第37話 憑依状態

 石切萌夏はゆらーり、ゆらーり、と体を左右に揺らしながら、足元がふらふらと、体重が右往左往する。きらなに、動きを予測させないような動きだ。それともまともな状態ではないだけなのか? 意図的にせよそうでないにせよ、結果、きらなは彼女の動きを読めていない。

 萌夏が次にどういう行動を起こすのか、まったく予想がつかないのだ。


 このまま戦うしかないのか、それとも話し合う余地があるのか、それさえも分からない。


「(萌夏だけど、違う――やっぱりれいれちゃんの言う通り、憑かれている――? ってことなのかな。たぶん、夜須子は、萌夏の後ろにいる『なにか』に気づいていない……。でもわたしの目には薄っすらと見えているから、これは使者としてのアドバンテージかな。

 あれは悪魔だと判断するべきなのだろうね。でも、どうしよう……。わたしは今、キラー・マシンを持っていないっっ!!)」


 れいれに取り上げられてそのままだ。【紅猛攻の刀身】は、手元にない。それは悪魔と戦うことができないことを意味している――あれがなければコスプレのような巫女服にも着替えられない。攻撃も防御も、今のきらなは夜須子と状況が変わらないのだ。

 明らかに、まずい。

 敵を前にして丸腰だ、それは殺してください、と言っているようなものである。


「『新しい、人間か……』」

 萌夏の声と、もう一つの声が重なっている。まるで二人いるように感じられるが、意思を持っているのは一人、持っていないのが、一人だ。


「『そこに座っている女は、殺すリストには入っているが、そこの子供の、お前』」

 悪魔にまで子供扱いをされたことに、少し腹が立つ。だがここで文句を言えるほど、きらなも度胸があるわけではなかった。ここはスルーし、相手の言い分を聞くことにとどめる。


「『お前は違う、お前は、殺すリストには入っていない。お前は、被害者だ』」

 と言った。


 被害者とは、いじめのことを指しているのだろうか。だとしたらなぜ、悪魔がそれを知り、それを言い、殺す、殺さないの判断をしているのだろうか。

 瞬間的に導き出した予想は、ほとんど答えのようなものだった。

 それしか考えられない――。まさか、とは思うけど。


 つまり、悪魔の意思は、萌夏の意志だ。

 萌夏はいじめの加害者を選別し、殺している――。


 だから、きらなは殺されることがない。だが、それは同時に、夜須子は見逃されることがない、と意味している。きらなに向かない殺意は、漏れなく夜須子に向いている。そして、憑かれた萌夏が、全速力で駆ける――常人には出せない速度だ。

 きらなではなく、隣の夜須子に迫り、いくつ持っているのか――握ったナイフを、夜須子に振り下ろす。


 死が迫る。夜須子が悲鳴を上げた。

 きらなはそんな彼女の前へ飛び出した。ナイフに慣れたわけではない、怖い、それは変わらない。それでも飛び出せたのは、もう反射だ。考えたわけではなかったのだ。

 もしかしたら、紅猛攻の刀身を握った、魔法少女でいた時の経験が、覚えていたのかもしれない。頭ではなく体が、咄嗟に危険を察知して行動に移した。振り下ろされるナイフを、側面から叩き落とそうと、手刀で迎え撃つ。だけど失敗した――そんなに甘くはない。

 みねうちではあるが、きらなは悪魔の物理的な力により、真横に押し飛ばされる。


「い――っ」

 声を漏らし、きらなは地面を削り、二十メートルを滑る。そして止まった。

 全身を擦りむきながら、だけどきらなは立ち上がる。


 自分は関係ないから――そんな理由で友達を見捨てたくない。

 一瞬でも、萌夏の――いや、悪魔の言葉に惑わされて、夜須子を疑い、信じられなくなってしまった罪滅ぼしのためにも。

 ここで逃げるわけにはいかない。


「『人間は、やはり分からない。なぜ他人のために、傷つき、苦しみ、立ち上がって同じことを繰り返す……。悪魔には到底、理解できない思考回路だ』」


「そんなの、他人じゃないからだよ」


 きらなは、孤独で、なにも知らない悪魔に向かって、


「他人じゃなくて、関係を持っているから、人間は立ち向かえる」


「『どちらにせよ理解はできないな。まあ、理解できないものを、わざわざ理解することもないか――おい被害者、さっきは殺さない、とは言ったが、それはこちらが自発的にお前を殺さない、というだけの話だ。邪魔をし、立ち向かうのであれば、遠慮なく加害者と同じように殺すが、文句はないな?』」


 ぶわっっ、と萌夏の視線から放たれる殺意が、きらなの体を突き刺す。立ち向かいたくないという正常な感情が溢れてくる。だが、きらなは押し殺す。ここで引けば、殺されるのは夜須子である――まずは、とりあえず、キラー・マシンがない今のこの状況でも、夜須子を逃がすことくらいはできるだろう。そう判断した。きらなはジェスチャーで彼女に指示を出す。


「……へ?」

 しかし、パニックになっている夜須子には伝わらない。今回に限れば、きらなのジェスチャーが下手というわけではない。それでも分かりにくいとは思うが……。見えてはいても理解できない。きらなの必死のジェスチャーもどこかの国の踊りとしか思われていないだろう。

 ふざけないで、という言葉が出ないのも、パニックだからゆえか。


 こうなれば、隠し事は本末転倒だ。口で言った方がいい――突き飛ばしてしまえば、衝撃で夜須子も動いてくれるはずだ。


「『その加害者を逃がす、か。だが、遅い。攻撃をしないで待つのも退屈だぞ――被害者』」

 

 きらなが駆け出すよりも早く、萌夏は既に動いていた。きらなからすれば、点から点を繋ぐようなルートに沿って動いたようには見えなかった。そこの過程がない……。

 まるで瞬間移動だ。


 そんなもの、どう対処すればいいのか……。

 きらなにはどうしようもない力だ、諦めろ、と突きつけられた気分である――。


「ちょ、待って! お願いだから、待ってよ!!」


「『待たない。こちらの気持ちも考えろ、全てが思い通りにいくと思うなよ』」


 萌夏は迷いなく、加害者ではあるが、しかし友達でもあるはずの夜須子に向かって、握るナイフを振り下ろ――、



「『全てが思い通りにいくとは思うな』、ね。よく分かっているじゃない、悪魔にしては」



 夜須子に迫っていた萌夏は、真横からの回転蹴りに、耐えることができなかった。空中にいたために踏ん張ることができなかったのだ。衝撃をまともに喰らう。

 大きく吹き飛ばされ、近くの塀に、背中を勢い良く打つ。崩れた瓦礫に体の半分が埋もれた。


「あ……、れいれ、ちゃん……」


「起きちゃったのね、きらな。

 いや、まあ勝手に出て行ったことは謝るわ。だから怒らないでよ」


 きらなはなにも言っていなかったが、しかし表情で分かったのだろう、れいれが言ったことは、きらなが内心で思っていたことと同じだった。

 きらなとしてはそこまで怒っていたわけではない。謝ってくれればいいのだ、謝れば許す。

 それだけである。

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