうせなら浮いた金で、美味しいものをいっぱい食べられる方が良いじゃないか。

 藤助だって、こんなに安いのかって。あんなに喜んでいた癖によー」


「それはそういう事情があるなんて、全く思いもしていなかったからで。いくら安いからってなあっ……!!」


「ははっ。藤助ってば、相変わらず怖がりだなあ。平成というこの時代に、幽霊なんて出る訳ないじゃないか」


「でも、でも、でもっ! 出るからそんな噂が立ってるんだろう!? しかも、そのせいで宿泊費も安くなってる訳だし」



 瞳にたっぷりの涙を溜めたまま、ぶるぶると握り締めた拳を振るわせる藤助。そんな藤資を余所に、けらけらと笑い飛ばしている梅吉を怪訝な目で見つめながら、

「やはりコイツに任せるんじゃなかったな……」

と。げんなりとした顔で、道松は額に手を宛がえる。


 だが、彼みたく今更後悔しても後の祭りだ。牡丹は半ば呆れ気味に、

「あの、梅吉兄さん。それで、具体的にはどういう霊なんですか?」

と、問いかける。


「それが、なんでも恋人に裏切られた女の霊とかで。男を恨みながらこの山の中で自害したけど、成仏できず。その霊がいつの間にか、近くのこの旅館に居着いちゃったらしいんだよ。

 それで夜中になると、急に不審な音が鳴り出して。その音に目が覚めて部屋の明かりを点けると、部屋の襖がほんの少しだけ開いていてな。そんでもって部屋に置いていた荷物はぐちゃぐちゃになっていたり、ものの位置が変わっていたりと、部屋中荒らされているんだってさ」


「ほら、ほら、ほら! それっぽい話まであるんじゃないか。出るよ、絶対に出るよ!」


「うーん。話を聞く限り、確かにそれっぽいけど。でも、それって幽霊に見せかけた、ただの盗難事件ではないんですか?」


「それが、金品は特に盗まれていないらしいんだよ。しかも、人間が侵入した形跡も残っていないんだってさ」


「やっぱり怪しいよ、こんな部屋! 宿の人にお願いして、部屋を変えてもらおうよ」


「いやあ、それは無理だと思うけどな。予約した時、この部屋以外は満室だったし。

 そんなに嫌なら、菊達と一緒に寝させてもらえばいいだろう? 隣の部屋はそういう噂はないからな」


「そんなこと……!」



 できる訳がないと、藤助が言い返すよりも先に、

「絶対に嫌」

と、横から菊が口を挟み、きっぱりと跳ね除ける。



「ははっ。残念だったな、藤助。見事に振られちゃったなー」


「当たり前だろう、紅葉さんも一緒なんだから!」


「よく見たら……、いや、見なくても。この部屋、至る所にお札が貼ってありますね」


「部屋の四隅に盛り塩も置かれてるぞ」



 牡丹と道松が、部屋の中を見回している傍ら、

「もう嫌だよ、こんな部屋っ! 梅吉の馬鹿、馬鹿、馬鹿!!」

 藤助は、わんわんと声を上げる。梅吉の首元を掴むと、ぶんぶんと激しく上下に振り回す始末だ。


 すると、梅吉の懐からぼとりと何かが落ちた。



「梅吉兄さん……。なんで自分だけ数珠なんて持っているんですか、ずるいですよ!」


「なんでって、幽霊は怖くないけど、祟られるのは嫌だもん。まあ、男じゃなくて女の霊なだけ、まだいいけどな。

 取り敢えず一同、落ち着き給え。ちゃんと対策はしてあるからさ」


「対策ですか?」


「ああ。頼むぞ、菖蒲」



 梅吉から紹介されると、菖蒲は一歩前に進み出る。



「えっ、なに。菖蒲って、霊に詳しかったのか?」


「いえ、兄さんに頼まれて独学で学んだだけなので、にわか者に過ぎません。しかし、いかなる事態が起きても対処できるよう一応専門書も何冊か持って来たので、どうにかなるとは思います。

それでは、まずは霊の侵入を防ぎましょう」



 そう言うと菖蒲は鞄を漁り出し、中から何やら取り出したものを、みんなの前に掲げて見せる。


 それを目に入れた瞬間、牡丹達は揃って目を点にさせた。



「えっと、それって、もしかしてファ⚫️リーズ……?」


「はい。基本的に幽霊は湿気が多くて異臭のする、不衛生な場所を好むと言われています。なので、清潔な環境を保つことで霊の侵入を防ぎます。

 また、古代アステカ神話にはセンテオトルというトウモロコシの神がおり、ファ⚫️リーズにはトウモロコシ成分が多く含まれているので、その神が宿っていると言われ。トウモロコシの成分であるシクロデキストリンの分子構造も、六芒星のような形で魔法陣に似ていることから、除霊の万能アイテムとされています」


「菖蒲には悪いけど、それっぽい解説をされてもなあ。こんなんで、本当に霊を退治できるのか?」



 牡丹に倣い、誰もが疑いの顔を突き合わせている中。しかし、藤助は一人だけ、

「菖蒲、貸して!」

 半ば奪い取るみたいに菖蒲の手から拝借すると、藤助は必死の形相で部屋の隅々にまで吹きかけ捲る。


 その傍らで、

「塩も撒いておきますか」

と、冷静に塩を撒き始める菖蒲を遠目に眺めながら。


 牡丹はこれまた一波乱ありそうだと。せっかくの家族旅行くらい、何も起こらないといいけどと。無駄だろうと思いながらも、ひたすら神に祈るばかりであった。

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