妊娠

日がたつにつれ、私の体調不良は悪化していった。

立ちくらみもむかつきも続き、食事が喉を通らなくなった。


マズイなあ。

私の中で、危機感が増していく。


明日は月子先生の診察日。

きっと検査を進められるんだろう。

そうすれば、すべてが分かってしまう。

どうしよう・・・


「どうしたんですか?顔色悪いですよ」

師長が顔を覗き込む。

「あぁ、大丈夫です」

とは答えたものの、ばれるのは時間の問題。


はあぁー。

深い深い溜息をつき、私は受け持ち患者のカルテ整理を始めた。


もし、もしもの時、ちゃんと次の人に引き継げるようにしておかなくちゃと、なぜかそんなことを考えていた。


よし、受け持っている患者の指示は出し終えた。

作りかけの診断書も紹介状もすべて作った。

保健所への届出書類も用意した。

後は、

デスクの整理と、ロッカーの片付け。

部長宛の休職願を机の奥に忍ばせて、私は救急病棟を後にした。


***


「おはようございます」

私は今日、有休を取って月子先生の診察に来ていた。

「珍しいわね」

私服姿の私に、月子先生も不思議そうな顔。


「で、体調は?」

「うーん。変わりません」

「そう。血液検査の結果は・・・」

カチカチとマウスをクリックしながら、カルテを確認する。


「そうね。良くも悪くもないわね。先週と変わらず」

「そうですか」

「問題はもう一つの方よね」

いつもはしない尿検査の結果を、


カチカチ。

月子先生が確認する。


「はあー」

大きな息を吐くと、先生は黙り込んだ。


「月子先生?」

長い沈黙にたまりかねて、私が声をかける。


「妊娠反応があるわね。内診するから、隣の部屋に行って」

「ええ?今からですか?」

思わず言った言葉に、

「嫌なら、婦人科に行って診てもらう?」

冷たく言われた。


月子先生は今、怒っている。

小さい頃からずっと私を診てきてくれた月子先生。

受験勉強で無理したり、ダイエットで薬をサボったときも本気で叱ってくれた。

本当のお姉さんみたいに思ってきた。

その月子先生を、怒らせてしまった。


***


今まで入ったことのない内診室。

医者としては使ったことがあっても、患者としては初めて。


「ズボンも下着も脱いで、診察台に座って」

私が初めてなのを察して、月子先生が声をかけてくれる。

いつもなら看護師がサポートでつくはずの診察も、今は月子先生1人。

きっと、私を気遣ってくれているんだろう。


「どう?用意できた?」

「はい」

ちょっと泣きそうになりながら、私は診察台に座った。


椅子が回り、角度が変わって座位から仰向けの姿勢になる。

ウィーン。

小さな機械音を立てながら、今度は私の足が開かれた。


「力を抜いていてね」

「はい」

灯りの消された診察室で、何をされているかも見えないまま、私は恥ずかしさと戦った。


「はい。いいわよ」

診察は10分ほどで終わった。


***


「座って」

いつもの診察室に戻り、結果説明。


「妊娠8週ですね。おめでとうございます」

「はあ」

なんとも返事が出来ない。


「妊娠は順調です。胎児の心音も確認できたし、問題ありません」

「はい」

「しかし、」

月子先生の言葉が止まった。


「あなたの体の状態を考えると、かなり厳しいことを言わなくちゃいけないの」

「それはどういう・・・」

私は真っ直ぐに月子先生を見た。


「あなたの病気は出産に対してリスクがあるの。体調のいいときに妊娠して、万全の管理をして、計画的に帝王切開で出したとしても40週おなかに持たせるのは不可能。それだけのリスクが赤ちゃんにもかかるし、あなた自身も出血の恐怖と戦いながら、命がけのお産になると思う」

何となく、理解はしている。

「今、あなたの体は万全の状態じゃないでしょう?」

確かに。あまり体調はよくない。

「それに・・・予期せぬ妊娠なのよね?」

コクン。と、私は頷いた。


「主治医としては困ったなあって言うのが正直なところね」

そりゃあそうだろう。

あまりにもリスクがありすぎる。


「そして、これは主治医としてではなくて、小さい頃からあなたの成長を見守ってきた者として」

そう言うと、クッルと椅子をこちらに向けた月子先生。


じっと私を睨むと、

「こらっ、何してるの。嫁入り前の娘が」

「ごめん・・・なさい」

「相手を今すぐ連れてきなさい。説教してあげるから」

「いや・・・それは・・・」

困っている私を見て、月子先生がさらに困った顔をした。


「何で、紹介できないような相手とそんな関係になるの?樹里亜らしくないでしょう」

「ごめんなさい」

「黙ってることは出来ないのよ。カルテを見ればすぐに分かることだし」

本気で怒っている。


「お願いです、今日1日だけ時間をください」

「今日1日ねえ。いいわ、明日までは黙っているから自分で話しなさい」

「はい。ありがとうございました」

私は頭を下げて、診察室を後にした。

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