3.

 問題の翌日――。


 朝から夕方まで、剣道の稽古は続き。菊と待ち合わせ場所等といった打ち合わせを全くしてなかったなと思いながらも、俺は袴から制服に着替えると、演劇部が活動の拠点としているという三階の視聴覚室へと向かった。


 教室の前に着き中を覗き込むと、数十人の生徒の姿がちらほらと見えた。彼等は各々周りの人達と談笑したり、台本と睨めっこをしたりと、どうやら部活は終わっているような雰囲気だ。


 だが、その中から、なかなか菊の姿が見つからない。どこにいるんだときょろきょろと何度も見回すが、やはり見つけられず。首を傾げていると、不意に後ろから、「あの!」と声がかかった。



「ん……? あれ、紅葉? そっか、紅葉も演劇部だっけ。

 あのさ、紅葉。菊がどこにいるか知らないか? 悪いんだけど、知ってたら呼んで来てほしいんだ」


「えっ。菊ちゃんなら、もう帰りましたけど……」


「はあっ!? 帰ったって、一人で?」


「はい。部活が終わった途端、菊ちゃん、さっさと帰っちゃったみたいです。私も一緒に帰ろうと思っていたんですけど」



 紅葉は全く悪くないのに、なぜか済まなそうに、しゅんと小さくなる。


 そんな紅葉に俺は礼を告げると、急いでその場から駆け出した。



「あの馬鹿っ……!」



 なんなんだよ、なんなんだよ。俺のことを変態扱いばかりして、嫌いなのは分かってる。けど、それとこれとは話が違うだろう。


 こうなるんじゃないかとは少し思ってたけど、でも、まさか本当に……。


 何かあったらどうすんだよ――!!


 俺はとにかく、必死に手足を振り上げた。


 階段を一気に駆け下り、校門を通り抜け。その勢いを殺さぬまま、俺はただ我武者羅に走り続ける。すると、ようやく遠くの方にだが、菊の姿が目に入り。ほっと一息、安堵の息を吐き出した。


 速度を徐々に落とし、跳ね上がった心臓をなぐさめ。ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、俺は前を歩く菊へと近付いて行く。だけど、菊よりやや後方、俺の少し手前に、こそこそと怪しげに動いている黒い影が目に入った。


 その影は全身が黒い服に覆われていて、パーカーのフードを深く被った上に、サングラスとマスクという、いかにも怪しい風貌だ。体格から見て、おそらく男だろう。


 もしかして、コイツが例のストーカーか?


 俺は疑いをかけると、ゆっくりとその影に近付いて行き。男の肩に、ぽんと軽く手を乗せた。



「おい。ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」



 俺の存在に気付いた男は、咄嗟に俺の手を振り払い。右手をズボンのポケットへと忍ばせる。そして、次の瞬間、男は奇声を上げながら腕を大きく振り回した。


 突然の攻撃に、俺は反射的に大きく飛び退く。男の腕をどうにか躱し、それから休む暇なく距離を取る。


 身を屈め、じとりと男を見据えると、その右手にはきらりと鋭く輝いた……。



「げっ、ナイフ――!?」



 嘘だろう……!


 だけど、俺の期待を裏切るよう、男は光る右手を俺に向かって振り回し続ける。


 どうしてこんなことになってるんだ。俺はただ、桜文兄さんに頼まれて、菊と一緒に帰ろうとしただけなのに。額には、だらりと一筋の汗が浮かび上がる。


 本当に現実なんだろうか。思わず軽く目を背けてしまうが、残念ながら、先程から顔や体の脇を掠めている銀色の光り輝くものは、決して玩具なんかじゃない。


 本物だと実感すると俺はようやく覚悟を決め、額の汗を拭いながらも肩にかけていた鞄を地面に向かって放り投げた。そして、竹刀袋から竹刀を取り出し構えると、真っ直ぐに男と対峙する。


 すると、ストーカーもぴたりと動きを止め。どうやら俺がどう動くか、うかがっているようだ。互いに相手の目をじっと見つめたまま、息を潜め。緊迫とした空気がその場を支配していく。


 だけど、どちらも動くことなく睨み合っていると、

「ちょっと、何してるのよ!」

 騒ぎに気付いた菊が、肩を大きく揺らしてやって来た。

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