第11話 再挑戦

「……いきなり力をかけないで。踊り場だからいいけど、これが階段の途中だったら?

 落ちたらどうするの? あなたを巻き込んで、落ちたらどうするの? 

 世界には自分と、もう一人以上がいるのだから、少しは考えてから行動して」


「あ……えと、ごめん、ね?」


 怒る、というよりは、お説教だった。

 勢いが削がれる。出鼻を挫かれた気分だった。


 勢いそのまま感情で喋る気でいたのに、一度落ち着いてしまうと会話を一から構築することになる。苦手な分野だ……、気持ちはあってもそれを組み立てて分かりやすく伝える技術が、きらなには欠けている。だから友達がいない……、その理由の一端ではあるか。


「……れいれちゃん、もう、帰っちゃうの?」


 本題とは違うが、とりあえず『天気の話』程度には使える話題だろう。

 ここから構築していく。しかしれいれはきらなのその作戦を見破っていた。話したいことはこれではない、と感じたれいれは、きらなの予定を遠慮なく破壊していく。


「なにもすることはないし、この後も予定が詰まっているわ。

 あの場に留まる理由はないのだから、帰るしか選択肢はないわよ」


 れいれはそう言った。


「……ここまで追ってくる、か。どうしてそこまで私に執着しているのか知らないけど――訳も理由もね。でも、私は言ったはずよ? もう、関わらないでって。

 もう、私とあなたの関係はこれで終わりだって。

 なのに、なんで私に付きまとうのよ。友達がただ欲しいというのなら、もうあなたにはたくさんいるじゃないの。クラスのマスコットキャラクターみたいに遊ばれて、人気者のように囲まれて、あなたの望む絵が、あのクラスの中の光景じゃないの?」


 きらなは、違うよ、と答えた。


「まだ、わたしの思い描いていた光景じゃない。もう充分と言うかもしれないけど、これ以上を望むのは、罰が当たるって、言うかもしれないけど……、わたしは、あのクラスみんなが集まって、笑って、冗談を言って怒って楽しんでいる絵の中に、れいれちゃんがいなくちゃ、なにも完成しないんだよ。欠けちゃいけないのが、れいれちゃんなんだから」


 逆に言えば、れいれだけがいればいい。

 れいれがいれば、大勢はいらない。

 それくらい、きらなの中で、れいれの存在が大きくなっている。


 だけど、れいれはきらなを拒絶する。一度や二度で諦めないのなら、積み重ねていけばいいだけだと考えている。分かるまで言い続ける……、もしも聞かずに立ち上がってくるのなら、上から押し潰すまでだ。


 きらながれいれと友達になりたいと強く願い、絶対になると意地になっているのと同じように、れいれもまた、きらなを拒絶することに意地になっている。受け入れてしまえば話は早いのに、あえてそこを拒絶することで解決しようとしている。

 厄介なものを抱え込むのはごめんだ、と言わんばかりの対応の仕方だ。


「私がいなくちゃ完成しない絵、ね」

 

 れいれがきらなをじっと見る。

 きらなは彼女の目を見て、分かってしまった。

 揺れていない。

 ここまで言っても、れいれの感情は揺れるどころか、どっしりと構えている。

 微動だにしない芯がそこにある。


「その絵は、もう諦めてと言うしかないわ。

 絵の完成はもう不可能よ。不可能なことは、すぐに見切りをつけた方がいい。

 長く望めば望むほど、長く続けば続くほどに、苦しくなっていくだけだから」


 何度目から分からない拒絶。慣れたと思っていても、やはり直接言われる拒絶の言葉はきらなを傷つける。なにも言えなかった――それがきらなの失敗だった。

 呆然と立ち尽くすきらなを見て、れいれが踵を返す。階段を下り、遠ざかっていく。


 朝と同じだ。

 上がるか下がるかの違いしかない。


 同じ失敗と、結果だった。

 そして、事態は朝よりも深刻である。


「うわぁ……」

 取り返しのつかない失敗かもしれない、と思い、きらなが声を漏らす。


 れいれが立っていた場所を見つめる。そこにはもう、誰もいないのに。

 どうしてあそこでなにも言わなかったのだろう、と後悔する。

 今ならなんとでも言えた、当たり前だ。

 本番でどう対応するかが、その人が持つ技術だと思う。


 しばらくぼーっとしていたきらなの肩に、手がぽん、と置かれる。

 無音に聞こえていた周囲の環境音が遅れて頭に入ってきた。遅延したリモート画面のように、詰め詰めに押し込められた映像を早回ししているように、音がきらなの鼓膜に一気に触れる。


 驚きはしなかった。

 驚いたとすれば、意識が覚醒したことについて、だ。

 そして振り返れば、民美が立っていた。


「ずっと見てたけど、まさか、あの雨谷さんを誘惑するなんてね。

 勇気があるというか、恐いもの知らずというか。

 きらながあんなにも一人の女の子に興味を持つなんて、少しだけ、少しだけなんだけど――、

 妬いちゃう、かなあ」


「ははは……でも、さ」


 きらなは民美と視線を合わさない……まだ失敗を引きずっているのだ。


「失敗しちゃったんだよ。もうこれで、二度と取り戻せないような、そんな失敗をしちゃったかもしれないんだよ。さっき全力で、遠慮なくぶつかってやろうって決めて、そして実際にぶつかってみたんだけど、でも――」


「きれいに玉砕したってわけね」


 民美が遠慮なく言った。

 そうだけど……、もっと言い方があるのでは?


 傷口をさらに切りつけられたような痛みだったが、だけど事実だ。

 事実の再確認は重要だ。二人以上の人からの客観的な認識は、必要である。


 民美も、きらなが負ったダメージを理解しているだろう、それでも、


「もしかしてだけど、これで終わりなの? これで諦めるの? 

 一回、当たっただけで、砕けただけで。ボロボロになっただけで、ダメージを負っただけでさ――それだけで、きらなは諦めるの? 

 違うよね――違うよ。きらなはそんなに弱い子なんかじゃない。

 何度も何度も立ち上がっては当たって、そして砕けて、毎回毎回、心に強く厳しく響いてくるダメージを負うけど、それでも決して諦めない子だって、わたしはそう思ってる。

 でも、これはわたしの勝手な考えだし、きらなの気持ちをまったく無視した思い込みだよ。

 わたしは正解を知らない、不正解だって知らない。

 教えてよきらな、わたしの思い描いているきらなは、一体どんな子なの?」



「わたしは……」

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