第25話 アトランティス~アトラスの島

 太古の昔、世界の大小の陸地が神々に分配された。海神ポセイドンはアトランティスの陸地を受け取り、原住民の娘であるクレイトをめとった。王宮の丘の回りは難攻不落にするため海水と陸地からできた3つの環状水路が囲んでいた。ポセイドンによって生成された陸地は水資源に恵まれ、温泉もでた。肥沃な土地のおかげでたくさんの作物が実り、人々はその恩恵を受けていた。


 その後5組の双子の男の子を育て、長子をアトランティスの王とした。他の子どもたちは領主とし領地と人間を支配する権限を与えた。アトランティスは他の陸地の産物に影響されることはなく、ほとんど自国の産物で調達できた。それだけ肥沃で資源に恵まれていた。人間はこの資源を享受して様々な産業を興し、科学を発達させていった。そしてアトランティスには他の国々には知られてなかった紅のオレイカルコス(もしくはオリハルコン)と呼ばれる金属が存在していた。人間はその後、造船技術や航海術を身に着けると環状水路に船が入ることができるように工事をし、橋を架けた。ポセイドンの神殿にはポセイドンの戒めによって作られた掟がオレイカルコスの柱に刻まれ、伝えられた。 


 アトランティスを統治する10人の領主のなかで特に重要だったのは「どんなときも決して互いに武器をとらない」というもので、何かがあれば協議し、王の下、共助するということだった。また、王も領主の過半数の同意がなければ兄弟である領主の誰も処刑することはできなかった。

 このように富と繁栄の中にあり秩序も守られていたアトランティスであったが、長い歴史の中で神と人間との混交の割合は薄れ、強欲な人間の性がほとんどをしめた。人間は神を忘れ、あたかも自分が神であるかのようにふるまい、秩序を乱した。天の神でありすべての神の王であるゼウスは神々を集め、人間に罰を与えることとした。

 (参考:プラトン著・岸見一郎訳「ティマイオス・クリティアス」白澤社発行)



 環状水路の橋を駆け抜け、神殿の庭へ入っていく二人の若者がいる。この国の大学で学んでいるティマイオスとクリティアスだ。短髪の茶髪をなびかせているティマイオスと長い黒髪を一つにくくっているクリティアスは幼馴染で共に大学で学ぶ学生である。二人とも白い胴着に緋色のトーガをまとい、よく二人で行動しているので周りからは兄弟のように見られていた。

「この神殿の庭を通り抜ければ近道だ。急ごうぜ、クリティアス」

「大丈夫か?近衛兵に捕まるぞ」

 この日、クリティアスが朝寝坊したため、遅刻しそうになっていた。

「そんな心配があるなら、もっと早起きすべきだよ。ほら、そこの白百合の群生の中を突っ切ると大学に通じる抜け道があるから急げよ」

 ティマイオスは一面に広がる白百合の群生の中へ入っていく。あたりに漂う白百合の清楚な香り。これは昔からこの神域で大切に育てられていた白百合で、年月とともにその数は増え、今や群生となっているのだった。

「そんなことを言ったってなあ……野鳥の声や風の音を聞いていたらいつの間にか時間がたってしまうんだよ。ああ、もう少しゆっくり走ってくれ。息が切れそうだ」

 クリティアスは早起きをしているのだが、そうしたことに時間を費やしているのでつい遅くなってしまう。今日は本当に遅くなってしまったのでティマイオスが抜け道を案内したのだ。

「そんなことを言うなら普段から剣術は真面目にやれよな。さぼって図書館通いをしているのを師が知らないと思っているのか」

「人には向き不向きがあるんだ。僕には剣術なんて体が受け付けないよ」

 そう言ってクリティアスが神殿の方に目をやったとき、白百合の群生の中に一人の若い女性が立ってこちらを見ているのが見えた。黒髪を結い、抜けるような白い肌の女性……自分と同年代か。その女性も二人を見て驚いたような表情をしている。

「ティマイオス、あれは妖精か」

「うん、残念ながら妖精じゃあない。もっとこの国にとって大切な人だよ、クリティアス。司祭のアウラ様だ」

 ティマイオスの言葉を聞きながらもアウラを見つめるクリティアス。

「お、おはようございます司祭様。すみませんが遅刻しそうなんで通らせてください」

 立ち止まってアウラに声をかける。するとアウラは微笑んで答えた。

「どうぞ、お通り下さいな学生さん。今日があなたたちにとって良き日であらんことを」

「ありがとうございます。あ、あの……白百合がとても美しいですね…じゃなくて司祭様もです」

 クリティアスがそういうとアウラはクスクス笑って答えた。

「早く通らないと遅刻しますわよ、学生さん」

 みるとティマイオスはすでに白百合の群生を抜けて小道を走っている。クリティアスは大慌てだ。

「うわーっ!」

 叫びながらティマイオスの後を追う。



 海を臨む高台に設けられた大学は国中の叡智を集めていろんな分野の専門家が師となって弟子をとるやり方だった。ティマイオスは人の生き方や政治をヘルモクラテス師から学び、クリティアスは自然の成り立ちについてクインティリアヌス師から学んでいた。

 学問を重視する国王の保護の下、大学は自由で誰もが物事についてじっくりと考えることができた。大学の師は年齢を重ねた者がほとんどの為、白髪或いは髪が抜け落ちた頭に白いひげを生やした者が多い。こうして年長者が尊重されるのも昔から知恵者が大切にされるためだ。

 クリティアスはあれから毎日講義が始まる直前に駆け込んでくるようになった。落ち着きのないふるまいに何事がおきたのかといぶかっている師に、ティマイオスはクリティアスの名誉をかけて説明をしたほどだ。

「クリティアスは今や白百合のニンフに心奪われていますよ。それは僕でも手は出せません。どうか見守ってやってください」

 ティマイオスの言葉に苦笑するクインティリアヌス師。自由であることは恋愛についてもそうだ。クリティアスが心奪われているニンフが誰なのかを問うこともなく、ただ遅刻したらそのことを咎めるだけとした。



 今日も早起きしたはずのクリティアスはわざわざ神殿のある丘へやってきている。白百合の群生は百合の品種が変わっていく中でやはり同じく芳香を漂わせて咲き誇っていた。クリティアスはその香りに酔いそうになりながらもを探した。今日こそは名前だけでも知ってもらいたい。

「おはよう、学生さん。何か探しておいでですか?」

 クリティアスの背後からその人の声が聞こえ、慌てて振り向く。そこにはいつもより近い距離に司祭アウラが立っていた。

「お、おはようございます司祭様。今日は一段と白百合がきれいで……あ、いや……その……司祭様に会いたくて毎日来ています……」

 アウラの顔をまともに見ることができないクリティアスの心臓の鼓動は激しくなっている。

「こうして毎日神域であるここへ来て下さることを嬉しく思います。学生さん、あなたの時間が許すときに神殿においでくださいな。私はいつもそこにいます」

 クリティアスはその誘いをどれほど心待ちにしていただろうか。

「ありがとうございます。必ず神殿へいかせていただきます!……司祭様、あの……僕はクリティアスと言います」

「覚えておくわね、クリティアス。では講義に間に合うように神に祈りますね」

 そう言って微笑むアウラをみて顔を真っ赤になる。自分の名前を呼んでくれた、それだけでも今日はいいことがあるような気がする。

「はいっ!っとこんな時間だ」

 いつもより遅くなっていることに気づくと、クリティアスは近道を急いだ。



 その日、ティマイオスとヘルモクラテス師は現在の国の動きが戦争に向かっているとの情報を得て、事実を確認するために市外へ出ていた。

 港ではたくさんの軍用帆船が待機しており、荷物の搬入の作業が多くの人夫たちによって行われている。他国へ戦争を仕掛けることがなかったアトランティスには戦利品としての捕虜・奴隷は存在しない。人夫の働き手のほとんどはその仕事で収入を得ている職業としての働き手だった。

「師よ、あの軍用帆船はこれから戦争にむかうのでしょうか。そもそもこの国は戦争を起こす必要があるのでしょうか」

 たくさんの軍用帆船が待機していることに違和感をもつティマイオス。

「ティマイオスよ、人間は常に何かと比べ、何かに怯えているものだ。恵まれたこの国で何不自由なく暮らしている我々だが、今に満足することなく欲をだせばそこに争いの種がまかれる。いまこの国は近隣の大国に対して争いを起こそうとしている。お前は知っているか、新たな兵器を」

 細面のヘルモクラテスが問う。

「師よ、教えてください。新たな兵器とはどういったものでしょうか。私は全くそのことを耳にしたことがありません。またそれは神の御意志でしょうか」

「ティマイオスよ、新たな兵器とは……いずれお前も見ることになると思うが……この国の科学者たちは生命を操作することに手を染めたのだ。これが神の御意志なら司祭様から民に直接お言葉があるはず。人々は司祭様をないがしろにし、神より人間が優位であるようなふるまいをしている。このことに神の裁きが起きるものと私は考えている」

 軍用帆船を睨みながらヘルモクラテスが答えた。

「師よ、人間が間違った方向へ進んでいるのなら裁きはあって然るべきでしょう。私は新たな兵器が師のおっしゃるようなものであるかこの目で確かめたいと思います」

 ティマイオスはどうしてもそれを確かめたかった。



 アトランティスは幹線道路だけでなく他の町や村へ向かう道も石畳で整備され、馬や馬車の通行他、多くの人々の往来で賑やかだった。区画整理された郊外の田園地帯は肥沃な土地のおかげで一年で二回違う作物を収穫することができた。地下資源も豊富で他国との交易に頼ることなく十分に生活ができていた。こうした神の加護もあり、人々は豊かな生活を送り満足な毎日を送っていたのだが、やがてそれに満足せず他国へ欲望の矛先を向けようとしていたのである。


 クインティリアヌス師とクリティアス他2名の学生は郊外のなだらかな山へ来ている。そこからは港を始め大学や町並み、環状水路に囲まれたあの神域が見渡せた。港にはたくさんの軍用帆船が待機しているのも見える。

 クリティアスはそんな中でも吹き抜ける風を感じ、雲の流れを見つめていた。よそ見ともとれるこの行動が当初は師に対して失礼では、と思っていたクインティリアヌスだが、どこにいても常に体で自然を感じているクリティアスがむしろ自分の求める叡智の行きつくところへ先回りしていっているのではないかと思えてならなかった。

「私たちは命だ。また、足元の草花や小さな虫たちも命だ。木々を飛び交ってさえずる鳥たちも命だ。今日食べたものも元は命だ。では聞くが、私たちが今こうして立っている山や川、空はどうだと考えるか」

 クインティリアヌスの言葉に改めて足元の地面や空を見つめる学生たち。二人の学生は黙ったままであるが、クリティアスはその中で屈託ない笑顔で答えた。

「師よ、天候は日々変わり、動植物に光と恵みの雨をもたらしています。それは山にも当然雨をもたらし、山が水を保水したり、小さな水源となったりします。そこから川となって上流から河口へ変わる中で魚たちの生きる環境を整えています。山は……例えば火を噴く山はその活動によって姿を変え、時には我々に敵意を向けることもありますが、何よりそれはこの大地の息吹であります。山や川、空は私たちより遥かに規模の大きい命だと私は考えます。それぞれを神が司り、私たちと共存する命です」

 クリティアスの言葉に何度も頷くクインティリアヌス。

「そうだ、私たちは決して命の頂上に立っているわけではない。山や川など自然がなければ私たちの命は続かないからである。残念だが、軍部の中で異変が起き、神の領域を侵さんとする科学者の言いなりになって命の頂上を目指すという計画が起きている。それが師匠と呼ばれる知恵者の懸念するところである」

 クインティリアヌスは学生たちを見回し、付け加える。

「人間は神を超えるべきではない。また、超えることはできない。なぜなら人間は神に作られし命だからである」


 こうして師であるヘルモクラテスやクインティリアヌスが懸念している軍部の台頭や科学者の逸脱した生命操作であるが、ポセイドンの血を引く王家でさえ人間との混交が進んだことで神の血は薄れ、判断の見誤りをするようになっていた。国王の判断は神の判断だととらえ人々はそれを支持していった。

 

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