第36話、手塚治虫『 どろろ 』

 若い世代では、知らない方も多いのではないだろうか?

 手塚治虫 先生が描いた、古い漫画だ。

 私は、幼年期の頃、TVアニメ( モノクロ版 )で観ていた。


 先日、ネットをサーフィンしていて、ひょんな事からオリジナルアニメを見つけ、当時、TVで放映された第1話・第2話を観た。


 ……感動。


 アニメの制作技術が格段に進み、最近のアニメは、色彩も非常に美しい。 学生時代、アニメーション課の教室に無断で入り込み、実習・講義を受けていた私としては、近代アニメの緻密な描写・滑らかな動きには、まさに感服するところだが、この50年以上を経た『 どろろ 』は、画面・色彩の美しさではなく、カテゴリ…… 現代で言うところの『 ダークファンタジー 』に通じるものがある。

 手塚先生の先見的な思考には、まさに脱帽だ。

 非常に重い設定・展開で、子供向けアニメなのに、よくもまあ、こんな『 モノ 』を制作していたと、マジに感心した。


 描写・セリフ回し・キャラクターの動きなど、そりゃあ『 時代 』を反映して、残念な部分はある。 しかし、さすが手塚先生… 観ている者を引き込む構成力は、ピカイチだ。

 1960年代だから、画像の美しさでカバー出来る時代ではない。 設定・展開・テーマがすべて。

 まさに、創作性がモノを言う時代だったと、今にして思う。


 私たち子供にしてみれば、チャンネル数・番組数、共に少なく、他に観るものが無かった時代なので、少年もの・少女もの問わず、アニメであれば、とりあえず観ていた感がある。

 …にしても、私の記憶にはストーリーもしっかりと覚えがあるので、プロット・構成力には、心を引き付けるものがあったのだろう。


 生まれながらにして、体のあちこち48ヶ所を、妖怪( 現在なら魔物 )に奪われた百鬼丸……

 全国を旅しながら妖怪を倒し、自分の体を少しずつ取り戻すストーリーだが、『 どろろ 』とは、百鬼丸を慕い、旅を共にする泥棒少年の名前だ。

 なぜ、主人公ではない者の名がタイトルになっているのか、もう子細は忘れてしまったが、子供の頃からの疑問だった。

 調べれば、判明するかもしれない。 漫画( アニメ? )のタイトルも、いつの頃か『 どろろと百鬼丸 』になっていた記憶がある。

 いつか、やってみるか……(笑)

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