第84話、父、逝く。

 先日、親父が亡くなった。


 悪性リンパ腫… いわゆる、脳腫瘍だった。

 ガンではない為、痛み・苦しみは無かったようで、それがせめてもの幸い。

 ただ、口が動かせず、思うように話せなかったのは、もどかしかった事だろう。


 患部は、脳内の奥。 右脳と左脳を結ぶ『 脳梁 』と言う部位で、若くて体力のある者でも手術による完治は厳しく、生還率は、ほとんど皆無。

 親父は、92。 到底、手術は無理だった。

 水頭症ではないか? と言う、わずかな望みは絶たれ、ステロイド薬の投与による経過措置のみが行われた。


 入院して数週間…… あっという間に、逝ってしまった。



 先月の始め頃、「 最近、足元がフラつく 」と言うので、有休を申請し、実家で一人暮らしをしていた親父を、病院へ検査に連れて行った。

 その日の朝まで、普通に生活し、畑へ農作業に出掛けていた親父。

 自分の足で歩いてはいるが、フラフラとしている。

「 大丈夫か、親父? 」

 手を引きながら、病院内を歩く。

「 う~ん… ナンで、こんなに、なっちまったんだ? 」

 自分でも信じられないくらいに、調子が悪いらしい。 とりあえず、検査は終了したので帰宅し、寝床に寝かせた。


 翌朝、心配になって電話したが、出ない。 スマホにも反応しない。

 同じ町内に、亡くなったお袋の弟にあたる叔父貴がいるので、連絡して様子を見に行ってもらったところ、庭先で倒れていた。 自転車の前カゴに野良道具が入れてあったので、どうやら、畑へ行こうとしていたらしい。

 即、救急車で病院へ……


 元々、外仕事で体を鍛え上げていた親父。

 92歳だったが、背中も曲がらず、体は丈夫だった。

 入院しても、心臓は元気。 脈拍も正常、血圧も充分。

 だた、体が動かない……

 意識もハッキリしているが、口が動かせず、喋れない。


 長年、会っていなかった兄弟たちが、次々と面会に来てくれたが、話せないのは辛かったと思う。 終始、目に涙を浮かべていた。


「 昨日のCT検査によると、先日のMRI検査で確認出来ていた患部が、確実に広がっています。 脳幹まで達すると、体力に関係なく呼吸が止まってしまいますので、覚悟をしておいて下さい 」

 亡くなる数日前、医師が、沈痛な表情で私に伝えた。

 危篤状態を伝達すると同時に、臨終…… 最悪、そのパターンも有り得るとの事だ。 いや… むしろ、その状態になる、と考えた方が良いだろう。

 私は、夜勤が無い日以外は、仕事が終わると病院へ向かった。



「 昨夜から高熱を出され、先程からは、脈拍が異常に速い状態となりました……! 可能であれば、お越し下さい 」

 早朝、5時半前。 病院から連絡があった。

 すぐに着替え、親父のもとへ。


 意識は無く、幾分早い呼吸。 酸素マスクを付けていた。

 心電図計が、規則正しい電子音と共に、波長を画面に表示している。

「 少し、落ち着かれたようです。 見守っていてあげて下さい 」

 看護師がベッド脇のパイプ椅子を勧めた。

 椅子に座り、親父の手を取る。

 指先はチアノーゼの為、紫色で冷たい。 手を握りながら、親父の額に手のひらを当て、言った。

「 親父、頑張れよ 」

 頑張っても、先は見えている。

 だが私には、声を掛ける他、術を知らなかった……


 医師も看護師も部屋を外し、病室には、私一人。

 じっと、年老いた親父の顔を見つめる。


 ……脈打つ首筋の動きが、徐々に小さくなっていく。

 呼吸も小さくなり、その間隔もまばらになった。

 やがて、脈打つ首の動きが止まった。

 ふぅ~…… と、小さく息を吐き、親父は静かになった。

 傍らにあった心電図からは『 ピー 』という電子音が聞こえ、波長のグラフが棒線となる。


「 親父…… 」


 心電図は、ナースセンターでもモニタリングされている。 すぐに看護師が状況を把握に来て、医師を呼びに行った。


 ……眠るような最期とは、この事を言うのだろう。

 親父は、まさに、眠るように逝った。

 静かに… たわやかなる人生の最期……

 92歳の大往生に相応しい、親子2人だけの幕引きだった。



 午前6時42分…… 昇る朝日の中、親父は、天界へと旅立って逝った。

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