h21.11.13. 大江瑠子さんMk-Ⅱ


 呼ばれたから来たのに、インターフォンを押しても応答はない。仕方なく無断で部屋に入る。

「……瑠子さん、お邪魔しますよ?」

 あとでプライバシーだ何だと騒がれては困るので、一応は呼びかけながら廊下を通る。ダイニングを覗くと、フローリングの上で正座してこちらを振り返る瑠子さんの姿があった。

 顔にはホッケーマスク。ちゃんとした競技用の物ではなく、パーティーグッズ売り場に並んでいそうな安っぽいレプリカだ。

 しばらく眺めてから、一体何をしているのかと訊く。

「お、女の子にジェイソンマスクを被る理由を訊くだなんて!」そう言って彼女は、両手で頬を押さえる。ホッケーマスクの上から。

「どうしても解りません」

「もう、君はほんとに仕方ないなぁ。ほら今日は13日の、」

「金曜日」

 言葉を継ぐと、「解ってるんじゃん」と彼女は拍子抜けした様子で頷く。

「いえ、それは解りますけど…というか今時、13日の金曜日だからってわざわざホッケーマスク買います?」

「でも会社ではウケたよ」

「すな」

「あと今日は、やらしい目でジロジロ見られたりしなかった!」

「それは、まあよかったじゃないですか。やらしくない目ではジロジロ見られてそうですけど」

「そこかよ! 今日〝は〟にツッコんでよ! 今日〝も〟なんだから」

「……どう思えばいいんですか」

「で、サラダ油ちゃんと買ってきてくれた?」

「あ、はい。これです」

 持ってきたビニール袋の口を広げて見せると、瑠子さんはホッケーマスクのままでそれを覗き込んだ。

「ありがと。これでコロッケ揚げられるよー」

「ジェイソンのまま日常を続けようとしないで下さい」

「いやー、日付ギリのカニ缶と、小麦粉と、昨日のホワイトソースがあったからね。これはカニクリームコロッケしかないぞと思ってさ」

「まあどうせ僕が作るんですけどね」

「まあそうね。仕事で疲れたお姉さんの為に、ひとつ美味しいやつ頼むよー?」

「……」

 まともにこの人の相手をしていたら、いつまで経っても食事にありつけないだろう。さっさとキッチンへ入る。

「置いてくのか! ジェイソンマスクで放置プレイかよ! この超絶マニアックめ!」

 何か言っている。マスクの中は思ったより換気が悪いらしく、ちょっと息切れしながら。




 調理を始める。

 マッシュルームと微塵みじん切りにした玉葱とカニの身を炒め、瑠子さんの作り置きのホワイトソースと混ぜる。一旦冷蔵庫で暫く冷やし、固まったら形を作って小麦粉をまぶす。

 その間、瑠子さんはずっと姿見の前に立って色んなポーズを試していた。ぐおーとか言ってみたり、僕の黒い上着を羽織ってみたりもしている。

「ねえ、どうしたらもっとジェイソンらしくなれると思う?」

 段々フクロウのように見えてきたホッケーマスクをこっちに向けて、彼女が訊く。

 僕はフライパンに注いだ油を温め、いよいよ揚げるコロッケを冷蔵庫から取り出しながら答える。

「やっぱり得物じゃないですか? 凶器を持ってこそジェイソンというか……そのマスクだけだと、ただのホッケーマニアみたいですし」

 適当な事を言いながら一つ目のコロッケを油に落とす。丁度いい温度だったみたいだ。油が冷めないよう順々に、残りも入れていく。

「なるほどね!」と得心がいったように、彼女は手のひらを叩く。

 あとはキャベツを添えるくらいでいいか。ベタに千切りにしよう。そう思って包丁に手を伸ばすと、瑠子さんの手と触れ合った。

「あ」

「わ」

 〝凶器〟と言われ、彼女は真っ先にこの包丁が目に入ったのだろう。早速試そうとして、僕の手と重なったのだ。

「あの、これまだ使うんですけど」

「ああー、ごめんごめん」

 彼女は慌てて手を引いて、引き出しから別の包丁をゴソゴソと取り出す。

 何というか、その時点でもうジェイソンらしくない気がする。いちいち武器を譲っていたら、誰も仕留められないんじゃないだろうか。

「うーん……でもなんか足りないよねぇ」

 結局また姿見の前で、彼女は不満気にボヤいている。

 凶悪さを出そうと一番大きな包丁を選んだのだろうけど、柄が木製だし、側面に〝和心一筋〟とか彫られているし、あまり雰囲気と合っていない気がする。

「……」

 言いたい事はいくつもあるけれど、高温の油を扱っているのであまり彼女などに構ってはいられない。フライパンに意識を向けながら手早くキャベツを刻む。

 他にも瑠子さんは引き出しの調理器具でいろいろと試していたが、あとはオタマやセンヌキくらいしか無いし、何より調理を手伝う訳でもなくキッチンをいじり回す彼女の存在が段々と鬱陶うっとうしくなってきた。

「やっぱりジェイソンと言えばチェーンソーですよ。あれが一番似合うし凶悪じゃないですか。チェーンソーを持たないジェイソンなんてジェイソンじゃない。僕はそう思います」

 追い払う為にそんな事を言ってみた。彼女は、「なんと、それは聞き捨てならん」といった顔を(多分)して、ダイニングから廊下へ出て行った。しかし一人暮らしのOLのアパートにチェーンソーなんて在る訳が無い。

 何にせよ、キッチンから追い出す事に成功した。これで邪魔されずに料理ができる。僕は油の具合を見て、少し火を弱くした。




 キャベツを刻みキッチンペーパーも敷き、あとは揚げ上がるのを待つだけになった。

 フライパンの具合も見てみる。そろそろいくつか取り出してよさそうだ。そしたら次のコロッケを順々に投下しなければならない。気を抜けないところだ。

 そこで、

〝ブウウウゥン〟

 不意に背後から、低い振動音が聞こえた。瑠子さんのアパートなのだから彼女の仕業だと決まっているが……何の音だ?

〝ブイィィィィン〟

 少しトーンを上げながら、こちらへ近づいてくるのがわかる。いやまさか、そんなバカなと思いつつも振り向けずにいると、その音はとうとう、僕の真後ろにまで来た。

「……」

 意を決し、ゆっくりと振り返る。と、ホッケーマスクを夏祭りのお面のように斜めにずらした瑠子さんが、電動歯ブラシを派手に唸らせながら高速で歯を磨いていた。

「超なんでやねん」

「おっ、面白いぞ今の動き」

「お前の方が面白いわ」

「だって! だって君が、チェーンソー持ってなきゃジェイソンじゃないなんて言うんだもん。そんなの無いし、せめて音だけでもマネようと思って、そしたらこれくらいしか無かったもん。それでも一生懸命考えたんだもん」

「落ち着け三十代。というか、だからって磨かなくても」

「目の前でブーンてなってるから勿体なくてつい」

「わざわざ食前に……」

「いやね、本当は電動バイブにしようかとも思ったんだよ? けど流石にそれは君が退きそうな気がしてね。オトナのお姉さんの気遣いってやつだね」

「じゃああとはそれを僕に言うのも我慢して欲しかったです。今聞いただけでもドン退きですから。というかバイブ持って襲い掛かってくるジェイソンて怖すぎます」

「アッー!」

「やめなさい」




「頂きます」

「頂きます」

 食卓を囲う。バカをしていた所為せいで数個を少し焦がしてしまったカニクリームコロッケと千切りのキャベツ。洗ったミニトマト。インスタントのポタージュと、気持ちパセリを振った白米。

 当然のように彼女はキツネ色のコロッケばかり取るから、僕は焦げ目のついたタヌキ色ばかり取ることになる。

「おいしいおいしい。あ、これ裏コゲてた。はいあげる」

「僕コゲばっかり貰ってますが」

「それを女の子にワザワザ言う? そんなだからいつまで経っても彼氏が出来ないんだよ?」

「何もかもおかしいから」

「遠慮せずにたくさん食べるんだよ」

「無視ですか。コゲはおかずになりませんよ」

「私のジェイソン姿でご飯3杯はいけるでしょ」

「いけません。エプロン姿みたいに言わないで下さい」

「うむ」

「……。というか瑠子さん」

「うん?」

「こないだハロウィンでしたよね」

「と聞くね」

「それは何も無くスルーでしたけど、つまり忘れてたんですよね?」

「もうね、あれは素で忘れてたね」

「もうずっと素でいてくださいよ」

「そのぶん今日をしつこくしてみたよ」

「ヤな配分」

「まあ今日は料理ご苦労様。アイスあるから食べていいよ」

「マジですか。じゃあ頂きます。ご馳走ちそう様でした」

「バカな速すぎる」

「まだ食べてません。これからアイス頂きます、ご飯ご馳走様、です」

「あーあたしのお皿も持ってって。あとアイスもあたしの分持ってきてね」

「それが狙いか。でも瑠子さんって、毎日甘いもの食べてるでしょう? カロリーだとか大丈夫なんですか」

「いいのだよ。乙女の身体は、スウィーツとメルヘンで出来ているんだよ。……今、小声で〝乙女ねえ〟って言った?」

「決して言っておりません」

 耳がいいらしい。




 食器を水に浸けてから、二人でアイスをつつく。

 瑠子さんは、小さなアイスのカップに合わない大きなスプーンをくわえたままテレビを眺めている。何やら腕白わんぱくに見える。

「……あ、そういえば瑠子さん」

「劇団ひとりの奥さんって千原ジュニアに似てるね」

「それは何とも言えませんけど……じゃなくて、ねえ知ってます?」

「なんだい」

「例のジェイソンが出てくる映画。〝13日の金曜日〟で、ジェイソンはチェーンソーなんて一度も使った事が無いんですよ」

「んえ?」

「実はもっぱら、斧とか鉈なんです」

「へえーそうなんだ。でも何で急にジェイソンの話?」

「……」

 こいつマジか。



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