第5話 雨谷れいれ その2

 放送の内容はシンプルなものだった。

 本来、教室でのんびりと聞いているはずの放送だったが、しかしさっきのあの人の混み具合である……、遅れて外で放送を聞いていてもおかしくはない。


 ようするに、

『そろそろ時間なので自分の教室の外にいる生徒はすぐに自分の教室へ向かいなさい』である。


 時間ギリギリではあるものの、れいれは速度を上げようとはしない。

 きらなとは真逆の性格だった。


 きらなの場合、全速力で廊下を走っていただろう。

 ただ、今回に限ればれいれを置き去りにしてまで走る気はなかったが。


 そわそわしながら、れいれの歩幅に合わせて階段を上がる。

 校内案内図によれば、一年一組はどうやら四階にあるらしい。

 ……ちなみに、三年生は二階で、二年生は三階だ。


 どうやら、一番若く、新米である一年生は、

 毎日、上級生よりも階段を多く上がって体を鍛えろ、ということなのだろう。


 たかが階段と思うかもしれないが、それでも階段である。

 一度ならば楽かもしれないが、それが毎日となると疲労は溜まっていく。

 そして膝に響いていくはずだ。

 女の子だからと言って怠けさせてはくれない校風らしい……。男の子がいればまた話も違っていたかもしれないが、良くも悪くも女の子しかいなければ、性別で優遇はされないのだ。


「れいれちゃん」

 

 きらなが前を歩くれいれいにそう声をかけた。しかしれいれは黙って階段を上がる。

 きらなの呼びかけに気づかなかった? わけではないだろう……、意図的に反応しなかった。

 まだ完全には打ち解けていないのだ、無理もない、と思いたい。


 きらなが声をかけたのは、今、声をかけることで確かめたいことがあったからだ。

 それは、れいれいの様子が『変』だったから。


 校舎に入ってから、れいれの態度が急変した。

 そう感じたのにも理由がある。彼女はきらなを先導しているように見えて、表情を隠していたのだ。視線も合わせてくれない……、覗けば避けるような分かりやすい反応はしなかったが、きらなにそれをさせない、無言の圧力がある。


 なにをしてもなにを言っても、れいれはまったく反応を示してくれない。

 なるほど、これが無視というやつか?


「ねえっ、れいれちゃんってば!!」

「…………」


 きらなの言葉に、れいれは沈黙したままだ。

 黙り、ただただ自分の教室へ向かっている。

 しかし、途中でさすがに無視を続けるのも限界だと感じたのか、

 れいれは階段の途中で立ち止まり、後ろを振り返った。


 きらなも、静かだったれいれの動きに反応して、同じように立ち止まる。


 二人は、これで向き合う形になった。

 そして久しぶりの会話だ。

 時間的にそう久しぶりでもないが、体感的には数日ぶりのような空白がある。


「……なに? もう私に用なんてないでしょう? 一緒に掲示板を見て、一緒に教室まで向かって、もうこれで私達の関係は終わって――、ただの、クラスメイトの関係になったのよ……。

 そのクラスメイトという関係も、端から端みたいな、それほどの距離のクラスメイトよ。

 ……もう私に用はないはずなんだから、これっきり、私に話しかけないでね」


 と、れいれが冷たくそう言った。

 突き放すような威力を持たせながら。


 きらなもれいれの口調には慣れたものではあったが、しかし今の彼女の表情、瞳、瞳の奥にある力を見て、きらなは心が折れかけた。

 いや、もう気持ちは折れているかもしれない。


 だけど、できる足掻きとして、きらなはれいれに向かって言う。


「……そんなこと、言わないでよ。わたしはれいれちゃんと友達になりたい。……ううん、本当は『友達になりたい』とか『なって』とか、そんなこと、言わなくてもいつの間にかなっているのが友達なんだとは思うけど……、でもれいれちゃんはたぶん、分かってない。

 だから言うよ? わたしはれいれちゃんと友達になりたいの。他の誰でもじゃダメ。れいれちゃんじゃないと嫌だから。れいれちゃんがいい――れいれちゃんだけがいいの」


「そう――」

 れいれは目を伏せて、

 

 そして、それから顔を上げて、キッと睨みつけるように、きらなを見る。


「それでも、私は友達なんていらないと言うわ。あなたは、私のことが良いって言うのよね。

 でも、私はあなたが嫌で――あなただけじゃなくて、あなた以外の子たちも嫌だから。

 だから私は、友達なんていらないの……。そういうことだから」


 言って、れいれはきらなを突き放すように、階段を上がっていく。

 きらなは離れていくれいれの背中を掴むよう、手を伸ばす――が。


 しかし手は届かない。

 空間を掴み、だけどなにも掴めず、力は真下に落ちるだけだ。


 立ち尽くすここは、三階と四階を繋ぐ踊り場である。

 あと少しで四階だ。

 なのに、

 きらなは立ち止まったまま、足を上げることができないでいた。


 階段の一段目にすら、足を乗せられない。

 チャイムが鳴るその時まで、立ち止まったままだった。


 きらなの意識は、世界から隔絶されたままだった。

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