第2戦:俺の兄弟は学園の支配者だった件について
1.
『ねえ、知ってる? ほら、大塚さんち』
『えっ。なに、なに? なんの話?』
『それが大塚さんの奥さん、旦那さんに逃げられちゃったんですって』
『えっ、そうだったの? 私はてっきり、事故か病気で亡くなったものかとばかり……』
『それが違うのよ。可哀想に、まだ小さい子供もいるのにねえ』
うるさい、うるさい。ああ、うるさい。
みんな、勝手なことばかり言いやがって……。
『おい。お前んち、父親がいないんだろう?』
『知ってるぞ。お前の父ちゃん、浮気して家を出て行ったって』
『やーい。お前の父親、浮気者ー!』
雑音、雑音。全てが雑音だ。
どうして俺達が、こんな惨めな思いをしなければならないんだ。これも、全てはアイツの所為だ。
ああ、そうだ。
だから俺は、絶対にアイツを……!
「……いちゃん、牡丹お兄ちゃんってば! 朝だ、起きろー!!」
「ぐえっ――!??」
黒の夢から一変、一瞬で視界が切り替わる。
無防備な腹に、突然の激痛。目蓋を開かせると、腹の上には小さな塊が乗っていた。
「牡丹お兄ちゃん。朝だよ、おはよう」
「ああ、おはよう」
寝惚け眼を擦りながら上半身を起こし上げると、目の前には、にこりと屈託のない笑顔を浮かべさせた芒が。俺の腹の上で、のそのそと軽く揺れている。
ああ、子供の無邪気さって、おそろしい……。
悪気など一抹も感じてないだろう芒に、俺は心の内でぼそりと呟く。
「さてと。次は、桜文お兄ちゃんの所だ」
芒はぴょんと腹の上から飛び降りると、とことこと小さな手足を動かして部屋から出て行く。
朝っぱらから元気なものだ。子供って、本当に羨ましいと。俺の口から一つ自然と息が吐き出される。
それにしても、だ。それにしても、ここの人達はみんな……。
俺は思う所もあったが、さっと身支度を整えると、ゆっくりと階段を下りて行く。
リビングに入ると、エプロン姿の藤助さんがくるりと振り向き、
「おはよう」
と、声をかけてくれる。
「昨日はよく眠れた?」
「はい、まあ」
藤助さんは、たくさん食べなよと、俺の前に朝食を並べてくれる。
天正家・四男、藤助――。
天正家の家事一式を取り仕切り、また、財政の管理なども行っているらしい。つまりは、天正家の財布は彼が握っているも同然だ。
正直に言えば、藤助さんの作るご飯は、母親のものよりも美味しい……。
ずずう……と温かな味噌汁を啜りながらしみじみとそう感じていると、バンッ! と鈍い音が室内へと轟いた。
「おい、どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよっ!」
扉の方を振り向けば、きゃあきゃあと声を上げている芒を脇に抱えた梅吉さんの姿が。彼はぽーんと芒を放り投げると、バタバタと室内を慌ただしく駆け巡る。
天正家・次男、梅吉――。
「ええと、鞄、鞄! それと、ジャージも。ああっ、もう! 鞄どこにいった!?」
「もう。ほら、鞄。俺は何度も起こしたよ。それなのに梅吉が、『あと五分……』って、なかなか起きなかったんだろう。
お弁当と、それから、これも。お握りを結ったから隙を見て食べなよ」
「ああ、藤助。いつも悪いな」
梅吉さんは弁当の入った袋を受け取ると、飛び出すよう家から出て行った。
まるで嵐が過ぎ去った後みたいに、室内はすっかり静まり返り。俺は彼を遠目から見送った。
「梅吉さん、随分と早く家を出るんですね」
「なに、アイツは朝練だよ。あれでも一応、弓道部のエースだからな。信じられんだろうが」
「へえ。そうなんですか」
「全く。それにしても、朝っぱらから騒々しい……」
開けた額から覗かせている尖った眉と同じくらい、ぎろりと瞳を鋭かせ。道松さんは、ぼやきながらも淹れ立てのコーヒーを口にする。
天正家・長男、道松――。
普段は口数が少なくクールだけど、梅吉さんとは折り合いが悪いのか、ことある毎に喧嘩が絶えない。最早、彼等の争いは日常茶飯事のようだ。
「ふわあ……、おはよう」
大きな欠伸をしながら桜文さんは、巨体を揺らし。のたのたと自分の席へと着く。ちらりと俺と目が合うと目尻を下げ、「おはよう」と、もう一度口にする。
天正家・三男、桜文――。
身長は二メートル近くもあり、天正家一、いや、一般の男子高校生の中でも一際高く、また、がっしりとした体付きをしている。けれど、その見た目とは裏腹、おおらかな性格の持ち主のようだ。
「おはようございます」
そう堅苦しい挨拶と共に入って来たのは、天正家・五男、菖蒲――。
彼は人差し指で、ぐいと銀縁眼鏡を押し上げる。レンズの向こう側には、凛とした瞳が宿っている。
菖蒲は席に着くと、いただきますと。静かに両手を合わせた。
「牡丹。ご飯のお代わりいる? ……っと、おはよう、菊」
「……おはよう」
そして、最後にリビングに入って来たのは、天正家・長女、菊――。
腰の半分くらいまで伸びた栗色の髪に、大きな瞳。長い睫毛はくるんと天を向き、ぷっくらとした深紅の唇は、肌の白さをより惹き立たせ。すらりと伸びたか細い手足は、儚げな雰囲気を醸し出している。
けれど。
「……なんで変態が私の席の前なのよ」
「こら、菊! “変態”じゃなくて、“牡丹お兄ちゃん”だろう」
藤助さんの叱責に、だけど、菊はぷいとそっぽを向く。
この女、まだ初日のことを恨んでいるのか……!?
どんだけしつこいんだと、俺はぎゅっと箸を強く握り締めた。
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