第7話 お兄ちゃんといっぱいチュッチュルチュール

「もし、間違いであれば大変申し訳ないのですが、わたまさんと勘違いなされてはいないでしょうか。それも以前この五○八号室の病室でわたまさんという方がちょうど入院されていたので」

「いや、なごみです」


 するとホールに続く長い通路側から聞き覚えのある声が聞こえてくる。その聞き覚えのある声はいつもよりもどこか甲高く、焦りを混じえた声だった。何も邪魔することのない静まり返ったホールを彼女の一声が空間ごと風靡し、俺の耳に入り込んできた。


「何やってるんですか!」

「なごみ!?」


 なごみだ。あれが俺の知るなごみである。

 安心感から涙が溢れ出してきたりだとか、喜びで感極まったりだとか、特にそういう衝動には至らなかったが、ただただ俺の視界に彼女が映っている、それだけで十分だと素で微笑んでいた。

 そんな事を考えている俺の横顔をじっと凝視されているかのように感じるこの痛い視線は……。ふと、横目で様子を伺うと、そこには受付のお姉さんが悪意を孕んだ目でニコニコかつゴリゴリの笑顔で俺を見ていた。

 俺は警備員二人に体を拘束された状態で、首から上だけ受付のお姉さんの方へ向ける。


「あれ、なごみです」

「はい、わたまさんです!良かったですね」

「あ、ほんと、ごめんなさい……」


 笑顔でそう言う受付のお姉さんに思わず顔を赤らめてしまう。聞いていることしかできない状況にみるみる恥ずかしさが込み上げてくる。うぅ……あぁーー!!!やっべっ!マジで恥ずい!!

 勝手に勘違いして、挙句の果てに受付のお姉さんにまで八つ当たりするし、なによりこの状況をなごみ(仮)に見られている事が一番恥ずかしい!


 追記、これから少しの間彼女(なごみ)の名前がはっきりするまで『なごみ(仮)』という表記にします。失礼しました。


 そう俺が悶えているうちになごみ(仮)は俺の元に駆け寄ってくる。


 これはあれか!?あれなのか!?ついこの間読んだ、その名も『お兄ちゃんといっぱいチュッチュルチュール』というタイトルのいかにも物々しく頭の悪そうなラブコメライトノベル。

 あらすじはベタだったが物語の終盤に、あれがこうなってこうしてあーなって「あーん、お兄ちゃんだぁーいすきっ!」と胸元に走ってくる妹!のシーンがある。

 抱きつく仕草を見せる妹にお兄ちゃんも大きく両手を広げる!おぉーとっ!ここで、ラッキースケベ発どぉっ!お兄ちゃんの一歩手前で足をトゥルッと滑らす妹。お兄ちゃん、咄嗟に抱える暇もなくそのまま妹ターックル!刻々と迫るラッキースケベカウント!ドーンとお互い派手に衝突する。感じるっ!頬に伝わる生暖かくぷにぷにした感触。目を開けるとそこには雲海のごとく洗礼された白色が視界いっぱいに映し出されている。

 しかし、息苦しく視界も薄暗くてよく分からない。窒息死しない為にも取り敢えず空気をめいっぱい吸い込み、めいっぱい吐き出す。すると、どこからか聞き覚えのない喘ぎ声が聞こえる。ん、なんだ?と言わんばかりに体を揺すると、またどこからか喘ぎ声が聞こえてくる。すると「動かないでっ!」という甘い声。ん?どこかで聞いたような聞いてないような。ま、まさかぁ!?

 そう、お兄ちゃんは妹のパンツに溺れていたのであったぁー!


 と、まあ。この作品に見合った頭の悪いシーンを終盤にして無事タイトル回収を果たしたわけなのだが。


 なんとも言い難い。なごみ(仮)が走ってくるその姿そのものが全くそのシーンと重なるのだ!ここで俺が手を広げれば!って、手離せよお前らぁ!俺は警備員二人に腕をがっしりと抑えられていた。よくも俺のラッキースケベイベントを!


 俺はよくイケメンだと言われてきた。生まれてこの方女の子には色々と縁があるものの、それら全てを断ったせいで恋のAもBもCも知らない始末だ。

 このまま何も知らずに高校生活を終わらせるつもりなのか!?

 女の子と密着できる機会だなんて今、ここを逃したらもう一生来ない気がする。両腕は抑えられているが、もし俺の目の前で彼女がコケれば、ジュルリあるかも……。

 って。笑っちゃうよねー


「あっー!」


 コケたぁぁぁーーーー!!!

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