第25話 悪夢の日
口の中に広がるのは石鹸の味だ。絶え間なく口の中に突っ込まれている。ずっと、ずっと、お腹を蹴られているから、その衝撃で口の中にある石鹸を吐き出してしまう――それが彼女たちにとっては苛立つ原因になっているのだろう……、わたしの目の前にいる彼女は、また石鹸をわたしの口の中に、無理やり詰め込んでくる。
わたしは石鹸を吐き出すと蹴られて、同じことを繰り返すことになると知っている。だから嫌ではあったけど、がまんをして石鹸を飲み込んだ。ごくり、と異物が喉を通っていく。体が拒否反応を示し、吐き出すはずだけど、そんな衝動もぐっと抑えて。
でも、やっぱり体は正直だ。がまんしても吐き気が勝る。意識をすればするほど、異物が食道を逆流し、最後には吐き出してしまう――。
だから、繰り返しなのだ。女子トイレで石鹸を口に詰め込まれ、吐いて、蹴られて。
また吐いて、詰め込まれて吐いて――永遠に続く。
それは一日の出来事ではない。毎日だ。学校がある日は、絶対に。わたしの中学生活はそればかりで、それしか、思い出はなかった。地獄だった。でも、天国を知らないから、地獄だって分かるはずもない……それでも、やっぱりこれは地獄なんじゃないだろうか、って思う。
抵抗すればいいのだろう、と何度も思った。だけど、それは無理だとわたしは分かっていたのだ。それは精神的なことではない。物理的に、無理なのだ。縄で縛られ、身動きが取れないのだから。その状態のまま、全身を余すところなく蹴られ、殴られて。それがずっと続けば、感覚なんて麻痺していく――慣れ、だ。
苦しいことに慣れていく。だけど苦しくないわけじゃない。
たぶん、わたしはもう死んでいるのだ。
生命活動が停止した、という意味じゃなくて。
人間という個人として生きていくための権利が、もうない。わたし自身も手離してしまっているのだと思う。人間じゃない、化物。わたしは人間としてはもう、死んでいるのだ――。
みんなが言う。生徒はもちろん、先生までが。
他校の生徒も、わたしの学校にわざわざ来て、わたしに、言うのだ。
「よお、化物」って。
そして、日によって違いはあれど、でもみんな、似たようなことをわたしに注文してくる。
「新しいスタンガンを買ったんだ、ちょっと試しに使わせてくれよ」
体に、押し当てられて。
威力を、試される。
ダメとは言えないのだ。頷いたところで、拒否をしたところで、結局、わたしはスタンガンの餌食になるのだから。
だからわたしは、途中からもう「許可を求めないで」と言っていた。面倒だったのだ。そこでもう、わたしは認めてしまっていたのだ、この扱いに――化物であることに。
自分で言っていた……、
お前は化物だ、と。
そして付け加えるのだ――、救いようがないほどの、と。
両足を組んだまま縛られ、両腕は壁に取り付けられ。身動きが取れない、口だけが動くその状態で、わたしはバチバチと音を鳴らしながら迫ってくるスタンガンを待ち構える。
数センチの距離などもう関係ない。一瞬で潰れる距離でしかない。
スタンガンはわたしの服をまくり、蹴られ、殴られ、青あざに染まった傷だらけになっているお腹に充てられる。スイッチ一つでスタンガンが起動する。周りにいるクラスメイトの子や、そうでない子が、ニタニタと口元を歪ませる。わたしを見続け、中にはスマホで撮影をしている人もいる――そして、誰かが言った。
「化物、討伐っ」
スイッチが押され、そして。
心臓を止めてもおかしくない改造スタンガンの威力が、わたしの体を――、
びくびくんっ、と、跳ねさせた。
――
――
「――はう!?」
きらなは汗だくになっている体をベッドから起こした。
……どうしてベッドに……、寝ていた……?
寝る前の記憶を思い出そうとしてみるが、結果は振るわない。
民美や煙子、弧緑との仲良し会は覚えているのに……、
まるで、知りたいところだけが黒く塗り潰されているようだった。
「なんで、今になってあんな夢を……。懐かしい、なんて思いたくないけど……。でも妙にリアルだった……、過去に遡ったみたいに、現実だと思っちゃったよ――」
頭がぐちゃぐちゃに、どろどろに、かき混ぜられたような感覚。きらなは左右に頭を振ってみるが、それでも、頭の中の異物感が消えることはない。朝に感じたものと同じであるということに気が付いた。前回は、ここまで鮮明に、昔の記憶が夢として出たことはなかった――なのに。
どうして今回は、ここまではっきりと出たのだろうか。
運悪く、かもしれない。それで片づけでもいいのだが、なんだか、嫌に気になってしまう。
すると、
「それは、君の殺意衝動が激しく呼び起こされたから。
だから夢として、鮮明に出てきたんだと思うよ」
と、きらなが座っているベッドの隣から、声が聞こえた。だけど右を見ても左を見ても、声の主はどこにもいなかった。やがて「こっちだよ」と声が聞こえてきた。
でも、聞こえてきた方向は、いやあり得ないだろ、と思う。それでも騙されたと思って上へ、視線を向けてみると――天井に、ぶら下がるように、逆さまに座っている少女がいた。
群青の王・レーモンである。
「いま起きたのかい。すっごくうなされていたようだけど、大丈夫かい?」
「わ、わわ、わわわわ――」
口を開けたまま硬直し、閉じることができないきらな。
驚いたきらなが体重を支える手をベッドにつけたつもりが、ずるり、と端から落ちてしまう。
当然、支えを失った体が、ベッドから落ちてしまうが――、
怪我はしていないが、それでも怪我人と同様に体力を失ったきらなだ。地面に落下した時の衝撃を上手く逃がすことができるか、と言われれば、確実に無理だ。
せっかく怪我をしていないのだ、こんなことで怪我をさせるわけにはいかない。
やれやれ、と呟き、ベッドから落ちるきらなを素早く助けようとしたレーモンが動き出し、しかし、すぐに行動を中止させる。
レーモンが動く必要などなかったようだ。
レーモンよりも素早く、落下するきらなの体を優しく、包み込むようにして抱きかかえたのは、パジャマ姿のれいれだったのだから。
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