第88話、親父が遺した手帳
とにかく、親父は『 メモ魔 』だった。
ポスターや広告・カレンダー等…… 裏面が白い紙は、捨てずに取って置き、それを短冊状に切る。 なぜ短冊状なのかは不明だが、いわゆる『 メモ用紙 』を作っては保管し、それに様々なメモを書き残すのだ。
友人・知人・親戚の電話番号や住所、PCの操作法や週間予定、畑で採れた野菜の種類から、名言・ことわざ、はたまた話題の映画やTV番組名、タレントの名前、メルアドや暗証番号……
メモの内容が、あまりに多岐に亘る為に、ナニが書いてあるのか分からない事が多い。
そして、それを机やPCの画面に貼ったり、クリップでとめるのだ。
当然、冊子や本のページの間にも、無数の『 短冊 』が……
本来、その情報があるべきはずの『 場所 』に、メモの内容を書き写さない為、その短冊メモは、永遠なる増殖を続けていた。
……なんだろう、とにかく書く( メモる )と安心するのだろうか?
捨ててはいけない情報もある為、むやみに捨てられない。 内容を確認し、重要性を吟味してからでないと、後々に後悔する事となるからである。
真っ黄色に変色したものや、ボールペンのインクが変色しているメモもあり、過去を推察するに、平成元年辺りからの、およそ数十年に亘る情報を精査している事になろう。
心因的に、疲労度が増す業務である……
ふと、2020年の手帳を見つけた。
手にしつつ、PCの上を見やると、2021年の手帳もある。
どうやら親父は、日記を付けていたらしい。
手に持った2020年の手帳をパラパラとめくってみた。
……ぐはっ……
鉛筆書きで、びっしりと文字が書き込んである。
ボールペンではなく、『 鉛筆 』と言うところが親父らしい。 まあ、年代的には、そうなるか……
日付ごとに、フリーに書き込めるスペースがある手帳だが、毎日、その日あった出来事・行動が、まさに乱数表の如く、書き込んである。
私も営業時代( この頃は携帯電話も普及しておらず、情報を書き込むのは、もっぱら手帳 )、得意先の注文・意向などを業務手帳に、それこそ、書き込む部分が無いほど、びっしりと書き込んでいたものだが、この親父のDNAの成せるワザか……
しかし、営業ならまだしも、引退した老人の手帳としては、かなり異色だ。
書き込むことによって、日々の余暇的な生活イメージを払拭しようとしていたのかもしれない。 これだけの事をこなした… と、思えるように。
今年、2023年の手帳が、机の隣にあるPCデスクの上に置いてあった。
書き込む量が、若干、減っている。 やはり、年齢が加味しているのだろう。
最後の書き込みは、9月24日。
……倒れる前日の記録だ。
畑へ行って、草取りをした旨の記述が残っていた。 この日まで、普通に生活していたのだ。
生前の、親父の記録……
亡くなって間もないが、既に懐かしく感じるのは、親父の存在が消滅した事実を、私は心の中で理解しているからなのだろう……
日記を読み返していて、ふと、そんなことを想った。
後期高齢者保険料通知や、年金事務所からの郵便封筒の束をどけると、昨年、2022年の手帳があった。 …この頃は、まだ筆跡に力があるようだ。 相変わらず、1日として欠かさず書き込んであり、フリースペースいっぱいに、鉛筆文字が連なっている。
2月23日の日記が、目に留まった。 お袋が亡くなった日である。
病院へ行ったが、死に目に会えなかった事。 私が、駆け付けて来た事。 霊柩車を手配し、お袋を自宅へ帰した事…… ( 第25話、『 母、逝く。 』参照 )
淡々と、行動記録が記してあった。
……あまり自分の感情を表に出さない親父だったが、少しくらい、お袋を労う一文があってもいいのに……
そんな事を想いつつ、日記に目を通す。
翌日が、通夜。 その翌日が葬儀。
さすがに、万感、胸に迫るものがあったのか、葬儀だった日の日記は、少々、書き込み量が少ない。
最後に、火葬場から帰って来た記述の後、この一文が書き残してあった。
『 〇子( 母の名前 )が、行ってしまった。 寂しい限り 』
……親父。
その気持ちは、お袋が生きているうちに、伝えておけば良かったな……
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