逃げ出してしまいました

家出

月子先生の診察を終えると、私は真っ直ぐに自宅マンションに帰った。


診察結果はおおよそ予想がついていた。

医者だからと言うことではなく、母親の本能というか、普段と違う何かが起きているのは感じていた。


さて、問題はこれからどうするか。

今日、渚は日勤の予定。

遅くても今日の夜には帰ってくる。

それに、大樹も部長も今日が私の受診日なのは知っている。

カルテを見ればすぐにばれてしまう。

もし大樹に知れたら、大騒ぎになることだろう。

もちろん、いつまでも隠し通すつもりはない。

隠しておけることでもない。

でも、今は時間が欲しい。


渚のことも、家族のことも、医師としての世間体も、

すべて置いておいて、母親としておなかの赤ちゃんに何ができるのか、それを突き詰めたい。

一生後悔しない選択をしなくてはならないから。


ソファーに座っては立ち。

ウロウロと部屋の中を歩き回り。

必要も無いのにお水を飲んだりして、

私は・・・・うろたえた。


責任の重さと、自分が招いてしまった結果の重大さに負けそうになった。

しかし、いつまでもここで悩んでいることはできない。

渚が帰る前にここを出なくては。

まずは自分の気持ちを固めないといけないと思うから。

私は、長期出張用のトランクを出して必用なものをまとめた。



重たいトランクを引きずりながらエレベーターを降りると、

「おや、お出かけですか?」

マンションの管理人さんに声をかけられた。

60代の管理人さん。

実はマンションのオーナーで、管理人をしながら悠々自適の生活を送っている。


「急に長期の出張になったんです。しばらく留守をします」

咄嗟に嘘をついてしまった。

「そうですか。ご主人お寂しいですね」

そう言われて、

へへへ。

笑って誤魔化した。


ご主人って、渚のこと。

でも、あえて否定はしない。

不思議なことに、こんな時に医者という肩書きが役に立つ。

少々羽目を外した行動をしても、医者と言うだけで信用されてしまう。


「気をつけて行ってらっしゃい」

「行ってきます」

笑顔で会釈をして、私はタクシーに乗り込んだ。


***


私は特急と新幹線を乗り継いで、東京へ向かった。

他に土地勘のあるところもなく、結局大学時代を過ごした街に逃げ込むことにした。

そして、東京に向かった理由のもうひとつが、

『もしもし樹里亜?久しぶりね』

車中からかけた電話に出てくれた、美樹(みき)おばさん。

父さんの従兄弟にあたる人で、私が大学に通っていた頃には何かとお世話になった。

私のことを嫌いな親戚が多い中で、数少ない味方。


『突然どうしたの?何かあったの?』

普段はかけない私からの電話に、不思議そうな声。


「今日、泊めてもらえますか?」

『いいけど・・・どうしたの?家出?』

「まあ。そんな感じです」


しばらく考え込んでいたおばさん。

『樹三郞さん達には黙っておけばいいのね?』

「はい。お願いします」

電話を持ちながら、頭を下げた。

見えるわけはないけれど、気持ちは伝わると信じたい。


『でも、見つかるのは時間の問題よ』

分かっている。

きっと2日もすれば探しに来るだろう。

それまでに、何とか考えないと・・・


「明日からは、大学時代の友人をあたってみますから」

『一体何があったの?』

「それは・・・」

電話では伝えきれない。


『まあいいわ。とにかく来なさい』

美樹おばさんは深くは詮索せずに、私を泊めると言ってくれた。

『ありがとう、おばさん』

何度も礼を言って私は電話を切った。

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