第112話、報復の記録・『 私は、地獄を見た ① 』

 昨年の夏、終戦記念日に合わせ、個人的ではあるが、以前から想う事を綴らせて頂いた事があった。 ( 調べたら、第62話 )

 実は、今年の春、ネットサーフィンにて、そのエッセイに辿り着き、読んで頂いた初対面の方からコメントを頂いていた。 その方の友人のカクヨム登録者の方が、私の旧知の知人であり、知人から代理で、LINEにてコメントを頂いたカタチである。


 その方は、『 隣国 』の政治研究をしているWebサイト主宰の方との事。 う~む… 世の中、色んなコトをしている方がいるものだ……

 ただ私は『 右 』でも『 左 』でも無い。 非常識や、筋が通らない事に対し、異常にエキサイトする性格であるだけで、どの『 派閥 』にも属さない事を、最初に宣言させて頂く。


 その方から、カクヨムの知人を通し、先月、再びコメントを頂いた。 どうやら国際政治に関する書籍を出版するらしく、歴史教育を受けた大戦後世代の方の意識調査として、何項目かの質問に答えて欲しいとの事だった。 私の知り得る限りの範囲で、『 イチ、壮年の日本国民として 』返答させて頂いたのだが、コメントの中には、こんな質問もあった。( 原文のまま )


「 福島原発の処理水海洋放出についての話しや、第80話にあった近代中国政治図を彷彿とするような、冷静な視点での政治コラムをじっくりと拝読させて頂きました。 思うに、先の大戦に関しても、あなた自身の考えるところは多々、おありなのではないですか? 3つのエッセイ内容からも、おそらく膨大な資料をお持ちのご様子…… 実際、『 某国 』においては謝罪問題に加え、靖国問題もあります。 ハッキリ申し上げて、靖国神社に関しては日本の国民もその存在意義をよく理解していないし、明確に説明する事が出来ません。 あなたならどう解釈・説明しますか? 」


 まずは、『 コラム 』に対しての過分なるお言葉、恐縮である。 お礼申し上げる。

 個人的には、世界情勢・政治に関しての事柄は、このエッセイで掲載したくはないのだが、先記の通り『 熱く 』なる性分なのは、致し方ないので、ご勘弁願おうか……

 ただ、『 ご質問 』頂いた内容…… これは、非常に難しい問題である。

 個人による価値観の相違もあるし、歴史認識なるものは国によって、明らかに違って来る。


 コメントを頂いた方には、既に先月末、真摯に回答をさせて頂いているのだが、以前にWebで読んだ学説や歴史評論の内、大戦後における庶民の生活を『 国民の目線 』で説明していた評論には、妙に納得させられる内容のものもあり、この機会に、とあるサイトで読ませて頂いた対談形式の評論を参考・引用して、私なりにまとめてみようかとの考えに至った。


 創作作品として別掲載しようかとも考えたが、このカクヨムには、歴史評論のカテゴリが無い。 よって、この『 青空のふもと 』に掲載する事にした。 長くなるので、3部編成となる予定である。


 こういった話題は、日本的には、やはり終戦記念日辺りに多い事だろう。 7月の、今の方が、熱くなる方々も静かだし、頃合いとしては良いかもしれない……

 おそらく、壮絶なる過去の列挙となると思われるが、先の戦争の事など、興味が無い方にとっては、全くの駄文に相当する事だろう。 だが、先人あっての自分である事は、まごう事なき事実である。

 難しい歴史解釈は、あえて避けようとは思うが、現代からは想像も出来ない地獄を経験した人々がいた事を、私たちは決して忘れてはならない……



 ここに、1人の『 語り部 』を置く。

 『 彼 』には、文書・証言に裏付けされた『 事実 』のみを語ってもらうが為、地獄の史実を、実際に見聞して来た者とする。 今、年老いた彼の口を、語り易くする為に、年齢を60歳ほど若返らせてみた。 実質年齢、30歳頃の男性になるだろう。

 戦時下を過ごして来た年代らしく発言させる為に、彼の心情・発言が、報国的感覚に寄ってしまう事については、悪しからず……

 では、彼が『 見て来た 』地獄を、証言・信憑性ある資料に基づき、史実・真実の内に語って頂く事としよう。



 靖国神社? …ああ、なるほどね。 あそこに祀られている『 戦犯 』ってのが、問題になっているんだろう? 戦時下を過ごし、戦中の教育を受けて来た僕にとって、『 問題 』と言われる事の方が違和感を覚えるんだが… まあ、どうやら、それ以前の事から話した方が良さそうだね。

 そうだな… 辛かった太平洋戦争が、やっと終わって日本の武装解除が完了した頃、日本にやって来たアメリカの占領軍が言ったセリフが、僕にとっては唖然とする内容だったよ。

「 連合国は、いかなる点においても日本国と連合国を、平等にみなさない。 日本国は、文明諸国間に地位を占める権利を認められていない。 敗北せる、敵なのである。 占領軍の最高司令官は、日本政府に対しては、命令のみを実行する。 交渉はしない 」

 ……だってさ。

 武装解除させて、日本国民からのゲリラやテロの心配がなくなったから、てめえの都合で反故にしたんだよ、国際法上の『 休戦協定 』をね……! まあ、相手が欧米人じゃなく、本来、見下すべきはずのアジアの猿だったんだから、当然の考えなんだろうな。


 で、悔しいけど、とにかく生活を立て直さなきゃ… ってんで、気を取り直して、一所懸命に頑張り始めていた日本国民だったんだけど…… そこに、思いもかけなかった『 連中 』がやって来たんだ。


 そう、GHQの『 使い魔 』がね……!


 アメリカ兵が直接出向くと騒ぎになるからってんで、学校の校長先生とか、警官が呼び出しに行ったこともある。 「 君を裁判に掛けるから、とりあえず来なさい 」ってね。

 突然の呼び出しに、着るものひとつで、家を出た彼ら…… その多くは、二度と帰って来る事は無かった。

 その後、家族たちは新聞に載ったご主人の、あるいは兄弟・息子の名前を見つける事になる。


「B・C級戦犯」として処刑された 」と。


 遺体は、秘かに焼却され、遺族の元へは、一片の遺骨たりとて届けられなかった。

 ……戦争は、終わってなかったんだよ。

 8月15日ってのは、日本軍による戦闘の終結。 『 終戦 』じゃない。 国家間の関係としては、サンフランシスコ講和条約が発効する昭和27年4月28日まで、戦争状態は継続されてたんだ。

 そんなのは、理屈だって?

 違うよ。

 その頃、まごう事なき『 戦争 』が行われていたんだよ。 既に、抵抗するすべを持たない日本人に対する、残虐非道な復讐…… 『 軍事裁判 』という名の処刑場でね。


 東京裁判ばかりが取り沙汰されるけど、それに並行して、戦勝国とされた7ヵ国( 駆け込み国を含む )が、それぞれに各地で『 B・C級 』に対する『 裁判 』という名のリンチを行った。 有名なのが、横浜裁判さ……!

 名目は、戦地において、戦争犯罪を犯した者を裁くものだったけど、『 戦争犯罪 』なんてモノは、戦勝国となった連中も当然、犯している。 でも、戦勝国の犯罪は、一切不問に付された。

 ……あたりまえだよね。 復讐・報復の為の、儀式としての『 リンチ 』なんだから。 勝った者が、全ての勝者なんだよ。 法も秩序も、全て戦勝国の思うがままだ。


 その結果、1061人もの日本人が、B・C級戦犯とされて処刑された。

 国内では、「 戦争は終わった 」と、日々の生活に勤しみ、復興に向けて必死になっていた頃…… 日本の『 矜持きょうじ 』のために戦った国民たちが、人知れず殺されていたんだ。


 何で、そんな事が分かるのかって?


 戦勝国は、遺骨さえ渡さなかったけど、紙の切れ端、あるいは、トイレットペーパー( 当時は『 チリ紙 』と呼ばれていた )に書かれた遺書…… それを、秘かに教誨師きょうかいしが持ち帰って、遺族の方たちに渡していたものが、今でも遺されている。


 ……いいかい? 『 戦犯 』なんてのは、戦勝国側の呼び名だ。

 その実態の多くは、戦勝国連中の単なる報復… 言うなれば『 恨み 』の為に殺されていった『 戦死者 』だよ。 そして、彼らは今、靖国神社に祀られている。 遺書は、『 英霊の言乃葉 』に載せられてるから、読めばいい。

 更に言えば、日本を裁いた連合国側には、樺太などの北方領土や、北方四島を侵略中の… しかも、日本軍兵士数十万人をシベリアに抑留し、強制労働させている真っ最中だったソ連( 現ロシア )までが、裁判側として加わっていた。

 あと、日本の敗戦後、すぐにインドネシアは独立宣言を出したが、このインドネシアの再占領に乗り出したイギリスに、「 平和に対する罪 」などと言って責められちゃ… 全くもって、たまったモンじゃない。 どう思う? 筋が通っていると思うかい?


 ……さて、B・C級 戦犯容疑者裁判だが、これらはアメリカ・イギリス・オーストラリアなど7カ国が主宰国となって、国内外の49の裁判所で、ほとんど非公開で行われたんだ。 5700人が、捕虜虐待や民間人殺戮などの戦争法規違反に問われ、920人が処刑された……!

 B・C級 戦犯裁判は、首を傾げたくなる内容が多かった。

 元捕虜の証言などを手がかりに『 犯人捜し 』が行われたが、身に覚えのない容疑で逮捕され、そのまま処刑された者も、少なからずいたようだね。

 また、イギリスやオーストラリア・オランダのように、日本軍の捕虜になった者を裁判官に選び、『 報復的 』な処置を前提にしたり、罪状調査、陳述などを省略するもの、通訳がつかなかったりしたものも多数あった。 中には、法廷での、本人の陳述の機会すら与えられないケースもあり、勢い、感情的な判決が多かったんだ。


 B・C級戦犯裁判について書かれた書物をいくつか読んでみると、インドネシアに再侵略したオランダの軍事裁判が、もっとも訴訟数が多く、裁判内容も粗暴な判決であったものが多い。


 ……日本とオランダとの戦闘行動は、わずか9日間だよ?


 捕虜や、一般市民が受けた人的被害は、他の連合諸国に比べて、最も軽微なものだったのに、なぜ、戦犯に問われた数と、その量刑が、他とは比較にならないほど重酷なものだったのか……?

 その理由の1つとしてあげられるのは、オランダの『 プライド 』さ。

 オランダ本国が、既にヨーロッパ前線において、ドイツとの戦いに疲弊している間隙を縫って、インドネシアが日本に奪われてしまったという『 恨み 』……

 また、日本敗戦後も、オランダ自らインドネシアを奪い返したのではなく、イギリス軍が上陸し、日本の武装解除をしてから、オランダが譲り受けたという『 屈辱 』……

 もう1つの大きな理由は、オランダが再びインドネシアに上陸した際、インドネシア独立共和国との闘争があったが、そのインドネシア独立に、残存日本兵が大きく力を貸していたという事実があげられるかな……


 いずれにせよ、今まで占領していた者たちを『 自由に 』裁ける機会を、無条件で得る事が出来たんだ。 そりゃ、誰だって、やりたい放題になるってモンさ……!

 止める者も、当然、いないしね。 大体、低レベルと認識していた猿を援護する者なんて、だれもいやしなかったんだ。


 以前、日本の授業で使っていた、歴史参考書に載っていた話をしようか。 現在も記載されているかどうかは、僕では分からないから、とりあえず話しておく。 南洋の、とある捕虜収容所での話だ……

 その地域は食糧事情が乏しく、捕虜どころか、兵たちの食もままならない状況だった。

 餓える捕虜の姿を不憫ふびんに思った日本軍の監視兵の1人は、自分が食べるはずだった食料を捕虜たちに分け与えたんだ。 捕虜たちは皆、泣きながら感謝し、その監視兵の食料を食べた。

 ……ゴボウって食材を、知ってるかい? いわゆる、植物の根っこだ。 日本では、茹でて味付けをし、皆、当たり前のように食べている。

 この時、監視兵が、同胞の兵たちの目を盗んで、密かに捕虜たちに分け与えていた食べ物は、ゴボウに似た食材だったんだ。 それを、戦犯裁判の際、元捕虜たちは「 草の根を、食べさせられた 」と、この監視兵を訴えたのさ……!


 この事件は南洋の捕虜収容所ではなく、日本国内の収容所での話、と言う一説もあり、今となっては、いわゆる『 都市伝説 』化している話だ。

 衛生面・待遇の悪さから訴えられた、新潟の『 直江津捕虜収容所事件 』のように、8名が絞首刑になった事例があるが、この直江津の案件にも、食文化の違いから起こってしまった起訴内容が含まれている。

 ……そもそも、南方の国々で行われた裁判には、先記したように陳述の機会が与えられなかったり、通訳が付かなかった裁判が多々あったので、似たような内容の起訴状が提起されていても、弁護する機会は皆無だったんだろうね。


 腹を空かしている捕虜たちに、自分の食べる分の食材を、分け与えた……


 それで処刑された者の気持ちを、考えてみなよ?

 良かれと思って行動したのに、その結果、恩を仇で返すような仕打ちをされ、更には、罪に問われたんだ。 しかも、誰も弁護すらしてくれない。

 人間不信に陥っても、おかしくはないだろう……


 昭和27年、参議院法務委員会での法務省保護局長の答弁にもあったが、いわゆる『 ゴボウ事件 』に関する内容は、間違いなく戦犯法廷で起訴・提起されている。 この、ゴボウに関する訴状提起は、食文化の違いから起こってしまった、完全なる『 冤罪 』だ。


 処刑された収容所の職員・兵も、靖国神社で祀られている一柱なのさ……


 こうして、各地で『 裁判 』と言う名のリンチは、繰り広げられていった。

 次回、ハッキリと史実に残されている『 裁判 』を紹介しよう。

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