渚の過去

みのりさんが帰り、美樹おばさんの用意してくれた部屋で、私と渚は2人になった。


約1ヶ月ぶりの時間。

言いたいことも、聞きたいことも一杯あったのに、今は何も言えない。

渚に会えて嬉しくて仕方がないのに、笑顔にもなれない。

それは、さっき見たみのりさんの涙が私の頭を離れないから。


「ねえ樹里亜」

「何?」

・・・・。

呼んだ渚も、返事をした私も次の言葉が出てこない。


私は布団から起き上がり、渚の方を見た。

つられたように渚も起き上がる。

二人して布団の上に正座して、お互いを見合った。


「ごめんな」

え?

「何で渚が謝るのよ」

「・・・」

渚は黙ってしまった。

色んな事がありすぎて、私も渚も気持ちが溢れそうになっている。


「みのりさんが、渚のお母さんだったのね?」

「ああ」

「ここに来てから、ずっと良くしてもらったのよ」

「うん」

「私、美樹おばさんとみのりさんがいなかったら・・・」

言葉に詰まった。


ここに来たときには、先のことは何も考えられなかった。

子供のことも、自分のことも、渚のことも、すべてが曖昧で決められないでいた。

でも、ここでみのりさんやシェルターに暮らす人達を見ているうちに、自分はなんて幸せなんだろうと思えた。

自分で暮らしていくだけの力があって、やりがいのある仕事があって、愛してくれる家族がいて、愛する人の子供もいて、贅沢すぎるくらい幸せ。

今まで何で気付かなかったんだろうと思った。


***


「樹里亜」

「ん?」

「おふくろから、俺のことを聞いた?」

「うん。・・・少しだけ」


大学卒業と同時に音信不通になった、バカ息子。そう言っていた。

でも、とても会いたいと。


「おやじもおふくろも、俺に沖縄の病院を継がせたかったんだ。でも、俺は嫌だった。血の繋がらない俺ではなくて、弟が継ぐべきだと思った」


ポツリ、ポツリと、今まで3年一緒にいても話してくれなかった話をする渚。

言っていることは、何となく分かる気もした。

私は女だったし、大樹もいたから違ったけれど、渚の立場なら同じ事を考えたかも知れない。


「でも、」

ふっと、遠くを見る目になる渚。


「おやじは頑固で、俺に継がせるって聞かなくてね。それで、勝手に研修先の病院を決めたんだ」

そうか、それで勘当されたのか。

「だから初めて会ったとき、お金がなかったのね」

「ああ。お前に助けてもらわなかったら、飢え死にしてたかもしれない」

冗談ぽく言っているけれど、まんざら嘘でもなさそう。


渚はお父さんのことを頑固だって言ったけれど、渚だって負けていない。

お父さんと対立して半年も仕送りを止められて、ネットカフェに泊まりながらそれでも我を通したんだもん。

私は、みのりさんが「息子と主人は似たもの同士だ」って言っていたのを思い出していた。

結局、似たもの親子って事ね。


***


「で、どうする?」

真っ直ぐに渚が私を見ている。


「どうって?」

「俺は樹里亜を連れ戻すつもりで来たんだ」

「うん」

分かってる。

コソコソ隠れてるなんて、渚が大嫌いなことだもんね。


「でも、それどころではなくなりそうだ」

本当に困った顔。


ふと、渚はこのまま逃げるんじゃないかと思った。

大学卒業の時、お父さんから逃げたように、

でも、それはダメ。


「渚。みのりさんとちゃんと話をして」

「・・・」

返事は帰ってこない。


「じゃないと、私がまた逃げるよ」

「ダメだっ」

早かった。


「それは許さない」

強い口調。

「じゃあ、みのりさんと話してくれる?」

「・・・」

渚は黙り込む。


いくら血を分けた親子でも、長い時間の経ったわだかまりは簡単には消えないんだろうか?

きっと、渚なりに苦しんでいるんだなあと感じた。


***


「なあ、樹里亜」

「何?」

「子供は、産むんだよな?」

「うん」

もう迷わないと決めた。

たとえ私1人でも、


「俺たち、親になるんだな」

ええっ。

胸が、ドクンッと鳴った。


「生んでも良いの?」

恐る恐る聞いてしまった。

「当たり前じゃないか。樹里亜の体調が許すなら、生んで欲しい」

渚・・・


私は渚の肩に手をかけた。

そして、ゆっくりと渚が近づいてくる。

お互い正座のまま、唇が重なった。

渚の暖かさが伝わってきて、ああここが私の一番落ち着く場所だと実感した。


「俺、おふくろと話すよ」

静かな声で渚が言い、

「うん。私も家に帰る」

私もそう言った。

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