第40話 平和宣言
悪魔とは所詮、幽霊と変わらないものだ。なにかに憑くことができなければ、力を充分には発揮できない存在である。それは下級も中級も上級も変わらない。最低限のルールである。萌夏に憑いている上級悪魔も、憑かなければ力はほとんどないに等しい。人間でなく、災害、現象に憑くことで脅威は生み出せるが……、
中には憑かなくとも、単体で充分に脅威になる例外もいる。それは単に一般人を相手にした場合であり、使者を相手にすれば、力は足らないはずだ。
憑くことで、使者を相手に拮抗する力である。
混じり気がない純粋な殺意を限界まで持っているきらなの制御した力の前では、たとえ上級悪魔だろうとも、萌夏という媒体を失った今、悪魔はきらなに手も足も出ないだろう。
悪魔もまた、冷静ではなかったと言える。戦い方は人間に憑くだけとは限らず、戦い方によっては、きらなに一撃を与えることもできただろう……、しかし圧倒的な力を見せつけられ、悪魔はあっさりと自我を失った。
捨て身覚悟の特攻だ。負けが確定している勝負に、悪魔は自分から突っ込んでいった。
きらなはキラー・マシンを武器として振るうことなく、ただの腕力で悪魔を掴む。
そのまま地面へ叩きつけた。
「れいれの世界は、みんなを、異界も人間界も関係なく一緒にした世界なの。だから悪魔であるあなただって、救いの対象になる――だから」
殺さないよ、と呟き、そして悪魔の体に手を置いたまま、視線だけを動かす。
周囲に意識を向かわせる。気配を感じたが……、気のせいだろうか。
いや、気のせいではない――見られている、とはっきりと分かった。
はっきりと感じたあの気配は――、
「どうしたの、エミール」
「ありゃ、気づかれていたか」
赤い髪の毛を風になびかせながら。フードを珍しく被っていない。
彼女はアパートの屋根から飛び降り、きらなの目の前へゆっくりと着地する。
音もなかった。
「ふう、それにしても、よくここまで成長したもんだ、きらな。最初の頃、暴走した時はどうしようかと思ったけどな。レーモンとその使者の助けもあって、やっとおれの理想の使者になってくれたじゃないか。ほんと、あいつらには感謝だな。
これは冗談じゃないし、嘘でもないぞ? おれの少ない正直な気持ちだ」
「今更、登場して偉そうだね……らしいけどさ。文句はないよ? 言うことはないけど、でも聞きたいことはある。今まで姿も現さずにどこでなにをしていたの?」
エミールは、ししし、と笑い、しかしその笑みには出会った時ほどの無邪気な様子はなかった。見れば見るほど、エミールは後悔しているように見えた。エミールの後悔……するとは思えないけど、まあ、だけどエミールも女の子だ。ないこともないのだろう。
エミールの後悔は、意外なものだ。きらなに一切干渉をせず、眺めているだけだった――そのせいできらなが最も嫌うバッドエンドを見せてしまったこと……、
自分が干渉していれば、また違う結末になったかもしれない……、ハッピーでなくとも、バッドではないエンドにできたかもしれないのに――。
エミールは遠目から眺めて面白がるためにきらなを選んだのだ、途中で生まれたいたずら心ではない。干渉しないことこそが目的だった。だけど、それでも考えて、なにかできたのではないか――そう思って、たらればの後悔を抱いたのだ。
「悪いな、きらな」
「なんでエミールが謝るの? なんにも悪くないのに。れいれがいなくなったことに謝っているなら、それは絶対に違う。エミールには、わたしが感謝しなくちゃいけないんだから。
だって、エミールがあの日、あの時、あの状況で、わたしを助けてくれなければ、わたしはれいれと向き合うことができなかった。理解し合うこともできなかった。エミールは恩人だよ、それに、わたしの相棒じゃん」
その言葉はエミールにとって、最高の言葉だった。しかし、この場面、この状況で言われると、心の奥深くに突き刺さる言葉だ。
きらなが感謝すればするほど、エミールの中に罪悪感が蓄積されていく。
れいれを死なせてしまったこと。
死にたくなるほどの罪悪感だ。
「そう、か……」
エミールが、きらなに抱き着いた。
「エミール……?」
抱き着かれたきらなが呟き、だけどそれ以上の言葉は出ない。というより、ここでどういう言葉をかければいいのか分からなかった。悩んだ結果、かける言葉が分からないなら、かけない方がいいと思った。エミールを抱きしめ返して、自分の顔を彼女の顔に近づける。
目を瞑り、エミールの呼吸音を聞く。近くにいる命の恩人の、生きている証拠を聞き続ける。すると、いつの間にか、エミールを抱きしめているという感覚がなくなった。実際、目の前にいたはずのエミールの姿がなくなっている……、あるのは空気だけだ。
きらなは軽くなった自分の体を足で支え切れず、前に倒れそうになってしまう。
「……? エミール……?」
呼びかけるが、エミールは応じない。
そもそも、この場にいない。今までそこにいて存在していたエミールが、最初からいなかったような幻に思えてきた。そんなはずがない、ときらは思う。
抱きしめ、近くで感じ、分かったのだ。エミールは少しだけ、泣いていた。それは、きらなには絶対に悟られないように、耐えたのだろうけど、しかし隠せていなかった。きらなが敏感だったのかもしれないが――ちゃんと伝わっている。
それが恥ずかしくて、消えたのか? それだけならばまだいいが……、れいれの直後だ、もうどこにもいないのではないか、という感覚に襲われ、きらなの鼓動が早くなる。でも、エミールなら、忘れた頃にひょっこりと顔を出すだろう、とも思えた。彼女はそういう子だ。
きらなはエミールと同じく、「しししっ」と笑って、俯かせていた視線を上にあげる。
空へ。
その途中で見えた群青の髪を持つ少女――エミールと瓜二つの、レーモンだ。彼女を見て一瞬、れいれかと思った……、合っているのは色くらいなものなのに。
きらなの体が固まる。レーモンが近づいてくる度に、きらなは汗が出てくる。
エミールと同じく、きらなにも罪悪感がある。いや、エミールとは比べものにならないだろう――自分のせいなのだから。自分を守るために、れいれは死んだ。事実だ。言い訳のしようもない。したくもない。責められ、非難されてもおかしくない、するべきだ。されて当然であるきらなは、レーモンの登場を、だから予測していたのだ。覚悟も決めていた――はずなのに。
いざ目の前にすると、言葉が出てこない。首を絞められたみたいに、呼吸が、止まる。
逃げ出したかった。
だけど、きらなは踏みとどまる。
レーモンからは逃げられない、逃げてはいけない。れいれの最後を見ていたのは、自分だ。それはれいれを誰よりも大切に想っていたレーモンに、れいれの最後を伝えるためだったのだろう――全部を伝える。自分のことも。
自分のせいでれいれは死んだのだと、伝えるために。
「あ……」
声は出るが、しかし言葉は、詰まってしまう。そうこうしている間に、レーモンがきらなの視界いっぱいに埋まるほど、接近していた――そして、
「いいよ、きらな……、一番つらいのは僕じゃない、君じゃないか」
がまんすると決めていた、なのに、きらなの意思とは反対に、体は正直だ。本能のまま、きらなの中に溜まっている感情が、瞳から多くの涙を流させた。
ぼろぼろと、流れ出したら、もう止まらない。
しばらくはきらなも気づけなかった。頬を伝うくすぐったいそれが、涙であることに気づいたのは、流れ始めてからしばらく経った時のことだった。
耐えようとしたが、無理だった――決壊、したのだ。
誰よりも泣きたいのはレーモンだろう、きらなよりも前から共にいた、友達であり、親友であり、相棒であり、姉妹であり――れいれを失って悲しいのはレーモンなのだ。人間界だとか異界だとか、異界の王だとか人間だとか、もう関係ない。自意識がありコミュニケーションが取れるのならば、友達は成立する。
嬉しいも悲しいも、別の世界の住人であろうと、違いはないだろう。
レーモンが叫ぶべきだ。なのに。
がまん、しているのに、きらなは――止まれなかった。
「うぁ、ぁぁぁぁ、ああああああああああああああッッッッ!!」
きらながレーモンにしがみつく。顔を、胸に埋める。泣けるだけ泣いた。涙が枯れるまで。枯れてもまだ、喉が潰れるまで。気づけば、いつの間にか夜が明けていた。
「……れいれを、守れなかった」
何時間も泣き続けたきらながレーモンに言った言葉は、後悔のそれだ。
怒りを覚えたのはレーモンだ。彼女は当然のように、きらなを怒鳴りつける。
そんなことでどうするんだ、と。
れいれが守りたかったものを、きらな、君は受け継いだのだろう――と。
れいれの願いはあの夜、あの時、きらなの願いになった。
受け継がれたのだ。
きらなの目的となり、生きる意味になった。だから――死ねない。
だからきらなはレーモンに向けて、しっかりと、自分の二本の足で、重力に逆らうように立ち続け、そして、言った――宣言をした。
わたしは、世界を守る。
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