4.

 あっという間に、時は過ぎ――。


 終業を告げるチャイムの音が、校舎中へと鳴り響く。竹郎は椅子から立ち上がると、ぐっと背筋を伸ばした。



「うーっ、やっと終わったー! さてと、これから部活か。そう言えば、牡丹は部活どうするんだ?」


「部活か。そうだな、剣道部に入ろうかな」


「剣道部なら校舎裏に道場があって、そこで活動してるぞ。途中まで案内するよ」



 そんな竹郎の好意を俺は素直に受け取り。昇降口で別れると、教えてもらった通り校舎裏に回って行く。


 が、角を曲がると異様な光景が――、一人の女生徒の周りを複数の男子生徒が取り囲んでいる様が目に飛び込んで来た。


 明らかに不審な様子に、俺の足はぴたりと止まる。どうしたものかと悩んでいると、男子生徒の一人が、肩下で綺麗に切り揃えられた黒髪をした彼女の腕を引っ張った。その途端、女生徒の口から短い悲鳴が漏れる。



「いやっ。離してください!」


「いいじゃん、少しくらい付き合ってくれてもさ」


「そーそー。別に減るもんじゃないんだからさー」



 男子達の口から嘲笑が漏れる中、女生徒の瞳の端に、薄らと涙が浮かび上がる。


 それを目にした瞬間、俺は無意識にも彼女の前に躍り出ていて。



「あっ……、あの! ……彼女、嫌がってるじゃないですか」


「はあ? なんだよ、お前」


「あっ。コイツ、隣のクラスに転校して来た、あの天正家の新入りだぜ」


「えっ、天正だって? あの一家、まだ兄弟がいたのかよ」


「あと五人くらいいるんじゃないか?」



 じろじろと俺のことを舐め回すように見回しながら、男子生徒達は再び嘲笑を上げる。


 俺はその視線を振り払おうとするが、上手くいかない。嫌らしい音は、一層と大きくなっていくばかりだ。それに従い、俺の頭は自然と下がっていく。


 確かにコイツ等の言うことは間違ってない。あの馬鹿親父のことだ。七人もの異母兄弟がいたんだ、あと十人いても不思議じゃない。


 結局、俺はどこに行っても変わらないんだ。いや、変われない。


 親父の所為で、一生こんな惨めな思いを繰り返すしか……。


 ぎゅっと、下唇を噛み締め。唇から、薄らと滲み出た血が口の中へと入り込む。


 その不快な味に顔を歪ませていると、不意にこの場とは不釣り合いな、

「お楽しみの所、悪いんだけどさ。俺達の可愛い弟をいじめるの、止めてくんない――?」

そんな清涼な音に、俺の意識は呼び戻される。


 振り向けば、そこには――……。



「梅吉さんに、藤助さん。桜文さんに、道松さんまで……」



 辺りにはいつの間にか、天正家の年長組が揃っていた。四人とも、俺の方に寄って来る。


 そして、梅吉さんは、ぽんと俺の肩に手を乗せた。



「大体よー、女の子一人に寄って集って。恥ずかしくないのか? ったく、武士の風上にもおけねえなあ」


「武士の風上って、それはちょっと違うんじゃない?

 ……あれ。誰かと思えば、紅葉もみじさんだ。大丈夫? 顔が赤いけど」



 なんだ、あの女子、兄さんの知り合いだったのか。


 藤助兄さんがその子の顔を覗き込むと、彼女は、はっと我に返って、

「はっ、はい、大丈夫です! あの、ありがとうございました!」

 なんでだかまだ顔が赤かったけど、礼を言った。



「いえいえ。俺達は何もしてないよ。お礼なら牡丹くんに」


「牡丹くん……?」


「うん。つい先日から一緒に暮らすことになった、俺達の弟なんだ」



 そう言って桜文さんは紅葉という名の女子に向け、俺のことを指で指し示した。



「おい、それより、この外道達には、少しばかりお灸を据えてやらねえとな」



 じろりと瞳を鋭かせ、道松さんが男子生徒達を睨み付けると、彼等は一瞬の内に顔を蒼白させ、そそくさとその場から去ってしまう。


 あまりにも呆気ない幕閉めに、梅吉さんはわざとらしく肩を竦めさせた。



「ひゃー。怖い、怖い。何もそこまですることないだろう」


「おい。俺はまだ何もしてないぞ」


「その目付きの悪さだけで、十分な破壊力になるんだよ」


「ああっ!? 俺の目付きのどこが悪いんだよ!」



 ここで、お約束とばかり。額をくっ付け合わせる道松さんと梅吉さんの間に、やっぱり藤助さんがするりと入り込む。


 すっかり調子を狂わされた道松さんは、梅吉さんから離れていき。それからわざとらしく咳払いをすると、キッと眉を鋭かせる。



「それにしても、だ。いいか、牡丹。言いたい奴には、好きなだけ言わせておけ。一々反応なんかするな」


「そうだよ、牡丹。確かにお父さんの浮気性の所為で、肩身が狭い思いをしてきたかもしれないけど……。でも、俺は今のこの生活が気に入ってるよ」


「そうだなあ。俺も好きだな、みんなのことが」


「大体、家族なんて呪いみたいなもんだ。いつの時代だって、子供は親に振り回される。血を受け継ぐとともに、何かしら背負わされるもんだ。

 けど、生憎俺達は一人じゃない。お前が一人で背負っているもん、俺達も一緒に背負ってやるよ。だから――」



「一人で抱え込むなよな」



 その声は、普段の砕けた梅吉兄さんとは調子が異なって。俺は、きゅっと小さく拳を握り締めた。



「あ……、あの! ありがとう、兄さん達。その、助けてくれて……」



「ありがとう」と小さな声で繰り返すと、四人は顔を見合わせ。そして、誰からともなく同時に噴き出した。



「なあに、当たり前だろう。だって、俺達は家族じゃないか!」



 梅吉兄さんは、俺の背中を思いっ切り叩く。ばしんっ! と、鈍い音が鳴った。


 その痛みに、思わず目の端から薄っすらと涙が出た。


 一人じゃない、か。うん……、確かに一人じゃないな。


 親父が来るまでの間、こういうのも悪くないかもしれない――……。


 ひりひりと痛む背中を擦りながら、俺は一人、真っ青な空を見上げた。

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