第15話 仲良し会 その3
「ん」
ついさっき運ばれてきた料理――、ホワイトでクリーミーなソースがかかっているパスタを口に運びながら、弧緑が声を漏らした。片手にフォーク、片手にスマホである。もしも母親がいれば「お行儀が悪い」と注意するだろう。弧緑は言うことを聞かなそうだなあ、と思った。
弧緑の声に、きらなが気になって、
「どうしたの?」
「ん、んー、食事中だし、今はやめとく」
「あ、例の【通り魔殺人】のこと?」
「気を遣ったのになんで言う……?」
民美が思わず言ってしまったらしい。ごめーん、と両手を合わせて苦笑いだ。
「……あたしが頻繁に使っているサイトのトップニュースにさ、また出てね――王場町での【通り魔殺人事件】。これで被害者は四人目なんだって」
確かに、食事中にするべきではない。
お子様ランチの、小さめのハンバーグに、ケチャップがかかっている。
それをフォークで突き刺し……、連想してしまうではないか。
すると、煙子が目線を下げ、きらなに合わせて心配をしてくれていた。
「……どうしたの? ……もしかしてきらな、知らない?」
「うん。全然、これっぽっちも知らなかった……」
住んでいる町だと言うのに。
危機感がなさ過ぎかもしれない。
家にいる間は新聞もテレビも見ず、常に自分の部屋で一人、音楽を聞いたりごろごろしていたり、一人の時間を好むきらなだ。外の世界は自分とは違う場所――まるで異世界である。そう思うほど、接点がなかった。無関係を貫いていた。
だから通り魔殺人事件のことなど一切知らなかった。知る機会もなかった……母親は知っていたのだろうか。ならどうして言わなかった?
言って、家を出たくないと言われるのが怖かったのかもしれない。
せっかく、きらなが出る気になったのに――。
それとも、きらなが被害に遭うわけがない、と高をくくっていたのかもしれない。
確かに可能性は低いが、それでも、引き当てる確率はゼロではない。
そんな、身近な場所で起こっている異常事態に、きらなが顔を青くする。
「知らないのなら、一応、危機感くらいは抱いてた方がいいと思うけど。
でも、あまり緊張し過ぎてると疲れるよ。通り魔殺人が頻繁に起こっているのって、王場町の西方面であって、ここ、東方面じゃないんだから」
弧緑がスマホの画面をスクロールさせながら、
「まあ、今まで西方面で起こっていたからと言って、ここ、東方面に来ないで西方面にばっかりいる、なんて根拠はどこにもないんだけどね。
西方面ばっかりだったらこそ、今度はこっち、東方面に来るかもよ?」
「安心させたいのか不安にさせたいのか、弧緑は一体、なにがしたいのよ」
「曖昧にさせておくことでもやもやさせたい……、でも、ん?
それって結局、不安にさせてるってこと?」
「少なくとも、わたしはすっごくもやもやしてて、すっごく不安になっているけどね!」
民美が不安を消すようにパスタを黙々と食べ続ける。残りが少なかったこともあり、パスタは二口程度で食べ終わってしまった。口を拭い、民美が思い出しながら言う。
「被害者は全員、学生――、それも、さすがにわたしたちよりも年下の学生に、被害者にはいないって言ってたね……確か。高校生と大学生が被害に遭ってるらしいし。
クラスの子が言ってたよ、次はここなんじゃないかって。
王場女子の誰かが【死ぬ】んじゃないかって、面白がってそう言ってたよ」
不快な表情を浮かべながら、民美がドリンクを口に運ぶ。
人の命が関わっていると言うのに、笑って、楽しんで、面白がってネタにして。
たとえ冗談で言っていたのだとしても、さすがに民美でも聞いて面白くはない。
だけど学生なんてそんなものだ、と民美はよくよく知っていた。
「ネタにしているのはさ、あれも防衛の一種なんだよ、と思うけどね。
怖いから、現実を受け止めたくないから。
だからみんなさ、笑って楽しんで、面白がっているんだよ。そうでもしないと恐怖に押し潰されてしまうから。だからああやって、どうにかして気を紛らわせているんだとは思うけどね」
弧緑の意見に、民美は「分かってるよ」と返答した。
「民美も昔はそうだったんだよね。周りに流されて、嫌なことでも好きと言ってしまうような、今もごろごろといる欠陥の塊である女子高生の、その例のような女子中学生だったんだもんね」
「……あまり言わないでよ、あの時のことなんて。
同じ中学で、なんでも知ってるからって――なんだって分かるからって。
それはあんまり言ってほしくないよ」
民美が弱気な声で言った。珍しい……、彼女に似合わず消えてしまいそうな声だった。
分かりやすく落ち込んだ民美を見て、きらなは胸がずきんと痛んだ。
だからすぐに話題を変えようと思った。
暗い話題じゃなければなんでもいい。
でも、じゃあ明るい話題があるというわけでもない。だからみんなが知っている、最近話題のアイドルグループの話をするしかなかった。全員が全員、詳しいわけでも興味があるわけでもなかったが、それでも一旦、仕切り直すための話題だとは、全員が理解していた。
だからみんなが、話題が途切れないように繋ぎ止めていた。
暗い雰囲気が綺麗に取り除けるまで。
過去に、民美がどういう人間でどういう生活をしていたのか、きらなは気にならないと言えば嘘になるが、気になるからほじくってみよう、とは思わない。
それをすれば自分だって痛いところを突かれる可能性があるのだから。
だから、というわけじゃない。
単純に嫌がることを民美にしたくないだけなのだ。友達だから、当然だ。
知ったところで、なにが変わるわけでもない。
民美への接し方は、聞いても聞いていなくても変わらないのだ。
だったら、聞かなくてもいいだろう。
人に聞かれたくない、秘密にしておきたい過去の一つや二つ、当然のように誰にだってあるだろう。きらなにだってあるのだから――、民美のそれについては、もうこれっきりだ。
「ふう」
お子様ランチだから分量は少ないはずだが、それでもきらなにとってはちょうど良い。
満腹だった、と一息つく。
もう少し成長してくれれば、みんなと同じメニューを食べられるのに。
「……ほんとに嫌だなあ、こんな体」
「そんなこと言わない方がいいわよー、きらな」と、弧緑。
なんだか、きらなの小さな体が羨ましい、とでも言いたげだ。弧緑が?
この体の、どこが?
「まあ、きらなにとっては嫌で嫌で仕方がなくて、取り換えることができるのなら、すぐにでも取り換えたいような体なのかもしれないけどね……。
でも、きらなのその小さな体はね、それはそれで強い魅力を持ってるんだよ」
「魅力?」
「そう、魅力。あたしにはない、保護欲をかき立てられるような、守ってあげたくなるような、人を引き寄せる魅力があるんだよね」
だって今、あたしはきらなを放っておけない気持ちになってるしね――と弧緑が言う。
「でも、良いことばかりじゃないんだよ」
「でも、悪いことばかりじゃないんでしょ?」
「……………」
「メリットがあればデメリットは必ずある。それはどこでも変わらないし、誰だって変わらない。生きる上で、うざいほどに、付きまとうものなんだよ」
民美には民美の、弧緑には弧緑の、煙子には煙子の、きらなにはきらなの。
それぞれにそれぞれのメリットとデメリットがある。
両方をどう扱い、どう思い、どう感じているか……。
そして結局は、気持ちの問題なんだよ、と弧緑は言う。
「きらなは自分の小さい体のことを嫌だって言うけど、でも、良いことだってあるんだよ?
だってお子様ランチを食べて、そこまで似合うのはきらなくらいなものだよ。あくまで高校生の中では、ってことだけど。
もしもあたしがお子様ランチを食べたら、完全に変人扱いされるし――、だからあたしはお子様ランチなんて食べられない。
あたしに出来ないことをきらなは出来ている、これって、きらなの強みじゃない?」
「でも、わたしにできないことを、弧緑ちゃんはできてるよ。
わたしは、それが羨ましいんだよ。だからこんな体が嫌なんだよ――」
そこで、弧緑がさっきのセリフを繰り返し言う。
結局は、最終的には、答えは、解決法は――ある一つのことで済むのだ。
「だから気持ちの問題。
人ってのは個性の塊で、個性を持つことが人間だと思うのよ。
あたしに出来ないことを、きらなは出来る。それがきらなにしか出来ないことだったら、それは尚更、きらなの個性だよ。
個性ってのは尖っていれば尖っているほどにいいんだよ。誰かを見て真似をして得た個性なんてのは、大した強みにも、なんにもならない。
大した強みを持たない、真似した教科書通りの、やり尽くされたような個性を持つと、あたしみたいになるんだから。だからあたしは、きらなの個性を羨ましく思うよ」
弧緑には悩みがあって。
そしてそれに苦しんで。
きらなと同じような苦痛を味わってきたのだろう。
それを知り、きらなは、自分だけではないのだ、と。
今更ながら、遅過ぎる今この時に気づくことができた。
きらなはこの小さな体を嫌うが、でも、この小さな体を望んでも手に入れることができない人だってたくさんいる――そう考えると、自分の悩みはなんて小さいんだ、なんてちっぽけなんだろうと思ってしまう。
きらなには魅力がある、弧緑はそう言った。
その言葉はきらなの背中を少し……、いや、大きく押すほどの力があった。
そろそろ、前に進むべきなのではないか。
いつまでも、いつまでも――うじうじと悩むなんて、馬鹿らしい。
きらなは今日、この時。
長く考えていた悩みに、終止符を打つことができたのかもしれない。
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