第35話 おおおおお落ち着けぇぇ!

「絶対に何ですか!?絶対に大丈夫とでも言うつもりですか!?本当に私の事を好きと言ってくれるなら、やめてと言った時にやめてください。面倒くさい女なのかもしれませんけど、こんな私を好きになってくれるような物好きな人がどこかに必ずいるっていうことは分かってます。でも、私が求めているものはそんなものじゃない。誰もが求めるようなお金や愛が欲しい訳じゃないんですよ。ただ普通の『痛み』が欲しい。先輩がくれたのは優しさという愛情ですよね?」


 遠回しに力不足だと、的はずれなサポートだったと言われている気がした。確かに、通常なら顔がある程度整っていて優しければ男も女も等しく惹かれあってきた。

 斯く言う俺もなごみの可愛らしい容姿とその笑顔と居心地の良さにまんまと惹かれてしまったわけで、改めて自分勝手な恋を楽しんでいたんだと再認識した。


「はい!最後までこんな喧嘩して終わりなんて嫌ですから」


「はい!」と同時に手を叩き、そう言いながら笑顔で俺の事を手招く。彼女の笑顔は通常の笑顔と変わりないように見えた。

 ここで初めて、彼女が痛みを理解できないという意味を正確に理解した。空元気に見えていたのは俺の目、脳が彼女の状況に応じて感情のフィルターを勝手にかけていただけであって、彼女の笑顔はいつも最高なる笑顔だった。つまり、彼女の笑顔にだけ関して言えば、笑顔の奥の情緒は常に一定だった。常に楽しそうにしていた。


「ほら、ここ座ってください」


 するとなごみはカメラ片手に手を上げる。


「ほら、もっと寄ってください」


 確かに考えてみればツーショットは一枚も撮っていなかった。


 好きになった相手ということもあり、多少なりとも照れくささはあったが今までの経験を元に平常心を保つことができた。徐々に心拍が安定し、やがてなごみの肩を抱き寄せるなんていう大技まで披露してしまった。

 しかし、流石はなごみさん。全く動じることなく笑顔でレンズを見ていた。そんななごみを見て少し小っ恥ずかしさが心を突き刺す。


『じゃあ撮りますよー。ハイチー──』

『どうせならトンネル抜け──』


 二人の言葉は一秒の狂いもなく被さり会う。車両が大きな汽笛を鳴らす。暗いトンネルを走行していた車両はカメラのシャッター音と共に地上へと抜ける。トンネル内に篭っていた走行音も地上へと抜けた瞬間、サーっとした真っ白な音へと形を変えた。


 そして二人は、車内に差し込む夕日と共にキスをした。


「お、おい!え、俺、今、何した?」


 お互いの口が重なり合うまでは一瞬の出来事だった。俺はただ「ツーショットを撮るなら暗いトンネルよりもトンネルを抜けて明るい所で撮った方がいいんじゃないか?」と提案をしようと彼女の方を向いたつもりだった。しかし、カメラを見ていたなごみまで何故か俺の方を向いていた。


「な、なごみ!?お、お前俺に、お、俺に、キ、キスしてた!?」


 お、お、おおお落ち着け!なぁーに、キスの一つぐらいでー。……って思うかもしれないが!好きな人とのキスは、たとえ可愛い女の子とのキスであっても、たとえ濃厚な熱いキスであっても比べ物にならない程の破壊力があるんだ!ほんの一瞬、ほんの二、三秒ほどの出来事、そう!なごみのキ、キスは俺の意識を八割飛ばすんだ。な、なごみ怖ぇー!


 しかし、電車が急ブレーキした訳でも急発進した訳でもない。加えて俺が無理やりキスした訳でもなければ、なごみは俺の事を嫌っている。じゃあ誰がこんな幸せな悪戯を!?


「先輩?」


 そう言いながら猿のように真っ赤にする俺の顔を覗き込んでくる。


「おおおおお落ち着けなごみぃ!近寄るんじゃーない!ち、近寄ると、た、たぁーべちゃうぞぉー!がおぉぉー!!!」


 おおおおお俺が落ちつけぇぇ!なごみめっちゃ驚いてんじゃん!なんならちょっと目顰めて心配されちゃってんじゃん!あぁ、もう、訳わかんなすぎて泣きそうだ……。


「嬉しくなかったですか?」

「嬉しい?」

「私のキス」

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