h21.07.07. 大江瑠子さん
近くの
それらを脇に抱えての帰路、ビニール袋を
小走りで追いついて、話しかける。
「瑠子さんほら、竹はOKです。そっちは?」
「……」
彼女はこちらを
おそらく七夕であるこの日に、幼年でも壮年でもない僕が竹を抱える姿が目立つので、道行く人々の視線を気にしたのだろう。素知らぬ顔でスタスタと歩き続ける。
「……」
どこまでも他人のフリをする彼女のマンションへ向かう。
「……あのね、七夕飾りをしたいって言い出したのはあなたでしょう?」
帰り着いて、流石に苦情を言う。彼女は「いやあ」と、まるで照れ笑いするオジサンのような反応をした。
「何ですかその返事……。大体、僕だって好きで手伝った訳じゃないのに」
「まあまあ。私だってほら、ちゃんと会社帰りに折り紙買ってきたんだから。さっそく短冊つくろう?」
「何だか、どっと疲れましたよ。そもそも当日にいきなり飾ってもいいものなんですか? 普通しばらく前から、何日間か飾ってるものなんじゃ」
「さあ。でもいいじゃない? はい、私が折り目つけるから君はどんどん切っちゃって!」
瑠子さんが折り紙を四つに折る。僕は言われた通りに、それを百均の鋏でジョキジョキと切った。テーブルが無邪気なカラフルに散らかされていく。
「何か、こういうのさ? 小学校の時に机を寄せ合って図工したのとか思い出さない?」
「お楽しみ会の準備も思い出します。パーティー用の飾りを作ったりとかの」
「懐かしいよね。ここのマンションでもね、ベランダで短冊つけた竹を出してる部屋ちらほらあって。あーいいなーって。またちょっとしてみたいなーって思ってさ」
「それは子供がいる家庭でしょうに。なんだっていい年の二人で……」
「そういうのは言いっこなし」
「はいはい……」
大らかなシュレッダーのような心持ちで紙を切り、上部にパンチで穴を空けると、それらしい短冊が次々と出来上がった。早速二人でペンを持つ。
しかし、いざ願い事を書くとなると手が止まった。
「……願い事か……」
瑠子さんはというと、何の迷いもなくすらすらとペンを動かしている。僕もとりあえず、一番最初に浮かんだものを書いてみた。
〝来年、無事に大学院へ入れますように。〟
「……」
我ながら、つまらないというか……生々しくて風情がない。しかし、ある程度の年齢を重ねた人間の願い事なんて、切実で当たり前という気もする。
「よーし」
瑠子さんも書き終えたらしい。ちょん切った輪ゴムを紐代わりにし、短冊の穴へ通した。僕も
〝みたらし団子を お腹いっぱい食べられますように!〟
彼女の短冊にはそう書いてあった。
「……」
僕は静かにテーブルへ戻り、次の短冊を手に取った。瑠子さんも対抗するよう、それに続いた。
僕は彼女に、何も難しく考える必要はないのだと気付かされた。せっかく竹を刈り取って短冊まで作ったのだから、あとは願うだけ願えばいいんだ。
〝世界が平和でありますように。〟
と書いた。少々の照れはあるけれど、やはり大原則だろう。
彼女は、
〝揚げたてドーナツを お腹いっぱい食べられますように!〟
と書いていた。
「……」
再び短冊を手に取る。
願い事を書き、笹に結ぶ。それとなく互いの短冊を読んで、またテーブルに戻り願い事を書く。この行程をひたすら繰り返す。
〝差別や難病が無くなりますように。〟
〝お昼休みの時間に会社の前を 毎日クレープ屋さんが通りますように!〟
〝地球環境の問題に 全ての人がいつか団結できる日が来ますように。〟
〝いつかケーキを1ホール 一人じめできますように!!〟
〝食べてばかりの誰かさんの食い意地が いい加減落ち着きますように。〟
〝私のプリンを勝手に食べた誰かさんに バチが当たりますように!〟
〝30代にもなってプリンで号泣するOLが そろそろ大人になれますように。〟
〝私はともかくプリン様をブジョクした罪深い誰かさんが プリンの神様に怒られますように!〟
〝3個1パックのプリンを当然のように2個独占するOLの わんぱくが治りますように。あと侮辱くらい漢字で書けるようになれますように。〟
〝レディファーストも知らない誰かさんが、いつかさりげない優しさを持てますように!〟
〝いよいよ学生時代のスカートが入らなくなったOLが これ以上丸みを帯びませんように。〟
〝のぞきばっかりするセクハラ大学生の むっつりスケベが治りますように!!〟
〝いい歳こいて隣室まで届く声で騒ぐ自意識過剰OLの 勝手な被害妄想が治りますように。〟
〝背が高くてお尻がキュッとしてて 一流企業に勤めてて長男じゃなくて いつもはクールだけど二人きりの時だけ優しい そんな素敵な彼氏が誰かさんに出来ますように!!〟
〝人を勝手にBL属性にする腐女子社員が 焦るべきは自分なのだとそろそろ気付きますように〟
アンチの掲示板のようになった竹を、何やら申し訳ないけれど一応ベランダへ出し、手摺と配水管にしっかり結びつける。台風などで隣のベランダへ飛ばされでもしたら、相当恥ずかしいので。
細かな愚痴を出し切ったからかも知れないが、その作業を終えた僕たちは心地いい疲労感と充実感に満たされていた。
ベランダの掃き出し窓に並んで腰掛け、瑠子さんが折り紙と一緒に買ってきた発泡酒を飲む。
「いやー、ひと仕事終えるとまた格別の味だねえ」
「まあ、こんな短冊掲げて……むしろバチ当たりな気もしますけどね」
「今頃はアレかね、織姫ちゃんと彦星とやらは、よろしくやっちゃってんのかね」
「昭和のおじさんかな」
「でもさ、せっかく年イチの逢瀬なのに、地上のあっちこっちから願い事吊るされたりして、迷惑じゃないのかね?」
「……確かに、そうかも知れませんね。彼らにとってこそ大事な日なのに、なんでそこで僕らが願い事を叶えて貰おうって事になったんでしょう。向こうはそれどころじゃないでしょうに」
「うむ……」
瑠子さんは発泡酒をグッと飲み干し、部屋へ戻っていった。
そして若干ふらつきながら、一枚の短冊を持ってくる。
「これ、一番高くに結んで?」
「はあ」
それを受け取り、言われた通り竹の最も高い枝に結び付ける。クリスマスツリーにおける星の飾りのように。
「ねえ、今日もうちょっと飲みたいかも」
「ん、買い出し行きます?」
「そうしよ」
「はい」
サンダルをベランダに脱ぎ捨てて、掃き出し窓を閉めた。電灯を消し、部屋から出る。
コンクリートの匂いで満ちた階段を下り、まだ少し明るい夜へ、ほろ酔い気分で足を踏み出す。
今日は3個1パックの安いプリンじゃなくて、生クリームなどのトッピングを交えた、ちょっと豪華なやつを買ってみようかと思った。
ふとアパートを振り返ると、先程ベランダに飾った笹がサワサワと揺れていた。あの一番上の、「おりがみセット」に一枚だけ入れられた金色の折り紙で作った短冊には、彦星と織姫へ宛てた相合い傘とか、「ラブラブひゅーひゅー」などの囃し文句が書き込んである。
その発想の古さと無邪気さが、改めて昭和だなと思った。
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