第18話 赤い少女 その1

 声が聞こえる。それは前方からだ。

 いつの間に現れたのか。誰もいないと思っていた駅に、人がいる……それだけできらなの心に余裕が生まれる。ただ……、味方かどうかはまだ分からなかったが。


 巨人ときらなの間に立つ人影。

 きらなが言うのもなんだが、小柄だ。


 黒いマントに全身を包まれている。フードを目深に被り、表情もほとんど分からない。

 ちらりと隙間から見えた唇や鼻、顔の下半分を見て、目の前の人物が【少女】だということが分かった。きらなよりも、少しだけ小さな体格――、だからこそ見た目で年齢を判断することはしなかった。

 自分がされて嫌なのだ、どれだけ小学生と間違えられたか、三桁に届いてからはもう数えていなかった。

 勘違いだけはしないように、慎重に相手を探る。

 

 雰囲気的に、落ち着いているので大人にも思えるが……、それに今のこの状況で割り込むことができる度胸がある。白い巨人や無人の駅の事情を知っているのかもしれない。まさか見た目通りの子供、というわけではないだろう。


 少なくとも、普通の少女ではないはずだ。


「よお」

 黒マントの少女がそう言った。


 その挨拶はきらなに向けて言ったのではない。

 背後、白い巨人に向けて言ったものだ。


「こっちは力がなくて節約しなくちゃならないってのによお、おまえみたいなのが暴れると、こっちも少ない力を使わなくちゃいけないんだよ。しかも攻撃性が高いわけじゃねえし、敵に使えば確実に無駄で終わる術を使わなくちゃいけないんだし――、

 ったく、あんまり余計な力を使わせんじゃねえっつうのっ!」


 少女が腕を横に振る。

 それだけで、白い巨人が紙のように、あっさりと吹き飛んでいく。

 三メートルの巨体が? 一切の質量を失ったように、だ。


 だけどぺらぺらになったわけではない。

 勢いのまま後ろの階段に強く背中を打ち付けていたのだ、厚みはあるようだ。


 がぐ、ぎぐぐ、と声なのか体から鳴っている音なのか分からない、怪しい音が聞こえる。巨人は体を起こそうとするが、腕も足も、動くことがなかった。

 階段に縫い付けられたように、ぴたりと静止している。


「ひ、う……」

 巨人に睨みつけられ、

(目、のようなものを認識してしまうと目にしか見えなくなってしまう)

 きらなは怯えが漏れる。


 巨人は攻撃を受け、吹き飛ばされたが、ダメージを受けたわけではなさそうだ。実際、受けていないのだろう、黒マントの少女がおこなったのは攻撃ではない――防御に近い攻めだ。

 相手を拘束しただけだ、動きを封じただけで、決して息の根を止めたわけではない。


 だから一生は続かない。いずれ引き千切られる時がくる。

 それがいつなのかは、きらなには分からない。

 まだ数時間の余裕があるのかもしれない――もう、数秒後のことかもしれない。


 そんな緊張感の中でも、きらなは彼女に注目した。


「……あ、の、あなたは……」


「おう、そういやおまえの存在を忘れてたな。おまえを助けに来たってのに、おまえの存在を忘れていたってのは、ほんと、馬鹿みたいじゃねえか」


 黒マントの少女が、きらなの不安でいっぱいの声に反応した。

 意外とフレンドリーだ。仲良くなれそうとは思えなかったが。


 彼女は、ししし、と虫捕り少年のような笑みを見せながら、被っているフードを片手で取った。出てくるのは、赤く輝く髪だ。血の色でも薔薇の色でもない……、これはルビーだ。宝石のような輝きが、髪から出ている。

 フードの中にあった長い髪を整えるように、彼女は頭を左右にぶんぶんと振る。濡れた体を乾かす犬のような……、


「あーもーっ、うざってえな。この髪の毛、切っちまおうかな」

「ダメだよっ!」


 思わず止めてから、きらなが慌てて口を塞ぐ。

 初対面の相手に言うことではなかったかもしれない。でも、美しいと思ったのだ。それを切るなんて、もったいないと思ったのは、本音だ。


 すると、黒マントの少女が驚いたような表情をしている。当然か、急に言われれば誰でもそうなる。本当に切る、切らないはともかく、返事を求めていない独り言に不意に答えられたら、そんな顔にもなるだろう。

 勝手な想像だが、赤い少女が、「ほれ、続きはないのか」と促しているような気がしたので、きらなはぼそぼそと言葉を続ける。


「いや、まあ、綺麗だし、もったいないかなあ、なんて、思ったりして」


「ししし、この状況でまずそんなことを思うのか。面白いな、おまえ――まあ、面白いからおれの選択肢に残り、しかもおれにその選択肢の中から選ばせた奴なんだからな。

 そりゃ、面白くないわけがないよなあ」


 と、少女は満面の笑みを向ける。

 だが、そこに裏も闇もないとは思えなかった。


「ん? ああ、なんか視線がちらちらとおれの後ろに向いていると思ったら、おまえ、あの巨人のことが気になっているのか。

 どうせ、いつあの拘束が切れるか、なんて不安を心に残してるんだろ? 安心しろ、あれは簡単に切れたりしねえから。

 そうだな、切れるとしても、あと十分くらいなら大丈夫だろ。こっちの世界じゃ、おれも思うように力は出ないけどよお、あの巨人を倒せなくても、拘束くらいはできる。

 ま、その拘束ってのも、頼れるほど強力なものでもないけどな」


「へ? えと、どういう――」


 マシンガンのように吐き出される重要そうな情報に、きらなはぐるぐると目を回す。ほとんど最初の方なんて覚えていなかった。ようするにまだ拘束は解けない、のだろうが、分かったのはそれだけである。

 できればゆっくりと一つ一つを解消していきたいが、そんな時間もなさそうだ。


 だからまず、謎を解くにしても、知っておくべき前提がある。


 少女の正体は?


「……あなたは、誰なの……?」


「おれか? まあ、この状況でおまえが巨人に、『あなたは誰なの?』と聞くはずもねえか。

 おれに聞いたんだろ……だよな。ふむふむ、別に名乗るのはいいんだけど、おまえ、おれが【くれないの王】と言ったところで、理解なんてできないだろう?」


 少女の言う通り、きらなは小首を傾げる。

 知識にはない。まあ、言葉だけを見れば、意味は分かるが。

 王。王様。キング……、じゃあ、偉い人?

【紅】というのは、髪の色を指している、わけではないのだろう。


「王だなんだの話はまだいいか……。

 とりあえず、おれの名前はエミール。

 カタカナの『え』に『み』に長い棒で『る』、だ」


 バカにした説明の仕方だが、今のきらなにはちょうど良かった。

 丁寧なくらいで理解できる。


「わたしは――」


 名乗ろうとしたところで、少女・エミールの方から「よろしく、きらな」と言われてしまう。

 ……どうして知っているの? という問いが表情に出ていたのだろう、エミールは、ししし、とイタズラにはまったターゲットを遠くから見ているように、笑っている。


 ばれているとは言え、言葉にしないのは気持ちが悪い。

 なので、


「……どうして、わたしの名前を知っているの?」


「どうしてっておまえ、おれがお前に目をつけてたっていうのは、さっきの会話から分かっただろ? それで知ってんだよ。――朝日宮きらな。体が小さいことが悩みであるが、つい今日、その小さい体に抱いていた悩みも克服したとか。そんなことも、おれは知ってんだよ」


「ずっと、見てたの?」


「見てた見てた。母親との会話から、ファミレスを経由し、それからここまでな」


「全部じゃんっ! 今日の出来事、全部じゃんっ!」


 最初から最後まで全部を見られていた。

 それは、まるで全裸を見られていたような恥ずかしさがあった。

 いや、それ以上かもしれない……、裸は一瞬だが、生活を覗かれているというのは、色々な情報を抜き取られているということなのだから。


 しかしそんな恥ずかしさも一瞬だった……それよりも、怒りが遅れて沸いてくる。

 全部を見ていた――じゃあ、地下鉄に入る前から、分かっていたのだろう。


「本当に……、

 最初から最後まで、ずっと見てた――ってことなんだよね?」

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