第39話 きらなとれいれ
正確に言えば、死にそうである、が正しい。
ただし、もう死んでいるようなものである、というのも正しい……。
きらなを庇うように覆い被さったれいれは、ナイフを左胸、心臓に突き刺されていた。そして貫かれ、使者が持つ回復力であっても回復することは不可能な段階である。血管でかろうじて繋がってはいるものの、心臓の鼓動が弱く動いているものの、時間の問題だろう。飛び出した心臓は体内に収まっていない、はみ出ている――。その鼓動はもう長くはもたない。
もう止まっていてもおかしくはないのだ。
動いていて、生きているが奇跡と言える。
「れいれ……ちゃん……?」
べちゃり、と赤い血がきらなの手の平に落ちてきた。サンプルではない本物の心臓は、今でもドクンドクンと動きながら血を出し続けている。れいれから、生命力を奪い続けている――。
ぴと、ときらなの頬に心臓が触れる。ナイフも心臓と共にあった。今のこの状態で、ナイフはきらなを切り裂くことができる――きらなを殺せることを意味している。
れいれは、「がぁああああッッ!!」と吠え、自分の心臓を突き刺し、きらなを殺そうと動いているナイフの刃を、両手で掴む。全力でその刃を折り曲げた。
「れいれちゃんダメ!! そんなことをしたられいれちゃんが――」
「きらな」
声。
優しい、声だった。
突き放すのではない、包み込むような温かい声だ。自分の状況など知ったことではないと言うように、ただただ他人のことを気遣う、その母性に満ちた愛。
お互いを知らずにすれ違い、衝突し合い、でも諦めずに関われば、分かり合うことができる――れいれときらなは、そうして関係を築き上げることができた。
だけど今は、きらなが生きて、れいれが死にかけている。
残酷な運命である。異界と関わったことで、もうきらなもれいれも、充分に狂っているのだろう、そういう運命に、変わってしまったのだ。でも、そのおかげできらなはれいれと、れいれはきらなと出会うことができた。だったら、必ずしも残酷な運命ではないかもしれない。
たった二日間の親友。
最高の友達。
命を懸けることができる、世界に一人だけの存在である。
幸せものだ、れいれも、きらなも。
「きらな」
名を呼び、れいれはきらなのおでこに手を伸ばす。撫でて、流れる涙を指で拭い、そして引き寄せる……、おでことおでこが、こつん、とぶつかる。触れる。
最も近い位置で、きらなはれいれの吐息を感じる。
「きら、な」
声が途切れそうになるが、れいれは言葉を紡ぐことをやめない。ただ名前を呼ぶだけだ。れいれが言うのだから、きらなもまた、れいれの名を呼ぶ。
「れいれちゃん――ううん、【れいれ】」
初めて名前を呼び捨てにされて、れいれがにこりと笑った。
れいれの体が冷たくなっていく。止まらない、体温の急降下。もうきらなも、止めることはしなかった。今のこの時間がなによりも大切だ。誰にも邪魔されたくなかった。リミットは後少ししかない……、時間まで、最後まで親友の生きている姿をこの目で、今を、感じていたい。
「れいれ」
「きらな」
言葉はいらない。動作もいらない。人間という種が作り上げてきたコミュニケーションの方法など全て捨て去り、だけど、二人は繋がり、なにもせずとも気持ちが伝わった。
「きらな――世界を、任せたよ」
最後の言葉を残し、れいれの体が崩れていく。花びらのように舞い、風に乗って、天へ、遠くへ、れいれが旅立っていく。
使者の死体は残らない。
形はなくなり、生きていたという証拠も残らない。
でもきっと、どこかで見ているはずだ。
きらなは、そんな気がした。
「…………」
無言で、きらなは地面に落ちている、れいれが持っていてくれた、紅のキラー・マシン、【紅猛攻の刀身】を掴む――握り、ぎゅっと、込める。
純粋な殺意だけど、違う。
暴走ではなく、きちんとした制御だ。
紅の使者——朝日宮きらな。
「れいれとの約束、破るわけにはいかないよね。
さて、それじゃあ守ろう、世界を守ろう。恨んだことは何度もあった、でも嫌いになったことは一度もなかったこの世界を、守ろう。悪魔も人間もなにもかも、一つの例外なく、手の平からこぼれ落ちることを認めない――。
みんなを守り、助けて、救うんだ」
そこにはきちんと、自分も含めて。
きらなは、口には出さず、そう付け加えた。
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