第103話、神は、お見通しなり
先日、崇敬神社である大社に、実家にあった古い神棚のお社を持ち込み、お焚き上げ奉納を行った。
第12話、『 1月生まれの赤ちゃん 』にも登場したが、引っ越す前の我が家では、小さいながらも神棚を設置し、お社を祀っていた。 実家にも、借家時代からあった神棚とお社があり、かれこれ60数年モノのお社だったが、45~6年前に増・改築した後は、神棚が無くなり、ダイニングの造り戸棚の一番上の棚に、お社が『 入っている 』だけだった。( 面倒くさがりの、お袋の所業 )
引っ越しが決まった頃から悩んでいたのだが、つまるところ「 どちらの、お社を残すか 」である……
色々と調べ、大社にも電話をして確認したのだが、結果的には「 どちらでも良い 」そうだ。
その後も、散々に悩んで苦慮した挙句、結婚式を挙げた大社でお祓いをしてもらった『 我が家のお社 』を正式に祀る事とし、古いお社を、お祓い・処分してもらった次第である。
持ち込みをする前に、お社の中を確認する為、『 開門 』してみた。
何と、崇敬神社の札が無い……! それどころか、お伊勢さんの札も無い。
どうやら氏神さんの札を毎年買い、お社に立て掛けていただけだったようだ。
……よく、これでバチが当たらなかったものだ……
代わりに、何やら入っていたものがあったので、出してみた。
……何と、私と弟の『
名付けに際して、大社から祈祷を受け、1文字を貰い受けて、それを名前に反映する名氏子は、全国でも珍しい神事だ。 1文字を貰い受けた者は、名氏子として登録され、大社によって未来永劫、記録されるそうだが、この名氏子証書… 確か、15歳を迎えた後は、奉納返却する決まりのはずだ。 なぜ、ココにある……?
まあ、私と弟、共に今まで、長期入院するような大した病気やケガも無く、無事に過ごして来た。 ご利益は、あったとするべきか。(笑)
ここは、まさに神様に感謝である。
弟の名氏子証は、後日、本人に渡す事にしたが、お社の中を更に確認すると、それ以外に、古ぼけた神社の札が1枚、入っていた。
神社名には、覚えがあった。 当時、住んでいた借家の近くにある神社である。
現在、実家がある場所に引っ越したのは56年前…… この札は、それ以上前のもの、 と言う事になる。 フツー、神社のお札は、1年ごとに替えないか……?
引っ越しをして、奉納する機会を失ったと推察されるが、それにしても、あまりにお粗末な所業だ。 我が親ながら、恥ずかしい限りである……
まあ、それでもバチが当たらなかったのは、崇敬大社の神様は、大そうおおらかな神様だったのだろう。(笑) 無神論者の方からは「 神様なんてモンは、いりゃしないんだから、何も影響ないって 」と、一笑される事であろうが、以前、このエッセイに書いた『 仏様云々 』と同じだ。 自分より上に、自分の叡智が届かない高みを置き描く事により、己の小ささを理解し、切磋琢磨を怠らないようにする思想…… これも、人によって価値観の違いはあるのだろうが……
本日、新たに
今後、新しき
*近況ノートに、新しい神棚の画像をUPしておきます。
ちなみに、神棚に神が宿る訳ではありません。 神界との『 TV電話 』の
ようなものです。 神様側からは、我々の生活・行い( 所業 )が見えている
とされています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます