第3話 王立白百合学園

 王立の学校は「白百合学園」といい最初名前を聞いただけで女子校じゃないの?と笑った大地だったが、異世界だからあまり考えないでおこうと決めた。和音は学校までの道のりを大地から1メートル離れて歩いていた。1メートルでもかなりの譲歩であり、けっこうハードルが下がっている。

 学校に入るとすぐにふくよかな女性が出迎えてくれた。校長のシェーンベルクである。電話も無線もない世界で唯一の手段が「郵便」であるが、国王の命令なり連絡なりは相応の手段があるようだ。シェーンベルク校長は二人を教室まで案内してくれた。


 白百合学園は大理石や御影石などふんだんに使われており、アーチ状の天井とステンドグラスが至る所にあり、元の世界で言えば西洋のゴシック調の建物に似ていた。大理石の壁を特に意識してみながら大地が歩くので、シェーンベルク校長は不思議そうにしていた。

「壁に気になる汚れでも?」

「汚れじゃないですよ。俺が気にしているのはこれです」

 大地は大理石の壁のある部分を見つけるとシェーンベルク校長や和音に示す。それはアンモナイトの化石だった。

「これはアンモナイトと言って太古の時代、海に生きていた生物です。岩石の中にはこうして化石が含まれているものもありますからつい目がいってしまうんです」

 異世界にもアンモナイトがいたという嬉しさで笑顔になる大地。和音もアンモナイトの化石を見つめている。しかし当のシェーンベルク校長は全く気にしないで教室へ入るよう促した。しかしそれは二人とも同じ教室だった。

「あ、あの……和音と俺は同じ教室なんですか?」

 何かの間違いだろうと思いつつ念のため大地が尋ねる。

「国王陛下は同じ学年で、とのことでしたよ」

 涼しい顔でシェーンベルク校長が答え、そのまま教室にいる担任や生徒たちに紹介した。生徒たちは転入生に大喜びである。しかも昨日のキメラ討伐組だ。たちまち質問攻めになる二人。それを制したのは担任だった。このことでようやく静けさを取り戻し、二人は隣同士の席に着いた。

「和音、これは絶対見た目で判断されてると思わないか。どう見ても中学生っぽい生徒ばかりだろ。俺は高校生なのに中学生として転入になってしまった」

 大地は深いため息をついた。

「私は…一人じゃない方が安心なので、大地くんがいてくれた方が助かります」

 小さく和音が声をかける。和音の本音だろう。



 最初の授業は数学で、解の公式を使った方程式の解き方の授業だった。数学や理科は異世界も元の世界も同じ学びなのが良かった。手すきの紙に羽ペンで答えていく。

(やはり俺にとっては復習だな)

 そう思い隣の和音を見ると、和音はペンの動きが止まってじっとうつむいている。

「具合悪いのか?異世界の学校、初めてだもんな」

 大地の言葉に和音は首を横に振る。

「違うんです……あの……勉強がわからないんです。あんまり学校に行けてないし授業も受けていないので」

 和音が涙ぐんでいるので大地は慌てた。こんなときどう言ったらいいんだろう。

「帰ったら勉強見てやるよ、それでいいか」

「……お願いします」


 大地は極力他の授業中も和音の学習のサポートをしていた。恐らく何かの事情があって和音は不登校や保健室登校をしていたのだろう。じゃあ、その分この世界にいる間に取り戻せたらいい、そんな気持ちだった。

 白百合学園は校長の話によれば誰でもはいれる学校ではないらしい。国の内外から選抜された子供達がここで学んでいる。費用は国の予算で賄われ、職員も国から直接雇用されているそうだ。そんな学校に国王の計らいで無試験で転入しているわけだから和音の学習を何とかしないといけない。

 

 昼からは地理と音楽の授業だ。地理はさすがに元の世界と地形が違うので覚えるのは大地も和音も同じ立場だ。大地が昨晩入浴中に考えた通り国の西側に標高の高い山があった。沢の位置や外見からも恐らく火山だろうとは見ていたが、先生はそのことを何も言わなかった。そういう認識がないのかもしれない。時間をとって「フィールドワーク」するかな、そう思いつつペンを走らせる。


 大地は音楽の時間にあまり乗り気ではなかった。高校でも美術を選択していたのはある理由があってのことだ。しかしさっきまで自信なさそうにうつむき加減だった和音は笑みがでていて表情がとても良い。これは教科の好き嫌いによるものだろうか。特に音楽室に入るなり、両手を組み合わせて感動を抑えられないといった様子の和音が思わず言う。

「驚きです!この世界にピアノがあったなんて」

 音楽室といえば普通にピアノがあるものだと思うのだが、ここは元の世界ではない異世界、何か違う。ピアノがない世界だったかもしれないのだ。そんな和音の表情に先生が気付き、手招きする。

「これはハンマーフリューゲルというのだが。良かったら試してみるかい」

 細面で巻き毛の男性教師は静かに音を聞かせる。それは大地が知っているピアノとは少し音が違っていた。ポソポソするような音色は聞いたことがない。

「ハンマーフリューゲルは私たちの世界で弾かれているピアノの前身です。多分弾き方に工夫がいると思います」

 和音は目を閉じて気持ちを落ち着けると静かに弾き始めた。ポソポソする欠点をカバーするかのように装飾音を使い、見事に弾きこなしている。その場にいた誰もが聞いたことがない音色に聞き入っていた。

「驚いたね、そんな弾き方をする人を私は初めて見たよ。ちなみになんていう曲なんだ?曲自体も私たちの世界とは構造が違う。新鮮な気持ちだよ」

「今弾いた曲はメンデルスゾーンが作曲した無言歌曲集の一つで『信頼』という曲です。楽譜通りだとこの楽器に合わないところがあるので少しアレンジしましたけど。すみません、調子に乗って学校の大事な楽器に触ってしまいました」

 そういってハンマーフリューゲルから離れようとする和音を男性教師が引き留め、

「あなたが弾きたいと思うなら放課後にでも弾きに来るといい。異文化の交流はお互いにプラスになる」

「ありがとうございます」

 和音は深々と礼をした。この礼というのも異文化なのだが、ちゃんと教師に思いは伝わっていた。学校でホッとするものができたせいか帰るころには和音の位置は大地の横になっていた。そしてうつむかず前を向いて歩いている。

「楽しみができてよかったな、じゃ、帰ったらすぐに今日の復習を一緒にやろうぜ。わからないことをそのままにしておくのは良くないからな」

 和音の変化に安堵する大地。和音はその日だけでいろいろな元の世界との違いを見つけていた。まず大きな違いはこの世界には管楽器がないということ。つまり大地が音楽を高校で選択しなかった理由であるリコーダーが存在しないのだ。弦をたたいたりはじいたりして音を出すものは形にちがいはあるものの存在していた。打楽器も古代から変遷し使われている。しかし元の世界では古代に発明され、進化していった管楽器が存在しない。誰もそれを考え付かなかっただろうか。大地はその意味で音楽の時間の不安がなくなった。

 

 帰宅するとさっそく和音へ学習のレクチャーをする。中学校へまともに通っていなかった分を一度で取り戻すには無理があったが少なくともこの学校で学習しているところは押さえたい。そう思って大地は余分に宿題をもらっていた。和音も集中して幾度となく質問をしてくる。わからないことが分かるようになってくるとやはり嬉しいようだ。

「これでなんで数学を勉強しないといけないかよくわかった。いつ何時異世界に飛ばされてもそこの学校で勉強できるようにだ」

 真顔で大地がい言うと

「なんか違う気がしますよ」

 クスっと笑う。この日はもうフードを被ることなく、顔を見せている。和音ははっきり言って美人ではないしかわいいとも言えない顔つきだが、どこにでもいる女の子といったところだ。

「なあ、気を悪くしたらごめん、聞いていいか?和音」

「なんですか?」

「中学校へあまり行かなかったと言ってたけど……病気したとか?嫌なら答えなくていいよ、ごめん」

 途端に和音の表情が曇る。大地はまたやってしまったという思いに駆られる。

「……私は中学校で虐めにあっていました。なかでも3人組のグループから酷いいじめにあって学校へ通えなくなったんです。保健室や図書室で過ごしても授業を受けるわけではないし終始先生が相手をしてくれるわけでもない。勉強がわからなくなって当然ですよね」

 またうつむいてしまった。

「嫌なこと思い出させちゃったな……ごめん。勉強が分からなくなったのは和音のせいじゃないよ。和音は日本国憲法を知っているよな、日本国憲法の26条『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する』とあるんだ。俺たちは教育を受ける権利がある。どんな状況であっても学習の機会を失うわけにはならない。例え保健室登校でも家で過ごしていても今はリモート学習ができる時代だ。工夫次第で授業は受けられる。だからそれを提案したらいいよ。俺だって学校から帰ったら塾のない日はアプリによる勉強をやっている。夢があるからな」

「夢、ですか」

「ああ、大学で地学をもっと勉強したいんだ。その進路に進みたい」

 勉強が終わるころには外は真っ暗になっていた。二人とも集中していたので時間経過がわからなかった。和音は以前みたいにおどおどしているわけではなく、静かに大地の話を聞き入っていた。

「夢がかなうといいですね。私の方もリモート学習をお願いしてみようと思います」

 そう言ったとき玄関の方から渚たちの声が聞こえた。

「お帰りなさい」

 口々に言いつつ二人が玄関へ出迎える。


「はいはい、ただいまー。ああ疲れちゃった。今日はなかなかハードな一日だったわ。剣斗、あなたも超ハードだったみたいだから先にお風呂にはいりなさいよ」

「ご自身もお疲れなのに僕への気遣い、さすが渚さんです。マジ神です~!」

 剣斗は言われるまま温泉へ直行していく。その姿に

(あいつは疲れても疲れなくてもあんな感じなのか。明日は一人で4人分メシを作らせてやる)

 半ば呆れた大地だった。


 渚は帰り道でまた町の農家から頂いたといって袋から野菜を取り出した。葉物や根菜、イモ類などさして変わりはない。メロンは網目がないので昔田舎で食べた「うり」に似ていた。じゃがいもはこちらでは赤紫の皮で中身が黄色いものがじゃがいもとして作られていた。大きさを考えなければさつまいもとして食べてしまったかもしれない。剣斗が入浴を満喫している間、3人は手分けして野菜を切り、干し肉を使ってシチューを作っていた。生野菜は煮沸した水をさまして洗った。生水を使えないのは本当に不便だ。

「市長に簡単なろ過システムを説明したんだけどね、イメージつかんでもらえなくて……で、こう言ったの」

 渚は声を落とし、

「川の水も池の水には魚のうんこ、井戸水には虫の死骸や鳥のうんこが漂っていて、そのまま飲むということはうんこを飲むということです、てね」

 そばで聞いていた大地に悪寒が走る。

「それ、かなり強烈なコメントですね」

「うん、そう言ったらさすがに何とかしなくてはと思ったみたい。今まで剣斗みたいにお腹を壊した人がいたみたいだから。まあ、これはこの町だけでなく国レベルで取り組むべきこと。下水システムも構築する必要があるわ」

 もし本格的にやるなら重機もないこの世界のこと、何年もかかることだろう。

「渚は元の世界で水の仕事ですか?」

 大地が聞くと

「ピンポーン!私の仕事は『お水』よ、世のため人のために働いていまーす」

 ふふっと薄ら笑いをする。この笑いに大地の「敵感知」が再び発動する。

(そうか、毎夜お酒を男の人に提供して元気にするスナックとかキャバレーとかクラブとか……渚は美人だもんな。メロメロな剣斗はきっと大学に戻ってもアルバイト代をつぎ込んでこの人に入れ込むだろうな、かわいそうに)

「大地くん、手を止めてはダメですよ」

 ぼーっとしていたら和音が声をかけた。

 

 料理を作りながら渚は二人に学校がどうだったか聞いてきた。学校であった出来事を家族に話したのはいつだったろうか。大地も和音も話さなくなって久しい。渚は頷きながら話を聞いてくれた。やがて風呂からあがってきた剣斗も加わり、夕食が出来上がった。

 渚と剣斗は軍の中で剣術や防御など学んでいた。どうも剣斗の剣はこの世界にはない金属とのことで、鍛冶屋が首をかしげていた。重く黒っぽい剣は剣斗が持つと空間が歪んで見えるかのような「気」を発していた。

「わかりやすく言うと魔剣だそうだ」

 剣斗は自分の剣が魔剣だと知り、ますます有頂天になっていた。確かにこの魔剣は切れる以上のものがある。体を切るのではなく生命を切る、そんな感じだ。

「ご厚意で学校で勉強させてもらえることになったけど、本当に厚意だけだろうか。何か裏がありそうな気がする」

 大地の言葉にハッとする渚。

「軍隊って言ったけど特に敵国がどうのこうのって話は聞かなかったわ。確かに最近になって現れたキメラなどの合成獣を討伐したいから力を貸してくれ、とは言っていたけど。大地と和音がわざわざ王立の学校に行くことになったのも何かあるかもね」

 話を聞きつつ、美味しいと言ってはお代わりをする剣斗を横目に頷く大地。

「軍隊やら王立の学校やらで監視したいんじゃないのか。まあ城に上がった時に観察しておこう。まさか本人に直接聞くわけにはならないからな。それから……」

 大地は3人それぞれに目をやると

「あの討伐したキメラ、どこかで俺は見た気がする。本でも映画でもない。空想上の生き物だといわれているけど……あれは……元は人間だ」

 言い切ったのにはそれなりの理由があった。あの討伐の時、大地の左目はキメラの元の姿を映し出していたのだ。キメラに対する既知感は3人も同様に考えていた。

「国王は何かとてつもないものを求めているのかもしれないな。あまり気を許すべきじゃないだろう」

 その夜は新月、街灯のない戸外は物の怪が潜むかのように真っ暗だった。

 

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