第17話 海底神殿

 女神が神託を下し、それによって作られた兵器により、圧倒的な戦闘力でテッタリア戦線を破り前進してきたゾーマ国軍。すでに国境を越え、村へ侵入している。しかし相変わらず軍の公式発表はその事実を言うことはなく、なにか噂が流れると秘密警察がその出所を探り関係者を処罰しているので、村に近い首都オロビア市の住民は危険が迫っていることもよくわからないでいた。

 

 大地は和音から託された総譜のなぞなぞの答えを見つけてからは、あのフルートを布にくるんで背中に背負っている。総譜に隠された魔法の詠唱……しかしそれは和音にとって魔法ではなかった。和音の前世が聖職者アウラであるなら、そもそも魔力は発生しない、使えないので自分の命を削っていたのだ。元いた世界でひどいいじめにあっていた和音はなぜそこまで優しくなれるんだろう……考えることはあった。それ以上に新たに謎が生まれる。


(そんな詠唱をなぜ俺に教えたのだろう……俺が知っても同じように命を削ることになりはしないか)


 リタイが言っていた大地の前世は聖職者でもなく学生だったとのこと。いわばごく普通の人間だ。だから渚や剣斗のように剣術の心得はない。   戦地へ送られる日、和音は『きっと大地くんを守ってくれる』とは言っていたが、なにか大げさしすぎやしないか。総譜の謎は解けたが、何の力を使っての詠唱なのか。まさか命を代償にするようなものではあるまい。大地はまだ他にも答えがあるような気がして、フルートを手放さないでいた。


 その日、大地は農家の手伝いを終えて新聞屋(大地が便宜上そう呼んでいる、情報屋兼居酒屋)の奥の部屋に来ていた。ここはリタイたちの組織が集まる場所だ。店に入ってくる客は先日アーテの使い魔が大地をつけ狙って以来、リタイがチェックするようになった。

「ゾーマ国軍は戦線を突破し、村が侵略されているのに国は市民に伝えようとしないし少しでも情報を流そうとすれば秘密警察やらに当事者もろとももみ消しをされてしまう。何かいい方法はないのか」

 マスメディアにより情報を自由に知ることができた世界にずっといた大地にはこのことがもどかしくてならない。情報の伝達、情報の拡散、情報の取捨選択が思うようにできないからだ。

「では大地、あなたに戦況を見てもらうことにしましょう」

 リタイは大地の表情を見て提案をする。

「ミワさんと一緒でもいいですか。空から見た方がわかりやすいと思うんですが」

 そう言うと大地の頭の上がモソモソしだした。ミワも気になるらしい。

「もちろんよ、ミワちゃんにはこの前の失策を挽回してもらう必要が有るからね。」

 リタイはそう言うと大地の左目に左手を当てた後、自分の左目に右手を当てた。すると大地の今までの違和感の元になっていた左目に何かが入ってくる気配がした。

「あなたが今まで感じていた左目の違和感は私が操作していたもの。でもそれ以上にこれからは働いてもらうことにしましょう。大地、あなたが左目で見るものは私が受け止めて映像として市民に流します」

大地は元いた世界からでも何かしら左目に違和感を感じていた。この世界に来て実際にはありはしない白百合の群生の映像をリタイが見せたとしても、何か思い出そうとすると左目が痛むことがあった。

 リタイが手を離すとそばで見ていたティマイオスが思わず声を上げる。

「なんかすごいことになっているよ、クリティアス。リタイのこんな技は僕も初めてみた」

 ティマイオスとしてしたソポスは大地をクリティアスとして認識しているので、もう本当の名前で呼ぶことはない。大地も過去の記憶が断片的に表れているせいかそれを違和感なく受け止めている。ただ、ミワが以前言ったように壁を乗り越えていない大地にとって関連されるものではなかった。

「え?」

 ティマイオスの言葉に不安を覚えた大地は慌てて鏡をのぞき込む。

「えーっ!?」

 その姿に二度三度見直すが、確かにすごいことになっている。大地の左目が碧眼になっており、左右で瞳の色が違うオッドアイ状態なのだ。そしてリタイの左目が黒い瞳にかわっており、一目で大地の瞳と入れ替わったことが見て取れた。

「……大丈夫なんですか、これ」

「あはははは……心配しないでもいいわよ。私も初めてやったことだから。うまくいかなかったときは何とか手を打つから」

 そう言ってリタイが笑い飛ばす。神と言えど得手不得手があるとは聞いていたが、その一つなのかもしれない。この世界の神は全知全能ではないのだ。

「……初めてですか……その言葉が強烈に不安を感じさせます」

「大地、私はまだ表立って出るわけにはいかない。大変だけど皆に動いてもらうしかないの。いま下手に動いてアーテを刺激するのは良くないからね。ではミワちゃんと一緒に戦況のありのままを見てきて。大地が見たものを例の白百合の群生の映像のように私がオロビア市民の意識に映像として送ります。とにかく軍部や秘密警察が動こうとありのままの事実を見せつけるのがいいでしょうから」

「あの、ちょっといいですか。どうしても確かめたいことがあるのですが。俺はこの国の、この世界の地理がよくわかっていません。山の噴火のときは渚の龍に乗せてもらってあの山が火山だと確認できましたが、もっと全体的にこの国とゾーマ国、そして地理的要因や海岸などどうしても知りたいんです。以前、ミワさんが空を飛べると言っていたのですが、そのときは『危険な目に合わせられない』と言われて断られました。でもこうして戦況を見ることにあなたの許可を得ているなら、空から地理を確認するのも許可をいただけますか」

 大地の言葉にリタイは一瞬考え、大地の頭をみるとミワが頭の上でモソモソしだした。

「まあ、それは必要なことだわね。ミワちゃん、海も潜っていもいいわよ。大地、海の中も見てほしいものがあるからみてらっしゃい」

「ありがとうございます。ではいってきます」

 戦況を確かめるのは無論のこと、大地にとって気になって仕方がなかったこの国と周辺の地理を知ることができるうえに海に潜っていいいというオプションの許可までもらい、大地はもどかしさが消えるような気がした。


〈 空から戦線の様子や地理を確認をすることと海に潜る件、承知した。この間のような失策はやらないから安心して任されてほしい 〉


 ミワが上機嫌であることが声で分かる。本当にどこか人間臭くて憎めない蛇だ。



 大地は新聞屋を後にすると自宅周辺の迷いの森へ入った。アーテの目をごまかすために出発地点をわからなくする必要があるからだ。

「じゃあミワさん、頼むよ」

 大地がそう言うと頭がムズムズし、目の前にひときわ大きい大蛇が現れた。渚の青龍より一回りも大きいうえに白蛇だったはずの体は輝くような金色である。

「ミワさん、なんだかんだ言ってそういう自己主張はどうかと思うんだが」


〈 これじゃあダメか?皆に見てもらえるならこの方が目立つと私は思う 〉


「いや、目立っちゃだめでしょ。またリタイに怒られるよ。できるならカラス蛇ぐらいの方が目立たなくていいよ」


〈 私の意図するものではないが、リタイに怒られるのはごめんだ。仕方がない、お前が言うようにカラス蛇に変わっておく 〉


 ミワは見る間に闇夜のカラス……ではなく闇夜の大蛇と化した。真っ黒で目立たない体である。そして青龍よりも大きかった体は一回り小さくなった。大地はミワの体に乗ると、しっかりとうろこの一部をつかんだ。


「行こう!」

 大地の声にミワが空に向かって上昇する。前回、学園へ送ったもらったときは高度としてはまだ低かったのでアーテの目にも止まってしまった。しかし今回はもっと高い高度をとっている。そのため、はっきりとこの国の地理を読み取ることができる。


〈 先に海に行く。お前に見せたいものがある 〉


 リタイが言っていたように海に何かあるようだ。眼下にオロビア市の街並みを見ながら市内を流れる川をたどっていくとやがて海が広がった。パルネス国の海岸に砂浜はあまり見られず、その海岸線は山や崖が海に入り込むように入り組んだ地形が多い。そして沿岸には大小さまざまな島々が見られるところもある。オロビア市に魚がよく流通していたのもこうした自然が生み出したものだろう。


(リアス式海岸?)


 海上は低い雲が薄く広がっており、もうすぐ雨が降りそうな気配さえあった。ミワは大地を乗せて雲間をすすむ。その景色は離陸間もない飛行機からみる景色と似ている。飛び立ってどのくらいたっただろうか。すでに陸地は全く見えず、どこを見ても眼下は海ばかりだ。


〈 大地、下に見えるのがケオス諸島だ。パルネス国の領土であったが今はゾーマ国が実効支配をしている 〉


 ミワに促され、下を見ると一つの大きな島の周りに小さな3つの島があるのが見えた。島の周りには船舶が航行中だ。恐らくゾーマ国の軍の船だろう。

「あのケオス諸島がことの発端なのか?」


〈 いや、それはきっかけの一つに過ぎない。アーテの目的はこの世界に戦争を仕掛け、滅ぼすことだ。合成獣が現れるのも、オレイカルコスというこの世界の人々には未知のものを使おうとしているのも、渚や剣斗、和音を召喚してまきこもうとしているのもすべてアトランティスの悲劇を再現すべくやっていることだ 〉


「で、オレイカルコスについてはアーテはまだ手にしていないわけか」


〈 だとしても油断はならん。アーテはどんな手段を用いてでもオレイカルコスを手にしようとするだろう 〉


 ミワがそう言っている間にも陸地から遠く離れ、ある場所へ来るとミワは大地を乗せたまま海めがけて突進した。


「うわーっつ」

 思わず叫び声をあげる大地。ミワから落ちまいと必死でうろこをつかむ。

「安全運転してくれ、それに俺は泳ぎが苦……」

 大地が言うがはやいか、ミワと大地は海中へダイブする。


バシャーン!!


 海中に入り慌てる大地。しかし不思議なことに海中でも苦しくはない。ミワも大地も何かに守られているようだ。

〈 すまん、ちょっと細工をしている。海の中でも苦しくないはずだ。しっかりと見ておけよ 〉

そのまま暗い海底を目指して潜り続ける。


〈 海底に着いたぞ 〉

 ミワの声に大地がうっすらと目を開ける。どうやら海底付近を泳いでいるらしい。太陽の光さえ届かない深海であるがミワの眼光に照らされてある光景が目に入る。

 

(……これは海嶺だ……)


 大地の目に映ったのはまるで海底山脈のように海底に伸びる盛り上がった裂けめ、海嶺である。地中のマントルが内部から上がってくる場所であり、ところどころ熱水が噴出している。枕状溶岩が至る所に見受けられ、そこにマグマが噴出していることを物語っていた。枕状溶岩は噴出した溶岩が冷たい海水に触れて薄い殻をつくるものの、内部は溶岩のままであり、何度も溶岩が供給されることで殻が破れ、また海水に触れて殻をつくる……この繰り返しでできていったものである。すでに海に潜って数百メートルはあるかと思われるが、本当なら水圧でつぶされるであろう大地もミワも守られて何の苦しみもなく進んでいる。


(ということはパルネス国やゾーマ国があるあの陸地はこの海嶺上にあるのか。そしてリアス式海岸という地形を考えると陸地が隆起したり沈んだりしているのか)


〈 大地、お前に見せたいものはこれだ 〉


 ミワは海嶺から少し離れると、ある平らな海底に来た。そこには確かに人が作った建築物の遺構があちこちでみられる。どんどん進んでいくとやがてギリシャのパルテノン神殿に似た建築物の残骸があった。崩れてはいるが確かにそれは神殿だった。


「アウラ……」


 思わずその名を口にする。あの白百合の群生をリタイによって見せられたとき、和音に重なるようにして見えたあの女性……リタイが言う『聖職者アウラ』である。大地の脳裏にこの神殿を守っていたアウラの姿がよぎる。

 黒髪をまとめ上げ、白百合の群生の中でいつも微笑んでいたアウラ。聖職者でありながら世の人々に忘れられたアウラ。


(そうだ……アウラはいつも周りを気にかけている本当に優しい聖職者だった……国の将来を案じ、戦争をやめさせようと働きかけていた……)


 大地は神殿の残骸に降り立つとあのときの悲しみが一度にこみあげてきた。

「ここはアウラと俺……クリティアスが最期を迎えた場所だ……」


〈 そうだ、ここでお前たちは命を捨てて世界戦争をくい止めた。アトランティスが滅んだのはオレイカルコスの力によるものであり、そのオレイカルコスに深くかかわっていたのがお前たちだ。世界戦争をくい止めて周りの国々を救ったとはいえ、一つの国・文明・そこに生きていた生命を滅ぼした大罪から、お前たちは気の遠くなるような時間を転生することなく煉獄を彷徨っていた。その罪が許され、機が熟したところをアーテが狙ったというわけだ。お前のことは転生した直後からリタイと私が見守っていた。アーテに気づかれてはならなかったからな 〉


 ミワの言葉が重い。いたたまれなくなった大地は再びミワに乗る。

「ここは辛すぎる……もういいよ。ありがとう」


 大地の気持ちを感じ取ったのかミワは何も言わずにそのまま海上へと上がっていく。再び雲間を進みゆくミワの背中で大地は声を殺して泣き続けた。あのときのアウラとクリティアスがやった選択が正しかったのかどうかずっとその苦しみのなかで煉獄を彷徨っていたのだ。

〈 辛いことを思い出させてすまなかった……受け止められるか、この事実を 〉


「時間が欲しい。まだそんな気持ちになれない……」


〈 わかった。私もリタイもお前のことを理解しているつもりだ。ではこのまま戦況の確認へ行くぞ 〉


 ミワは背中に大地の涙を感じながらテッタリア戦線へ急いだ。

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