【R15】よかった、私じゃなくて【なずみのホラー便 第87弾】

なずみ智子

よかった、私じゃなくて

 香折(かおり)は、残業は絶対にしない主義であった。

 それがたとえ自分に割り当てられた仕事であっても、他の人にお任せし、定時退社は”会社員として当然の権利”だと考えていた。

 さらに言うなら、香折の言う”他の人”とは、ここのところずっと同期女性の花野(はなの)さんに固定されていた。

 連日の身代わり残業のお願いに、今日の花野さんはさすがに渋い顔をした。


 でも、なんだかんだいって気の弱いこの女は”もう一押し”すればなんとかなる。

「お願い。母の具合が悪くて……早く帰らなきゃならないの」

 なぁんつって、本当は早く帰ってゆっくりしたいだけだけどね。


 翌日。

 香折が出社した時、会社内の様子が何だかおかしかった。

 情報通の女子社員たちから話を聞いたところ、昨夜の夜十一時半ごろ、帰宅途中の花野さんが、駅までの近道である会社近くの大きな公園で事件に巻き込まれたらしい。

 どうやら、人気のない夜の公園に潜んでいたらしい男に、暗がりへと引きずり込まれ、そのままレ○プされてしまったと……


 女子社員たちの「うわぁ、悲惨……」「もう、会社来れないよね」「もしかして前から狙われていたのかな?」という声を、香折はどこか遠いところで聞いているような気がした。


 昨日の夜、私が自分の主義に反して残業していたなら、公園で男に暗がりに引きずり込まれてレ○プされていたのは私だったのかもしれないってこと?

 そうよね、きっとそうよ、私の方が花野さんより綺麗だし魅力的だし、私みたいな上玉をいやらしいレ○プ魔が見逃すはずがないわ。

 よかった、私じゃなくて。



 それから十五年後、香折は事件後に退職した花野さんのことなど、すっかり忘れ、裕福な家庭の専業主婦となっていた。

 ちなみに子供は、名門私立中学校に通う男の子が一人だ。


 何もかもが順風満帆だったはずのある日の夜八時過ぎ。

 学習塾から帰ってくる息子を待っていた香折の元に、警察が訪ねてきた。


 なんと、香折の自慢の息子が、帰宅途中の女性会社員を襲ったというのだ。

 だが、その女性は非常に気丈な人であったうえに、空手の有段者でもあったと。

 息子は返り討ちに遭い、女性に”怪我はなかった”。


 女性の強さによって未遂に終わったとはいえ、このことが中学校で、夫の勤務先で、そして近所で噂にならないはずなどなかった。

 夫も、舅も、姑も香折を責めた。

「あなたに子育てを任せたのが間違いだったわ! あんな事件を起こすなんて、いったいどんな育て方をしたの?!」

 とりわけ姑からの責めは凄まじかったも、夫が香折をかばってくれることはなかった。


 家から一歩も出ることができなくなった香折。

 窓もカーテンも閉め切った部屋に閉じこもった香折は、”近所の主婦たちとのいつもの井戸端会議”に加わるなんてことも、もうできるはずなどない。

 だが、その日の井戸端会議は香折の元にしっかり届けられてきた。


 もしかして、彼女たちはわざと香折に聞かせるために、”香折の家の前で”あんなに大きな声で話しているのだろうか?


「奥さんも気の毒と言えば気の毒よね。あの噂を聞いた時、”うわぁ、悲惨……”って正直、思っちゃった」

「でも、まだ中学生だっていうのに、レ○プ未遂なんて怖いわねぇ」

「そうよね、うちの娘たちには絶対に近づけないようにしなきゃ」

「小さい頃から、お勉強にお稽古漬けだったから、尋常じゃないほどストレスが溜まっていたんじゃないのかしら?」

「どのみち、もう外を歩けないわよ。旦那さんの勤務先にも広まっちゃってるしぃ」

「もしかして、あれが初めてのことじゃないんじゃない? この辺りでの痴漢騒ぎって、全部”あの子”の仕業だったりして(笑)」

「さすがにそれはないでしょ(笑) でも良かった、うちの子どもはあんな事件を起こすような子じゃないから。世間でヒソヒソされるような子どもの親になっちゃうなんて最悪よね」

「本当よね。よかった、私じゃなくて」



(完)

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【R15】よかった、私じゃなくて【なずみのホラー便 第87弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko

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