第34話 石切萌夏 その2
がちゃり、と扉の鍵が開く。一般家庭の一軒家とは思えないような大きな門を抜け、玄関の扉の前へ到着する。すると、二回目の、がちゃり、という解錠の音が聞こえ、玄関の扉が開いた。
顔を出したのは、きらなにとっては、忘れることがないだろう、石切萌夏、本人である。
染めた金髪を腰まで伸ばしている。変わらない派手さだ。手にはブレスレット、首にはペンダント。耳にはピアス、指輪をはめている……、外に出ず、引きこもっているのになぜそんなにも飾る必要があるのか、きらなには分からなかった。
女子力が低いだけか?
そんなことはともかく、きらなは「久しぶり」とだけ、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。そのまま、中へ入ろうとするが、
「ちょっと、なんなんだよ、いきなりきて、勝手に入ろうとして――確かに『入って』とは言ったけどさ、それはここまでの距離のことを言ったんだ。部屋まで、とは言ってないっつの。下がれよ、きらな。卒業したからって、あたしたちの関係が変わると思ったら大間違いだ」
「……間違いじゃないよ、関係は変わった。というより、元に戻ったんだよ。上下もなにもない、真っ白にね。どっちが上で、下かなんてないよ……、ここにきたのは友達の頼みごとだから。でも、個人的なことも、あるけどね……。
ここで話すわけにはいかない。だから、中に入れてくれる?」
きらなの平気そうな表情と態度を見て、れいれは安心したが、それも一瞬のことだ。きらなは、後ろで自分の手の皮を、血が出るほど、爪でつねっている。痛みで恐怖を紛らわせていたのだ。そんな血だらけの手を見て、れいれは、きらなの手をぎゅっと握る。
大丈夫、と握った感触だけで伝えて、きらなもそれに応えるように、握り返す。
おかげで、心臓の鼓動が落ち着いてきた。
「入らせるかよ、部外者を勝手に家に上がらせるわけにはいかないね」
「門の中までならいいのね。でも、ここまできたら、もしもの話だけど――殺人犯であれば確実にあなたを殺せると思うけど?」
れいれの言葉で、萌夏の表情がさっと青くなる。病人のような顔色だ。きらなを見ても、怯えるような精神状態である……。萌夏はすぐに逃げる態勢になり、開けていた玄関の扉を勢い良く閉めた――だが、それはきらなが出した腕によって止められた。
「あぐ――ッ」
肘に走る激痛に堪え、片手で閉まった扉に手をかける。そして、引っ張った――。
心配の声を上げたれいれも手伝い、二人がかりで扉を引き、二対一だ。
これでは萌夏に勝ち目がない。
「萌夏……」
「なんなんだよ……なんであたしに構う!! もう帰って――帰れ!! 二度とあたしに顔を見せるな! ――殺人犯? 知らないよそんなの! あたしは家にいるのが好きだから家にいるだけだ、関係ない――関係ないんだよ!! きらなが、オマエが、あたしを見上げるなよ!!」
萌夏はそう叫ぶが、しかしきらなは分かってしまう。今の萌夏には、中学時代ほどの迫力も、威圧もないと――。だからこそ、きらなも会って、壊れることがなかったのだ。萌夏は言葉ではなく、瞳や雰囲気で、『もうどうにもできない状態から抜け出せない――だから、助けて』と言っている――きらなはそう読み取った。
夜須子の言う通りだ。萌夏は、弱っている……。
ざまあみろ、とは思うが、だからと言ってこのまま放置するきらなではない。
元から、そういうことができないタイプなのだ。
きっと、きらなは損をするタイプだ。
だけど、絶対に後悔はしないタイプであるとも言える。
萌夏を助けたい。そう思った。
過去は関係ない。単純に、目の前に困っている人がいたら、力になりたい……実際に行動するかどうかはともかく、普通の思考のはずだ。きらなは萌夏を諦めることができなかった。
彼女が拒絶すれば、尚更、放っておけなかった。無理やりにでも、助けたい。それはきらならしい、いじめっ子への復讐……嫌がらせだった。
わたしに助けられるのは、プライドが傷つくでしょう? とでも言いたげに。
きらなは無理やり、萌夏を襲うように、彼女の体に飛びついた。
その勢いのまま、彼女を玄関で押し倒す。
侵入に成功した。
そして、続いて入ったれいれが、玄関の扉を閉める。
がちゃり、と鍵を締め、チェーンをかけた。
「ちょ、お前ら――」
「いい?」
れいれが見下ろし、
「きらなは、あなたを救うつもりで動くけど、私は違う。私は、あなたが隠していることを全て、どんな手を使ってでも、掘り返すから。それだけは覚悟するように。まあ、きらなに嫌われない程度にだけどね」
言って、れいれが玄関で靴を脱ぎ、部屋へ上がる。きらなも、萌夏に馬乗りになっている状態から立ち上がる。萌夏は積もったストレスを発散させるように、近くの壁を殴り、そして、
「……部屋は二階の、右の扉よ。そこ以外は、絶対に開けるな」
と、人差し指を差して言った。
萌夏の部屋。
そこはピンクで統一されている、可愛らしい部屋だった。彼女には似合わない……、思いながら部屋を見回し、そして三人、向かい合わせに座る。
萌夏はピンク色の熊のぬいぐるみを抱えながら、不機嫌そうに、きらなとれいれを交互に睨みつける。
「で、なんなのよ、一体……。わざわざここまであんたがくるなんて、珍しいじゃない。というか、普通はこれないよな? 誰かに言われてきたの? 結局、一人じゃなにもできない、あの頃のままですねー、きらなちゃん?」
「そういうのはいいから」
きらながぴしゃりと言う。
彼女が得意とする挑発には慣れたものだ。
「さっき、『殺人犯』の言葉で動揺したよね? 表情で分かったよ。相変わらず、ポーカーフェイスは苦手みたいだね――それで、本題は一つだよ。萌夏、いま起こっている殺人事件について、知っていることがあるなら教えてほしい」
あなたを助けられるかもしれない、という目的は伏せたまま――、
「ないよ」
萌夏は一言で、きらなとれいれの厚意を拒絶した。
「夜須子から聞いているから、誤魔化さなくてもいいよ、意味ないから」
「……ちっ、あいつ……、余計なことをべらべらと――。で、だからなんだよ? ヤスに言われたからここにきて、それで、どうしたいんだ? 言っとくけど、なにも知らない。あたしが知っていることは、ヤスも知っている。
ミズが死んだこと、ハガさんや、ググルさんが死んだこともな……。誰が殺さたのか、くらいしか知らねえよ。――もういいだろ、帰れよ、邪魔なんだ」
「帰らない」
きらなは真っすぐ、瞳を萌夏にぶつけるように、逸らさない。
「わたしは萌夏を助けにきたの。なにかに怯えて家にこもっている、石切萌夏という友達を、わたしは救い出しにきたんだからっ」
殺人事件、殺人犯について、萌夏はなにか知っているかもしれない――だからきらなとれいれは、情報を得ようとここまで来た。だけどきらなにとっては、それは二番目の目的だ。一番は、夜須子から言われた『萌夏を救ってほしい』という願い――。優先するべき目的だ。
最初からきらなは、一番目しか見えていない。萌夏は二番目を否定し、追い返そうとしただけだ。それでは足りない。きらなの目的は一番目であり、二番目ではない。二番目を消したところで、走ることはあっても、止まることはないのだから。
目的が二つであれば、意識は分散する。だが、一つだけなら――。意識は一つにまとめられる。集中力の全てがそこに注がれることになる。
きらなが『救う』ことに執着している様子を見て、萌夏は溜息を吐いた。
そして、思い出したように、うんざりとした目に変わる。
「……その目だ、その目が、うざくて、鬱陶しくて、中学の頃はいじめていたのかな……、って、数か月前のことだけどさ。最後は、その目は濁っていたのに、なんだよ、元に戻ってるじゃないか――。なんで……、眩しいんだよ、むかつくんだよ……その目が、うざいんだよ!!」
萌夏の怒号が部屋に響く。閉め切った窓の外にも届いていそうな声だった。きらなは驚いたが、だが、視線を逸らすことも、引くこともしなかった。逃げないと決めたのだ、ここは受け止める。しかし、萌夏が机の上にあった、ある物を掴み、きらなに見せる。
そこで、きらなが塞いでいたトラウマが、再び漏れ出してくる。
「う、あ……ッ」
「あ、やっぱり覚えているわけ? この歯ブラシ……」
正確には『これ』じゃないけどね、と萌夏。
彼女は歯ブラシをぶらぶらと揺らしながら、ニヤリ、と不気味に唇を歪め、
「きらなの処〇を奪った歯ブラシでーすっ、ひゃははっ、思い出した? 思い出してくれたっかなーっ? きらなをいじめる道具は、あちこちにまだあるかもね。見れば見るほど、意識すれば目につくだろう? 部屋に入ったのが間違いだったってことさ――トラウマを刺激されたくなければ、さっさと帰ることだな、きらなちゃん?」
口をぱくぱくと開閉させて、きらなは頭の中に生まれた黒い闇に、飲み込まれそうになる。対抗しようとするも、拒絶反応が出て、体が震え出す。完全に、負けている、トラウマに、ねじ伏せられている――。
あの歯ブラシが、体の中に入ってきた時のことを思い出す。鮮明に。感覚も、痛みも、本物かと思ってしまうほどだった。
「ひぃ、うぁあ……、ぎ――あ」
きらなは俯き、そこで地面に水滴が滴っていることに気づいた。その水滴は、自分のものだ。それに気づくのに、短くない時間を必要とした。思考がまともじゃない……。ぞっとするような、恐怖ではなく、もうダメだ、と思わせられるような、汗の量だ。
滴る。滴る。
寒気がするほどに、内側から冷えていく。
このままトラウマに身を任せ、発狂した方が楽になるのではないか。
対抗することが間違いなのではないか。そんな諦めの気持ちが生まれてきた。
きらなが諦めかけた、その時だった――。
れいれが、萌夏の顔面を、思い切り殴り飛ばした。
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