ドロドロ編

第29話 発見後の職員室

 緊急集会がおこなわれるわけでもなく、学校側の対応は『生徒全員は帰宅』というものだった。大半の生徒はおとなしく帰る準備を始めたが、しかし、言われておとなしく帰る一年一組の生徒ではなかった。

 担任の教師が殺されたのだ、はいそうですか、と納得できるはずもない。

 民美を先頭に、クラスメイトが列を作って、一年一組の全員が、職員室へ乗り込む。


 途中、教師の制止もあったが、こっちは三十名もいるのだ、大した障害でもなかった。

 列の中には当然、きらなもいる。れいれは嫌がったが、死体であれ気識の姿が見たいという理由で、ついてきている。


 恐らく、この列にいる生徒の中で、犯人を見つけ出して捕まえてやる、と思っているのはごく少数だ。れいれと同じく、ただ気識の姿を見たいだけだ――、

 殺人犯のことは、怖い。

 恐怖をがまんしてまで、自身を危険に晒し、捕まえようと思う勇者は少ない。


 職員室にいた教師が、列を作る生徒へ、

「――すぐに帰りなさい。気持ちは、分かるが……子供が見ていいものではない。君たちのために言っている。だから、すぐに帰りなさい」

「嫌です」


 きっぱりと言い切ったのは、十八木民美である。

 それを聞いた教師は、怒るわけではなく、疲れ切った表情で目を伏せ、


「……すまない……」

 そう呟いた。


「私の責任だ。気識先生に昨日の失敗を指導したのだ、加えて夜遅くまで残業をさせてしまった……たぶん、その時だ。その時に、殺されたのだろう……そうだ、そうなんだ! 私の、私のせいで! 私のせいでなければ一体、誰のせいだと言うのだ!? ――私が、わ、たしが!!

 彼女の代わりに死ぬべきではなかったのか!?」


 がっ! と、彼は近くにいた生徒の肩を掴み、前後に激しく揺さぶった。

 目が充血している。彼も余裕がない証拠だ。生徒よりも追い詰められている。

 瞳は真っ赤に――罪の意識のせいで、まともな状態ではない。


「やっ、ちょっと――離してっっ!!」


「どうしてっ、気識先生がこんな目に……ッ、こんなことになるならおとなしく早く家に帰しておけば良かったんだ……また明日、頑張ってくださいと指導すれば、それで充分だったじゃないか……くそっ――くそおっっ!!」


 教師の手に力が入り、掴まれている生徒が痛みを訴え始めた。気づいたきらなが生徒を助けようと前に出ようとするが、しかし足が出なかった。怖気づいた? 違う――、それは腕を掴まれ、止められていたから、である。

 後ろには、静崎煙子が立っていた。


「きらな、危ないから行っちゃダメ」

「なんで! あの子が嫌がっているのに、でも、先生は止まらなくて……っ、だったらわたしが行ってやめさせないと――」

「そんなの、必要ないよ」


 煙子の言葉の意味を探るきらな。

 しかし答えを導き出すよりも早く、実際に目の前で起こっていた。


 固まっている一年一組の間をすり抜け、民美を越えて教師の前に立ったのは、入学二日目で既に『冷酷の二番』とクラス内で呼ばれている、れいれであった。

 彼女は怯える女生徒を、教師からの束縛から力づくで助け出す。そして、ひやりとした雰囲気を周囲に伝播させながら、


「自分を責めるのは勝手だし、責めたいのならば責めればいいし、そこの自由に、私が干渉するつもりはないけど、でも、あなたの自己満足に生徒を使わないで。

 あと、犯人とか、誰のせいだとか、原因はなにとか、そんなものを私は望んでいない……みんなもね。ただ、先生の顔が見たいだけなのよ。たとえ、形が崩れていても、それが気識先生だと分かればそれでいい。それでも最後にちゃんと見たいのよ。

 懺悔はいいから、ここを通して。先生の顔を見せて。昨日、出会って、数十分ほどしか顔を合わせていないけど、それでも気識先生は私たちの担任の先生だったのだから」


 れいれの気持ちは、一年一組の総意であり、たった一つの要求だった。

 彼女に続き、民美も前に一歩出て、懺悔をする教師を腕で押しのけ、職員室のさらに奥へ。

 そして、静かに、聞いた。


「――先生は、どこにいるの?」


 民美の声は、音量も迫力も普通のものだった。威圧も敵意もない。だけど聞いた側はその要求に誰も拒否することができず、絶対に生徒には教えてはいけないと指示を受けていた気識の死体の居場所を、あっさりと吐き出してしまっていた。


「ありがとうございます」


 その場から動けなくなる教師たち。お礼、感謝を言っただけだ。笑顔で。にもかかわらず、教師たちは民美のことを、まるで人間ではないような視線で見ている。

 いつものように振る舞ってはいるが、やっぱり違うものだ。

 誰もが今の民美には声をかけづらい。


「――みんな、行こう」


 言って、民美はクラスメイトが頷くのを待たずに、先を急ぐ。その後ろにれいれが続き、ぞろぞろとクラスメイトがついて行く。だが、そこで弧緑が動けず、立ちすくんでいることに気づいたきらなが、彼女に向かって声をかけた。


「弧緑ちゃん……」


「無理、ムリよ……。死体を見たくないとか、そういうことじゃなくて……いや、そういうことではあるんだけど……でも、それ以上に。今の、民美を見たくない……。

 あんなに感情を押し殺しながら怒っている民美は、見たことがない――。ごめんね、きらな。あたし、ここが限界かもしれない……、先生を、見れない。気識先生の、最後を見れないの……あたしは、情けないよ……」


「ううん、そんなことないよ」

 弧緑は、そんな甘い言葉を信じないと思うだろうけど、でも、きらなは続けた。

「情けなくなんかない」


 弧緑はなにも言わない。

 きらなもなにも言わずに――そしてきらなは、自分の手を握っている煙子に向けて、

「煙子ちゃんは、どうするの?」と聞いた。


「私は、分からない」

「そっか……なら、弧緑ちゃんと一緒にいてほしい。支えてあげてほしいの。煙子ちゃんが今できることが、それだよ。お願い煙子ちゃん、頼まれてくれる?」


 煙子は、握っているきらなの手を離した。もしかしたら初めてかもしれない。煙子がきらなの手を、自発的に離したというのは――。


「ありがとう、煙子ちゃん。わたし、見てくるから。きちんと、この目に――。

 そして絶対に、犯人を見つけ出すから」



 最後の呟きは、二人には聞こえなかったらしい。


 それから、きらなは列を追いかけ、やがて辿り着く。


 気識誉の死体がある、教室に辿り着いた。

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