第19話 赤い少女 その2

 きらなの質問に、エミールは簡単に、「うん」と頷いた。

 そこで、きらなの怒りが確実なものへ変わる。


「だったらなんでっ! なんでここまで追い詰められる前に助けてくれなかったの!? 

 わたしが逃げているのをずっと見ながら、笑っていたの!? 

 見ながら楽しんで、面白がっていたのッ!?」


 エミールがきらなを助けなければいけない、という義務はない。助けるも見捨てるも彼女の勝手だし、どちらを選んでも、きらなは文句を言えない……でも。ここまで危険な目に遭ってしまえば、きらなも文句の一つも言わない、なんてことはできなかった。

 自分勝手だ。わがままで、無差別に人を傷つけるような、八つ当たりでしかない。

 そう頭では理解していても、口は止まってはくれなかった。

 言わないと壊れてしまうと、本能で察知したのかもしれなかった。


「悪いな」

 と、表情こそ変わらなかったが、エミールが言う。

 少しくらいは、そう思ってくれていたことに、救われた気がした。


「助ける気はあった。今、こうしておまえを助けてるわけだしな……。

 でも、無傷で、とは、最初から考えていなかったのは本当だ」


「なん、で」

「こっちの理由だ。この理由は、おまえに直接、関係があることでもある」


 言いながら、エミールがごそごそと黒いマントの内側に手を突っ込んで探る。

「うんしょ、あれ? こっちか? あれ?」という声が聞こえてくる。マントが膨らんだり萎んだりを繰り返し、しばらくして、探し物を見つけたらしい。エミールが片手を抜き取った。


 その手には、一振りのナイフが握られていた。


「ない、ふ……」

「そう、おまえらの世界で言えば、これは【ククリナイフ】って言うらしいな」


「いや、あんまりナイフのことは知らないから分からないけど……」


 そうか、とエミールは若干、落ち込んだようだ……意気込んで話してみたら、自分の知識に相手が追いついてくれなかったマニアのようにも思える……ともかくそのククリナイフ? をくるくると手元で弄びながら、切っ先をきらなに向けてぴたりと止める。曲芸のようだ。

 ナイフときらなの距離は、数ミリしかない。一歩間違えれば眉間に切っ先が刺さっていた。


「うわ!?」ときらなが飛び退く。だけどエミールはきらなを追うように、ナイフと共に前に進む。維持した数ミリを崩さず、近過ぎず、遠過ぎず。どういう意図があり、エミールがこんなことをしているのか、混乱のせいじゃないだろう……きらなには訳が分からない。


 ナイフの赤い刀身が、きらなの目の前にある。

 紅……、無関係とは思えなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよっ! 

 なんでこんないきなり――エミールは敵なの、味方なの!? はっきりしてよっ!」


「味方」


 しかし、思っていた予想とは違う。

 中立、だと言うと思っていたが、完全にこっち側だと言った。

 味方である、と。


「味方だよ、間違いなくな。悪意はあっても、敵意はない。敵になったところで、おれにメリットがないんだ……メリット、デメリットで動いているつもりはないけどな。でも、今回ばかりはメリットがねえからな。メリットを言い訳にして、おれはおまえの味方だよ」


「味方なんだよね?」

「味方だ」


「信じても、いいの?」

「信じていいんだよ」


「ほんとに?」


「ほんとに。

 過去のおまえになにがあったのか知らないけどなあ、おれはおまえを裏切ることはしねえんだよ。おまえの中の、過去にいた奴と一緒にするな。時代は進んでんだ、人は成長するし、人は変わる。過去と一緒の世界のまま、世界が進むと思うなよ。

 過去と今は違うんだ。

 人をそうやって疑うおまえは、おまえこそ、変われていないんじゃねえか?」


「…………」


 きらなは沈黙する。言い当てられた、と思ったからだ。

 そうこうしている間に、だ。駅のホームに一つの声が響き渡る。声、というよりは叫びであり、エミールとは違う、これが敵意、と呼べるようなものだった。



『グボァァァァァァァァァァアアアアアアッッ!!』



 白い巨人の雄叫びだ。

 階段に縫い付けられているはずの巨体が、やがて、起き上がってくる。


「――えっ、まさかもう、十分も経って……っ!」


「さて、そろそろ本題に入ろうか、きらな」


 遅過ぎる。だから巨人が起きてしまったのではないか?

 思っていても口には出さない。出せばまた話が逸れるだろう。

 ミイラ取りがミイラになるわけにはいかない。


「追い詰められたこの状況、逃げるも、逃げないも、きらなの選択で自由に実行できるこの状況で、聞くよ。きらな。この赤いナイフをその手で取って、あの巨人と戦うか?」


「わたしが、あの巨人と……戦うの?」


「そう。おれの力じゃ、拘束するがやっとだ、倒すなんてできやしない。でも、きらなならできるんだ。このナイフを取れば、きらなは力を得ることができる。

 その力は、普通じゃないってことは、きらなも気づいてるんだろ? 

 おれは普通じゃないし、あの巨人だって普通じゃない。きらな側の世界――それを【人間界】と言うのならば、おれや巨人は、人間界とは別の【異界の存在】ってことになる。

 異界のものを倒すのに、人間界の武器――つまりは戦車とか大砲とか、兵器で倒せるわけがないんだ。目には目を、歯には歯を、異界には異界の、それらに適した道具ってのがあるもんなんだよ。きらなはそれを扱うだけでだ……人間が、異界のものを扱うだけだ。

 いつもなら悩んでいいって言うんだけどな、でも、今回に限っては早急に選んでもらう。おれがそう仕組んでいるから、ま、なにを言っているんだって感じだけどな。

 でもまあ――どうする、きらな? 

 ここでナイフを取れば、お前は力を得て、あの巨人に勝てるかもしれない。

 ここでナイフを取らずに逃げれば、逃げ切れなくて、死ぬかもしれない。

 どっちにせよ結果は二通りある。どっちが良くて、どっちが悪いかなんてのは、おれには分からない。だからさ、選べよきらな。終わらせるか始めるか、おまえの人生に聞いてみろよ――」


 ナイフを取れば力を得ることができる。でもそれは、今の人生を捨て、新しい人生を迎えるのと同じことなのではないか? なら、簡単に取っていいものではない気がする……、

 でも、取らなければ死ぬ。

 選択肢はあるようで、でも実際は、ないのだ。


 生きたいか死にたいか、どっちかだ。


 巨人だ王だ異界だなんだと常識から遠く離れた情報が出てきているが、きらなにとって、そんなことはどうでも良いことだ。エミールが何者であり、巨人がどんな仕組みで動き、きらなを襲っているのか、答えを知ったところで、興味はない。

 その先に踏み込む気はないのだ。


 きらなの脳の容量は、もういっぱいだ。

 生きるためにどうするか、そればかりがぐるぐると巡っている。


 そしてこの後、どうれいれと仲直りをするかで占められている。

 生きるか死ぬかではない。

 もう、生きることとれいれのことしか頭になかった。


 エミール? 白い巨人? 知らないよそんなこと。

 そんなことに脳の容量を割いている余裕なんてないのだ。


 だから選ぶ。選ぶまでもなく、答えは決まっていた。


 手を伸ばし、エミールが持つその赤いナイフをぎゅうっと握る。

 そして自分の胸に引き寄せた。そこで、きたなは――ドクン――と、

 体の内側から響く音を自覚する――目を見開いた。


 やがて、体が熱くなっていく。内側が燃えているような……、呼吸が荒くなる。

 それから、体に纏わりつく、赤い光があった。

 それがきらなを包み込む。


「ようこそ」


 体の異変に苦しむきらなを見つめながら、エミールが誘う。

 彼女の口元はぐにゃりと不気味に歪んでいた。

 全てを知っていながら、きらなを巻き込んだのだ、予定通りである。


「ようこそっ、きらな!!」


 かろうじて残っていた意識の中で、きらなはエミールのその言葉を聞いた。

 返事はできなかった。それどころではなかったからだ。

 意識が、段々と、闇へ引きずり込まれていく。落ちていく――。


 だから、きらなは最後のエミールのぼそぼそと呟いた声を聞けなかった。


 意識が、暗転する。


「こっちの世界で言えば、きらなは今日から【魔法少女】ってことになるんだろうなあ。

 それが一番近い呼び名だし、一番似ている呼び名だな。

 ――ししし、やっと取り戻せたよ。【くれない猛攻もうこうの刀身】であるナイフと、紅の【キラー・マシン】を扱う者……。

 いや、扱われる者であり、おれの相棒……、もう一度だけ言っておくよ、きらな」


 エミールは繰り返す。

 異界の王として、彼女に最低限の敬意を払いながら。



「――ようこそ、きらな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る