第60話、板垣退助の百円札、発見☆
実家の古い車庫の、上部に設えた棚にあった大量の古本を整理中、数枚の古葉書や、しおりに挟まって出て来た。
私が、小学校の低学年だった頃まで流通していたかと。
高校の修学旅行で北九州に行った時、長崎市内で、まだ流通していたのに驚いた記憶がある。
まあ、現在でも大量に残っているので、市場価値は数百円くらいだ。 それも新札か、それに近い綺麗な状態のもので、その程度である。
以前、会社の廃棄物の中に大量の古本があり、それを保管していた行李( こうり:竹で編んだ籠 )の中に、寛永通宝だったか、古銭があった事があった。 それも結構に多くが現存する為、価値は無い。 今回の100円札も同様である。
B号券と呼ばれる大きさのもので、それまで主流だった大判のA号券より細めのサイズ。 当時の紙幣としては、スッキリした印象を受けるお札だった。
お札の中央上部に『 100 』の透かし文字が見て取れる。 確か、どこかに桐の花か何かの透かしもあったはずだが… もう記憶にない。
何と、現在でもこのA・B券は、共に紙幣として使用する事が出来る。 聖徳太子の旧1万円札も、使用する事が出来るのは周知の事実だが、半世紀前の紙幣が使用出来るとは少々、驚きだ。
70年代からは、100円硬貨が登場し、徐々に姿を消して行った百円札…… 岩倉具視の、青い五百円札と共に、少年期の記憶にある、懐かしい紙幣である。
そう言えば、百円札に変わって登場した100円硬貨だが、当然、現在の物とはデザインが違う。 私の記憶にあるのは『 稲穂 』と呼ばれるデザインのもの。 少し前の時代には『 鳳凰 』の100円硬貨もあったそうだが、私の年代は、先記した『 稲穂 』だ。 当時の硬貨の最高額である。 あと、現在の10円硬貨くらいの大きさで、中央に穴が開いていない50円硬貨( ニッケル製 )もあったと記憶している。
当時、鉛筆などの筆記具や手紙などが入れてあった実家の食器棚の引き出しには、厚紙の蓋( 多分、万年筆の箱の蓋 )を代用した『 小銭入れ 』があり、中には、10円・5円硬貨に混じり、菊と桜の花柄が表裏にあった十銭硬貨や、鳳凰と旭日が表裏にあった五十銭硬貨などがあった。 『 大正 』とか『 大日本 』などの文字が鋳造してあり、それに比べて紙幣は『 新しい 』感じがしたものである。 スッキリした細身寸法の、この百円札は、子供心にも次代の流れを感じさせた紙幣だった。
あの頃の友達は、今頃、どこでどうしているのやら…
*近況ノートに、百円札の画像をUPしておきました。
懐かしい紙幣をご覧下さい。 初めて、ご覧になられる方も多いかと……
多分、1昨年前に亡くなった母親の、忘れ去られた『 へそくり 』かと思わ
れます。(笑)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます