第62話、『 世界は地獄を見た 』( 終戦記念日に寄せて )

 8月15日は、終戦記念日だった。

 長く辛かった戦時下の記憶を忘れる事無く、未来永劫、再びこのような戦争を繰り返さないようにとの想いを込め、無条件降伏決定を国民に知らせる昭和天皇の玉音放送があったこの日に、終戦記念日は制定された。

 決して、『 終戦が決定された日 』では無い。

 この経緯は、日本人ですら理解していない者が多いのが実情だ。


「 勝手に他国を侵略したのに、なに言ってんだよ! 辛い生活だなんて… 自ら、そう言う状況に、突き進んで行ったんじゃないか! 」


 戦時下を過ごしていない世代からは、そんな声が聞こえて来そうだ。

 ……当時は、全て軍の管轄下にあった。 生活どころか、思想まで。

 個人の自由が一切ない当時は、軍の教義以外は全てが邪道であり、軍が指導する思想以外を考える事すら、『 罪 』とされていた。 少しでも軍の批判をすれば、即、留置場・刑務所へ放り込まれたのだ。 一個人としては、『 従う 』以外の選択は無かった時代なのである。


「 侵略ではない。 欧米の植民地から、占領下の群衆を開放する。 子供たちに教育がなされていない国へは、教育を施す 」 


 それが、軍によって、国民たちに吹聴されていた趣旨。

 従って、当時の人たちを『 今の価値観 』で吟味するのは、少々、酷と言うものだ。


 あと、戦没者に対する黙祷…… これも、最近の世代では、拒否する人が増えた。


 では、なぜ寺院で、手を合わせるのか?

 一緒の事だ。

 黙祷の強制が、個人の自由を束縛してると言うのであれば、神仏の前で手を合わせるのを拒否しないのは、おかしい。

 仙台や宮城・福島などへ、3月11日に訪れ、「 東日本大震災の犠牲者に対し、黙祷を捧げます 」と言われれば、おそらく誰もが従う事だろう。


 家族や親戚・友達・知人が交通事故で亡くなったら、事故現場へ行き、当然の如く、手を合わせるはずだ。


 ……つまりは、半世紀以上の時が経ち、『 他人事 』と、心のどこかで、先人たちを軽視している事に気付いていない。 当時の人たちが、どんなに辛い思いをして過ごしていたのかを、全く理解していない。


 戦時下を過ごした人たちだって、自由に生きたかっただろう。 違う時代に、生まれて来たかっただろう……! やってみたい事も、沢山あったに違いない。


 戦没者に対し、黙祷を拒否する話を、実際に戦時下を過ごした人たちが聞いたら、どんな想いを感じるか考えてみて欲しいものだ。 おそらく、悔しくて涙する事だろう。

 私は、戦時下を過ごした世代の者ではないが、厳戒な規律に支配されていた人々には、現代人には無い『 気質 』が見い出せ、尊敬に値すると常々、想って来た。

 最近、頻発する猟奇的な事件などの類は、少なくとも戦時下、国内においては、ほとんど発生していない。 生きる事に必死だった時代なのだ……


「 戦争加害国のくせに、記念日とは何事か! 」

 そんな、ワケの分からない理屈を振りかざす、国際的見地レベルの低い某国連中は論外としておこう。

 ……大体、半世紀以上経った『 歴史 』に対し、未だ、戦争責任だの保証だのと声を荒げるのは、はたして正常な事なのだろうか。

 日本は、原爆によって罪も無き国民を20万人以上、殺戮されている。 しかし、原爆を投下したアメリカに対し、何も謝罪・賠償は要求していない。


 ……戦争だったのだ。


 法も仁義も、情けも無い。

 勝った方が、正義なのだ。 それを責める手立ては、微塵も無いのだ。

 日本は、潔く、その事実を認識している。 だから、憎みこそはしたが、法的手段に訴える事はしなかった。 考えすら及ばなかった、とも言えるだろう。


 実際、戦争は、どの国もしている。

 そもそも、危機的事変と言う非常事態に対し、正常な賠償の見地が適応出来るのかどうかすら、定かではないと思う。


 日本は戦後、莫大な金額の賠償を実施した。

「 まだ足りない! 」と言う某国に対しては、追加支援も行った。 某国は、日本が『 被害者 』に対して支払った莫大な金を、『 被害者 』には渡さず、インフラに使った。 本来、『 被害者 』に渡るはずだった金で……

 おかげで、某国の経済は、記録的な発展を遂げている。 日本が、朝鮮戦争で得た利益どころの騒ぎではない。

 なのに、某国は、責任云々と文句を言い続けている…… そんな、わがままな国が、某国以外、世界のドコにある?

 近年、政権を握った新政権は『 その事情 』を正確に理解し、建設的な未来志向に沿った国交を目指しているようだが、最大野党は、相変わらず『 重箱の隅 』を突く事しか考えていない連中のようだ。

 ……まあ、こう言った発言は問題視されがちなので、このくらいにして……


 前置きが、非常に長くなってしまったが… タイトルは、NHKが、米国ABC放送と共同取材・制作した『 映像の世紀 』と言うドキュメンタリーの第5集のものだ。 第二次世界大戦の始まりから終わりまでを、映像でまとめたシリーズである。

 純粋に、過ちは繰り返してはならない、との想いから観てみた。


 ……凄まじい記録だ……


 大戦以前も、そして現在も… 世界は、争いの脅威に席巻され続けている。

 人類の歴史は、まさに、殺戮の歴史だ。

 動物は、生きて行く為に他の命を奪うが、人間は、己の欲望の為に『 共喰い 』をする。 かくも悲しきは、他人の欲望の為に、儚く命を落として逝かなくてはならない、名も無き民たちだ。


 某国連中には、その熟考が無い。 あれば、金にこだわるはずが無い。

 世界平和に対し、本当に必要なのは、今、これから未来を生きて行く人たち為の、安全なる生活の確保だ。 決して、過去を償う事ではない。


 終戦記念日に、そんな事を想った……



 テーマ曲の『 パリは燃えているか 』は、加古 隆氏の作曲だが、1996年に同名の映画があり、年代的には、私はこちらの方がイメージ的に優先される。

 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線において、パリ解放の2週間を描いたフランス・アメリカの共同制作映画だ。

 映画では、パリを占領していたドイツ軍司令官のコルティッツ将軍は、歴史的遺産であるパリを戦火の破壊から救ったが、これは史実の通りである。 映画のラスト、受話器から聞こえて来るヒトラーの「 パリは燃えているか 」と言う音声が、非常に印象的な映画だった。


 加古 隆氏作曲の『 パリは燃えているか 』は、2016年、所属している吹奏楽団の定期演奏会で演奏をした。 当時、ガンとの闘病をしていた前任の常任指揮者である先生が選曲した最後の曲目で、『 命 』をテーマにした選曲に、死期を悟った氏の心境が垣間見え、私にとっては、今でも、非常に心理に迫る楽曲となった……


 長いドキュメンタリーだが、時間のある時にじっくりと観て欲しい作品である。

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