第36話 恋物語の幕閉じ

 なんだそのパワーワードは!

 なごみは無意識で言っているのだろうが、そのセリフは男を底の底の奈落までも落とすことができる魅惑の言葉だ。ただし、俺ともなると昂る感情をちょっと抑えられたりする。そんなことよりも、気になってしょうがないことがある。


「お、俺の事好きなの?」

「だから、やめてください。せっかく先輩の為にしてあげたのに。しなければよかった」


 すみませんでした。しかし、先輩の為とはどういうことだろうか。よっぽどな人でない限り人は自分がされて嬉しいことしかしないはずだ。ということは必然的にキスをしたら俺が嬉しがることを想定してやった行いだったということになるだろう。キスはされて嬉しいものだと分かるのに、恋が分からないというのはどこかこう、しっくりこない。


「なごみ、嘘ついてないよな」

「嘘というのは建前のことですか?」

「キスをされたら嬉しいことを知ってるのに恋は分からないなんて」


 するとカバンの中を漁り始める。暫くして取り出したのは少し厚めの冊子だった。そしてその冊子には複数の付箋紙が貼られていた。それは、俺がデート初日に「素の先輩を見せてください」と言われ没収された俺の恋のガイドブックだった。


「こんなに赤ペンで何重も囲んであるのに」


 そう言って冊子をパラパラと捲り、とあるページを開いて俺の膝に乗せると一文を指さす。その指の先には『好きな人とロマンチックにキスができたらゴールイン!』と書かれていた。


「これが先輩が私に求めたゴールですよね。唇を他人の肌に触れることの何がいいのかは私には全く分かりませんけど、先輩は私の事を好きと言ってくれたので、これがせめてものお礼です」


 こうして男女二人の恋物語は幕を閉じた。

 失望されていたのか、俺の力量不足だったのかは分からずじまいだったが、結局なごみは恋とは何かを知ることなく終わってしまった。


 俺はみっともない面でベットに横たわっていた。どれだけ女性から声をかけられようが、褒めそやされようが、好きな人が微塵も振り向いてくれないというのは等しく辛いものだった。しかし、恋に限らず失恋の痛みも感じることのできないなごみのことを考えると辛く感じた。こうして俺がベットに横たわっている間になごみは何をしてるのだろうか。

 俺らしくもなく、なごみの事ばかりが頭を回っていた。


 俺は一度ベットから体を起こし手を伸ばして届くか届かないかの場所に置いてあるカメラを掴む。

 デジタルカメラの側面のメディアスロットからメモリーカードを取り出しパソコンに差し込む。

 まあ、連絡先も交換した訳でもないし、会うことはもうないと思うが、もし再び会う機会があれば写真を渡してやろう。


「うそ……」


 確かに五十枚程は撮ったはずだった。しかし、メモリーカードに写真は一枚も保存されていなかった。

 何度もメモリーカードを抜いては差し込み、確認してみたが、やはり一枚も保存されていなかった。


 俺は酷く唖然とした。

 せめてなごみと出会った思い出くらいは写真として残しておきたかった。今後もなごみのことを追いかけたり無理な接触をするようなストーカーじみたことをするつもりは無いが、なごみとの思い出を思い出せる形で残しておきたかった。

 情けねぇ。俺はこんな未練じみた男になりたくなかった。でも、次から次へと涙が溢れてくる。

 ふとパソコンに目をやると、メモリーカード内の別のファイルに一件の情報が残されていた。


 慌ててクリックしてみると写真ではなく、たった五秒の短い動画だった。

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