第26話 アトランティス~ポセイドン神殿

 アウラから神殿に来ることを誘われたクリティアスはその日の講義がすむとまっすぐに神域を目指した。不謹慎ながら神への祈りよりも司祭アウラに会うのが目的だった。白百合の群生に入り、中央の神殿へ向かう。以前は神殿の近くに王宮もあったのだが、ある理由で王族は他に城をたてて住み、ここへは10人の領主たちとの協議の際に来るだけとなった。クリティアスがすんなりと白百合の群生地から入ることができるのも、相当数いるはずの近衛兵が見当たらないからである。以前は多くの神殿の近衛兵がいたのだが、そのほとんどはアトランティス軍へうつってしまい、今や2名を残すだけとなっていた。


 ポセイドンの神殿は外側が銀で覆われ、彫像台は金で覆われていた。クリティアスはその豪華さに目を見張りながら入り口まで進む。

 中へ入ると神殿の天井全面が金や銀、オレイカルコスに飾り付けられた象牙とされ、壁や柱などいたるところにオレイカルコスが使用されていた。また、神殿内は多くの黄金の像が置かれ、大きなものは翼のある6頭の馬を御した神像であり、周りにはイルカにまたがった100体のネレイデス像が置かれていた。他にも代々の王や領主たちの黄金像や市民から献納された像も置かれていた。これだけたくさんの彫像が置かれ、豪華であるのに信者がいないことをクリティアスは不思議に思った。


 きょろきょろしながら進んでいくと奥から小声が聞こえた。様子を伺いながら入っていくと、神殿の奥でポセイドン像を前にひざまずいて祈りを捧げているアウラの姿があった。そのまま同じようにひざまずき、手を合わせるクリティアス。でもこんな時は何を祈るのかよくわからないので考えがまとまらなかった。目を開けたときにはアウラが目の前で微笑んでいた。

「祈りは形ではないわ。まずは神に祈りを捧げてくださったこと、嬉しく思います」

 間近で会うアウラを前にしてクリティアスの鼓動は高まる。

「あ、あの……僕なんかが来ても良かったのでしょうか。こんな神聖な場所に俗界の人間である僕がきても良かったのでしょうか」

 クリティアスの心配にアウラは微笑みで返した。

「神は信仰する心と祈りに降りられます。いくら神殿が豪華でも祈りがなければ神は降りません。たとえ身なりがみすぼらしくてもその人の心に誠があれば神は降りてくださいます」

 それを聞いてアウラに会うためという下心もあったクリティアスは思わず顔を赤らめる。アウラも祈り慣れしていない人間が急に神殿へきても戸惑うことがわかっていた。


「これは……祈りの途中でしたか。失礼しました」

 声に驚いて振り向くと入り口に二人の近衛兵が立っていた。腰までのびた髪を編んでいる若い女性と異国の顔立ちをした青年で、女性の方はポセイドンの三叉槍を持ち、青年の方は大きくてずっしりとした剣を腰の鞘に納めていた。鎧を身に着けていてかなり使い込んだ風があった。

「おかまいなく、私がお誘いしたのよ。学生のクリティアスといってここをよく通り抜けするから声をかけたの」

 アウラに言われて二人の前に出て会釈をするクリティアス。

「クリティアス、この二人は神殿を守る貴重な近衛兵なの。三叉槍を持っている方はアストレア。家代々が近衛兵の家系で近衛隊長よ。そして隣にいるのはイアソン。剣の使い手よ」

 アストレアもイアソンもいぶかることなく好意を持って会釈した。

「君があの有名な通り抜けの名人か。司祭様から聞いているよ」

 イアソンの言葉にふたたび顔を赤らめる。

「すみません……怪しいものじゃないです」

 そこまで話題になっていたことにクリティアスは恥ずかしい気持ちがあった。



 アウラはクリティアスを伴って神殿の内部へ進む。本来であるなら一般人を内部に入らせることはない。しかしこの神殿へ通り抜けであっても日参し、いまこうして祈りを捧げてこの場にいることが嬉しかった。

 クリティアスは宝物殿であるものを見かける。小ぶりで貧相な剣だ。

「ああ、それは祭事用の剣よ。人を切るものではないわ」

 アウラが言う通り、神殿にあるぐらいだから祭事用だろう。

「これがオレイカルコスの柱。ポセイドンの戒めによって作られた掟が刻まれているの。王と領主たちの互いの支配関係が刻まれている」

 オレイカルコスの柱に刻まれたポセイドンの戒めによって作られた掟。王と領主たちが良好な関係を保つために決められた戒めであり、誰かが掟に違反するようなことがあれば裁いた。その中で最も重要な掟が


 『決してどんな時も互いに武器をとって争ってはいけない。国家転覆や戦争など国の一大事について皆で協議し王に指揮をゆだね、皆で助け合う事。王は10人の領主の過半数の同意がなければ領主たちのだれも処刑できない』

 

というものだった。

 長い歴史の中でその掟は守られ、アトランティスは国内で争うことはなく平和の中にあった。しかし神の血筋の王と領主たちも人との混交が進むうち、その神聖な血が薄れていき、もはや形骸化していた。


「あの……素朴な疑問なんですが……これだけの規模の神殿であり国を司るポセイドン神を祭っているのになぜ人々は来ないのですか」

 通り抜けするときも今こうしているときも他の人を見かけないことを不思議に思うクリティアス。その言葉に一瞬アウラの表情がくもる。

「……町の噂をご存じないの?私のことを何も知らないのね……」

「すみません、なにか失礼なことを言いましたね。申し訳ありません」

 クリティアスは余計なことを言ってしまった自分を責めた。

「クリティアス、私は司祭。だけど今までの司祭のように神託を受けることはないし人々を癒すこともできない『力をもたぬ司祭』、そう呼ばれているのよ。『この国は力をもたぬ司祭によって滅ぶだろう』そのような予言めいたことをいう人もいて、人々は神殿に足を運ぶことがなくなった……たくさんいた近衛兵もアトランティス軍が引き抜いていき、今は先ほどの二人だけになってしまった。アストレアもイアソンは軍へ行くことを強固に拒み、残ってくれているの」

 アウラの瞳が揺れている。どんなに寂しいのであろうか。流れるアウラの涙に思わず手を差し出すが、慌ててその手をひっこめた。


 クリティアスは知っていた。聖職者であるアウラは清い体であり、俗界の人間が触れることはできないのである。聖職者に触れることはその重き定めを共にすることになるのだ。


「司祭様、僕は信者です。司祭様がこうして毎日祈っていらっしゃること自体が『神は信仰する心と祈りに降りる』というものではないでしょうか。僕は司祭様の心を神殿ととらえます。町の噂なんて関係ありません」

 クリティアスの言葉にアウラの曇っていた表情が明るくなる。


 二人は再びポセイドン像の前まで来た。そして改めて祈りを捧げた。アウラもクリティアスもこの国が他国に大戦を仕掛けるという段階にきていることを察知していた。戦争は神が望んだものではない。人が望んでいるものなのだ。

 祈りを終えると神殿を出て、あの白百合の群生地へ足を運んだ。幾度通ってもあの清楚な香りは変わらない。

 クリティアスが足を運ぼうとしたそのとき、足元を白い蛇が横切った。いきなりのことで驚くクリティアスにアウラは微笑んで返した。

「もう何年もこの白百合の群生地に住んでいるのよ。周りには環状水路もあるし人も滅多に来ないから住みやすいのかもね」

 白い蛇はじっと二人を見つめていたがやがて群生地の中へ消えていった。


 そのときふいに小さな地震が起きた。白百合が揺れ、水生植物が植えられた庭の池が波打つ。何事かと驚いた様子のクリティアスにアウラが言う。


「ポセイドンは海だけでなく地震も司る神……これは神からの警告だわ……」

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