第98話、母と、シャネルの5番

 2年前に亡くなった母の、古い三面鏡の袖引き出しから、シャネルの5番が出て来た。


 女性に人気の定番香水、シャネルNo.5……

 フレグランスの嗜好にはハッキリとした個人差があるし、時代によっては新しいフェイスも登場する。 香水に不動の逸品など、あって無いようなものだ。

 だが、根強いファンはいる。 ティーンの年代にも、古くからの銘柄を支持する層は存在するのだ。 シャネルの5番は、王道のパルファンとも言うべきブランドなのかもしれない。


 この、シャネルの5番…… 実は、私の幼い記憶に、未だハッキリと残っている出来事がある。 あれは、もう50数年前だろうか……

 自宅( 実家 )から、車で数分の所に、時折、今で言う『 フリーマーケット 』のようなイベントを開催している場所があった。 販売側は一般の人ではなく、露天商のような… テント店舗にて営業をしている、業者の人たちだったような記憶だ。

 その日は親戚の家を訪ねるついでに、家族で立ち寄ったのだが、雑貨を扱っている店で、母はシャネルの5番を買った。

 車に乗り込むと、母は言った。

「 デパートより安いから、買っちゃった 」

 早速、首筋辺りに付ける。

 車内だった為、『 高貴 』な香りが充満し、香水など、嗅いだ事が無い私( 多分、小学校の低学年くらいだったか…? )は、窓を開け、叫んだ。

「 うわ~、臭いっ! 」

 弟もマネし、はしゃぎながら言った。

「 あははは! 臭い、臭い~ 」

 決して、臭くは無かった。 むしろ、とても心地良い香りだったと記憶している。

 だが、そこは子供。 本心とは、裏腹の… ある意味、『 笑い 』を取る為の言動が先に出てしまった。

 母は、無言となり、以来、ほとんどフレグランスを付ける事は無くなった……


 元々、あまり香水を付けなかった母だったが、親父までもが窓を開け始めた事実に、少々、気分を害した様子だった。

 今、思うに、「 わぁ~… いい匂い! 」の一言があったら、母も喜んだ事だろう。

 実際、良い香りだったのだ……


 古ぼけた化粧箱を開け、中の小瓶を取り出してみる。

 ……ほとんど、使用した形跡は無い。 瓶の中の容量も、ほぼ新品のままだ。

 現在と変わらない形状のガラス製コルクを引き抜く。

 瓶口を鼻に近付け、左手で軽く扇ぎながら、中の香水の香りを嗅いでみた。


 あの頃、嗅いだ香りとは、少々、違う……


 記憶が曖昧な事もあるが、およそ半世紀以上の時が経っている。 香水成分が変化していても、おかしくはない状況だ。 ……いや、それ以上に、まだ香りを嗅げる状態である事に驚きである。 違う形状の瓶に移し、『 それらしい 』ネーミングのラベルを貼って「 ディオールの新作だよ? 」と言ったら、すんなり受け入れられるレベルだ。 やはり、歴然としたブランドの、品質の良さの証明だろう。 恐れ入った。


 さすがに、妻に、そのまま使わせる訳にはいかない。

 クローゼットや引き出し、管楽器ケースの『 香料 』として使うつもりだ。

 その前に仏壇に供え、母に一言、詫びるか……



 お袋。 あんときゃ、悪かったな。

 すげ~、いい匂いでさ。 ちょっとビックリしたんだ。

 親父、ソッチ行ったろ? 聞いてみてくれ。 多分、俺と同じコト言うぜ?(笑)



*近況ノートに、画像をUP致します。

 現在のものとは化粧箱・ボトル共に、文字の表記が、少し違うようです。

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