第9話 クラスメイト その2
クラスメイトなら、そう誘うのは当たり前ではあるのだが……、
だけど、きらなは「やめてっ」と願った。
それ以上、れいれに話しかけないで、と願った。自分がれいれにとってなんでもないことを棚に上げて、だ。自分勝手なわがままでれいれの交友関係を制限するなんて、めんどうくさい彼女じゃないか――分かっていても止まれなかった。感情に歯止めが利かない。
だからこそ、自分の時と同じように、れいれが断ったことに安堵した。
「ごめんなさい、今日は用事があって――。今日だけじゃなくて、たぶん、これからずっと。
毎日のように用事があるから……、だから食事に行くことも、遊びに行くこともできそうにはないと思う。だから、ごめんなさい」
「用事って、アルバイト――とか?」
ここで引けばいいものを、クラスメイトの一人がれいれの言葉に食いついた。
聞かれて「む」と、見て分かるほどに不機嫌な表情を浮かべたれいれ。
冷たい視線を相手に向け、れいれがその質問に答える。
「まあ、そういう類のものだから、ごめんなさい」
「いや、いいよいいよ。全然、大丈夫、用事なら仕方ないんだし。
まあ、じゃあ――とりあえず、これからよろしくね、雨谷さん」
「ええ、よろしく」
れいれはそう言い、視線を外す。もう興味がなくなったのだろう、厄介な問題を処理した後の清々しい表情を浮かべている。僅かな表情の変化がきらなには分かった。
「…………」
きらなはそれを見て、なにも言わず、れいれを見つめる。
あの誰も寄せ付けないような、攻撃的で冷めているような対応は、どうやら誰であろうと変わらないらしい。自分だけではなかった……それにほっとした。
誰にでもそうなら、きらなはまだ手を出せる。
この発見は大きい。
それが分かれば、動ける、進める――、
「これで、ぶつかれる」
れいれに向かって、ぶつかれる――と、きらなは心の中でそう続けた。
「きらなってばー! なーにをぼーっとしてるのよーっ!」
すると、気づけば『名字でさん付け』から『名前で呼び捨て』に変わっている。
その声がきらなの耳に届く頃には、なぜかクラスメイトの女の子から頬ずりをされている状況であった……なにこれ、と呆れが勝る。温かい肌の感触が自分の頬から伝わってくる。
思考が弾け飛ぶ。それでも無意識に助けを求めるように視線は動いているようで、頬ずりをしてくるクラスメイトの女の子が、きらなの視線を追いかけ、
「ん、どこを見て――ああ、雨谷さんね」
クラスメイトの女の子――
そして、なぜかれいれを見て、嫌な顔を浮かべている。
嫌い? というわけではないようだ。表情を見れば、嫌いと言うよりは、苦手、か。彼女の扱い方が分からず、どう対応すればいいのか答えが出ず、手の打ちようがない――そんな民美の感情を、表情が訴えていた。
「雨谷さん。雨谷、れいれさん。まあ、あの子はわたしでも少し苦手かな……」
民美が悔しそうにそう言った。
「わたしは誰にでも躊躇わず、ゲーセンとかファミレスとか、そういうところに誘える勇気は持っているけど、でも雨谷さんに関しては、さすがにわたしでも少し、遠慮しちゃうんだよね」
平等を志していたのに、こんな例外を作っちゃうなんて不平等だよね、と民美が言う。歯噛みして、自分を許せないと言ったように。
そして、なぜかきらなへの頬ずりを再開させた。彼女なりのメンタルコントロールかなにか?
良いのか悪いのか、段々と慣れてきたきらなだった。これだけ短時間で色々なことが起きれば戸惑うことこそあれ、パニックにはならない。耐性ができてきたようだ。
民美は栗色の髪をぶんぶんと振り回しながら(しかし耳の少し下までしか伸びていないので、大きく髪が暴れることはないようだ)、きらなを抱くような、過剰な触れ合いをする。
民美は活発な性格をしているのだろう。
見た目や話し方や積極的な行動から、分かる。あらためて言うことでもないかもしれない。
距離感の詰め方が大胆だ。頬ずりをすれば誰でも仲良くなれると思っていそうだ。
なめるな、と言いたかったが、そんなきらなが一番、心を許してしまっている。
頬ずりされたから、ではないが、それでもきっかけの一つであることは確かだ。
民美は人当たりが良い。全員を平等に見ていて、差別をせずなんでもかんでも、全てを受け入れる。彼女はそんな子だ。
なのに、そんな彼女がれいれだけを避けた――いや、手の打ちようがなく、彼女らしさを発揮できないからこそ、苦手、と感じているだけだ。嫌っているわけではない――はず。
隠していたとしても、表情で丸分かりだった。隠し事ができない性格なのかもしれない。これが演技だとしたら大したものだが、たぶん違うだろう……そう思いたい。
れいれを苦手としているから、手を出さないはず――だからではないが、きらなにとって民美はなかなか好印象だった。
言いたいことを隠さずに言えて、がまんせずに言えるというのは、すごいことなのだ。
当たり前のことではあるけど、それができない人だっている――たくさんいる。
できない人の方が多いのかもしれなかった。
その中で、言いたいことをはっきりと言葉にできて、伝えられるというのは、文句なしにすごいと言える――きらなはそう思う。
「なんだか、人を避けているって言うのかな?
ほら、わたしに近づかないでくださいよオーラが出てるじゃん?」
民美は小声だ。れいれに聞こえないように、だろう。
まあ、れいれは気づいたとしてもなにか言ってくることはないだろうが。
彼女は手元にある文庫本に視線を落としていた。
完全に、自分の世界に入ってしまっている。
「いつもなら、そんなオーラを纏っていても関係なしに突っ込んで行くんだけど、それがわたしなんだけどね――雨谷さんは無理、よ。
わたしに近づかないでオーラと同じように、
わたしに近づけば殺すぞオーラも一緒に出てる感じがするんだよね……」
「殺すぞオーラって、そんなの出せる女子高生はいないよ」
「そう思いたいけどね、いなかったら良かったのになーって、そう思いたいけどね」
確かに、きらなも民美と同じように、れいれから放たれている威圧を感じている。
それを、殺意とまでは、さすがに思いたくなかった。
確認を込めて、きらなはちらり、とれいれへ視線を向けようとして、
「――民美だけずるいよ! あたしもきらなに触りたいんだから!」
と、一つの声が聞こえた。
それに続くように、他の女の子も声を上げる。
背中に柔らかい感触がして、そして温かくて――これは信頼、なのだろうか。
信頼は温かい。そして気持ち良い……へえ、これが信頼なのかあ、と、きらなはクッションに顔を埋めるように沈んでいく。
「わぁ、柔らっかだぁ。きらなの体って、ぷにぷにってるよ」
一瞬、よく分からなかったが、理解できないこともない。
なんとなく、クラスメイトの言いたいことが分かったきらなだ。
それよりも、今のこの状況は……なんだ? 問題がある。
きらなの周りには、六人ほどの女の子が集まっている。
それぞれがきらなの体を触ったり抱き着いたりしている状態である……、背中に当たる大きなそれは、抱き着いているから感じるものか。温かいのも、密着しているから――だ。
それでも信頼がなければ感じられないものである。
でも、このままでは自分はクラスのマスコットキャラクターになるのでは? と危惧する。
嫌なわけではないが、欲しい時に手を伸ばせば届くクッション的な扱いはごめんだ。
「ちょ、ちょっと、みんなやめ――」
きらなが優しく、みんなをできるだけ傷つけないやり方で拒絶しようとしたが、それよりも早く、自衛が封じられた。きらなの耳に吹きかけられた吐息。温かく、くすぐったいそれのせいで、きらなの膝が崩れる。そして、思ってもみなかった声が漏れた。
「――わひゃあっ!?」
その吐息の方角を振り向けば、民美がニッコリと、笑って立っていたのだ。
「どう? リラックスできた?」
「リラッ、クス……?」
「うん、リラックス、リラーックス」
リラックス、と、民美はきらなを見て繰り返した。
リラックスしなければいけない状態だったのだろうか……? 自覚はない。
まだ緊張が抜け切っていなかったのかもしれない。初めてのクラスメイト、慣れない環境……それでも中学の焼き増しとも言えるが、きらなの場合は事情が違う。
未だに戸惑っていても仕方がないと言える。
それを感じ取ったのかどうかは分からないが、民美の対応はきらなにとっては薬になったらしい……毒にならなかったのは、確信があったからか。
毒になったとしても、フォローができると踏んでのものだったのか。
「今のできらなもリラックス、できたんじゃない?
だって、顔が緩んでるよ。その緩みは、少しだけ気を許してる顔だからね」
民美がきらなの頬を、つまんで引っ張って、びよよーん、と呟きながら弄ぶ。
「もっともっとリラックスしてくれないとさ、こっちも全力で遊べないっての」
「遊ばないでよっ、わたしはおもちゃじゃないんだよっ!?」
嫌がった言い方をしているが、その実、きらなは嬉しく思っている。
単純に、好意を受け、仲良くなりたいという相手の願いが見えているから。
だから安心して、それを受け入れることができている。
打ち解けるためにちょっと無理をする。でもそれは、嫌に感じない塩梅なのだ。
そのあたりは、民美のさじ加減の調節が上手いおかげだ。
一歩間違えれば大惨事になるギリギリを縫っている。
クラスメイトたちとじゃれ合っている内に――ふと。
偶然だった、意図的じゃなかった。だからこそきらなも、あ、と思ったのだ。
悪いことをしているわけではないけど、後ろめたい気持ちになった――。
そう、
れいれと、目が合ったのだ。
きらなの体が固まり、それはれいれも同じだったようだ。
ただ、気持ちは違うだろう。
きらなは負い目だが、
れいれは不意に目が合ったことへの驚きだ。
まさか、合うとは思っていなかったようだ。
しかし、れいれはまだ余裕があった。
すぐに視線を外し、手元にある文庫本へ戻した。
……冷たい視線だった、ときらなは分かった。
通常運転と言えばそうだが、でも、あの瞳はなんだか……、
責められているようにも、感じたのだ。
もちろん、そんなことないかもしれない。
被害妄想かもしれない、そっちの可能性の方が高い――それでも。
目が合った時のあのれいれの表情は、忘れられない。
忘れちゃいけないものだと、思った。
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