第102話、主無き『 時の黙示録 』

 まだまだ、膨大な引っ越しの荷物に囲まれての生活だが、何とか『 新生活 』が送れている。 『 一日、一荷物 』を己の戒めとし、徐々に荷物の開封・所定の場所への移動・新たな定位置への整理に追われる毎日だが、自分の家を持つ事は、生活意識への刺激にもなり、毎日の営みにも目的意識が持てて良い。

 先日、固定資産税を全期納付したし、キッチン・バスルームのリフォームに続き、屋根瓦の補修工事にも着手。 俄然、リフォーム計画の遂行にも張り合いが出ると言うものだ。

 そんな中、遺品整理の対象から外れていた古ぼけた鞄を整理していたら、親父の腕時計が出て来た。


 ……ホームセンターなどで販売している、よくある量産タイプのデジタル腕時計。

 そう言えば、ほぼ毎日、はめていたな……


 動きを止めてしまった親父の鼓動に比べ、無機質なデジタル表示は、正確に時を刻んでいる。 もう、表示を見る主はいないと言うのに……



 次いで先日、2年前に亡くなったお袋の『 忘れ形見 』とでも表現しようか……

 生前、車庫の屋上にあるテラスで、大量のさつき盆栽を育てていたのだが、傍らにあるプランターでは、チューリップやコスモスなど季節の花を植えていた。

 お袋が亡くなった後は、やはり育てるのが面倒らしく、親父は、全てのさつき盆栽を処分。 プランターの花たちも、枯れた後はそのまま放置されていた。

 だが、先日、1本の真っ赤なチューリップが咲いているのを発見。


 放置されたプランターに咲く、1本の真紅のチューリップ……


 これもまた、育ての主もいない。

 たくましくも、『 1人で 』芽吹き、成長し、花を咲かせた。


 無機質と、生気の狭間……

 

 『 時 』は、その両方に通ずる黙示録だ。 その予言は、過去からやって来る。

 ならば…… ヒトは、過去と未来を繋ぐ、『 時 》の狭間で生きる蜻蛉かげろうのようなものだろう。 わずかなる命を、悠久なる『 時 』の中で紡ぎ、やがて天寿を全うし、泡沫うたかたのように消えて行く……

 残された『 物 』たちは、逝ってしまった主たちの遺志に関係なく、永遠なる時の流れに身を委ねるのだ。


 哲学でも、抒情詩でもない。

 ただある、時の黙示録……

 最終章は、神のみぞ知る境地の世界となろう……


 食卓の上に置いた親父の腕時計を眺めながら、ショットグラスのウイスキーを煽る。 電池が切れるまで、こうして目の届く所に置いておくか……


「 お~い、儂の腕時計、知らんかぁ? …あ、こんなトコに置いとったんか 」


 親父の声が、聞こえたような気がした。

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