この世に生まれた理由
母さんとの時間
「で、お見合いはどうだったの?」
病院の社員食堂で、久しぶりに会った母さんに聞かれた。
「うん。とってもいい人だよ」
「付き合ってるの?」
「時々食事に行ってる」
「そう」
なんだか不思議そうな顔で、母さんが見ている。
まあね、この曖昧な感じは理解できないだろうと思う。
でも、これも山口さんと相談してわざとやっていること。
断われば外野がうるさいし、付き合っても結婚を急かされるだろうし。
「おばさんは話を進める気でいるみたいだけど、大丈夫なの?」
「もう少し会ってみてから返事をします」
「その気があるのね?」
ウッ、さすが母さん。
私がお見合い結婚する気がないのが分かってるみたい。
「ごめんなさい」
ポツリと言った言葉に、母さんがランチの手を止めた。
「どうしたの?」
やはり黙っておくことはできない。
「私、今好きな人がいるの。だから今すぐの結婚は考えられない」
ずっと言いたかったことが、やっと言えた。
「山口さんには?」
「もちろん言ったわ。でも、それでもいいから友達として食事に行こうって」
母さんが驚いている。
「山口さんが何を考えてそう言ったのかは分からないけれど、よくないと思うわ」
「母さん・・・」
私だって、褒められたことをしていると思ってはいない。
「それで、あなたの好きな人には会わせてはもらえないの?」
なんだか探るような視線。
「ごめんなさい」
私だって、出来ることなら会ってもらいたい。
「私の彼よ」って、渚を紹介できたらどんなに良いだろう。
でも、ダメなんだよね。
「会わせられないなら黙っていなさい。大樹やお父さんに知れたら大騒ぎになるから」
確かに。
目に見えるようだわ。
「ごめんなさい」
「謝ってばっかりね」
***
ブブブ ブブブ
PHSが鳴った。
「はい、救命科竹浦です」
呼び出しは救急外来から。
近くの国道で多重事故があり、複数の怪我人が運ばれてくるらしい。
「分かりました。すぐ行きます」
PHSを切って、ランチを片付ける。
「母さん。ごめん」
「もう、食事もゆっくり摂れないのね」
呆れている。
「仕事だから」
「いいわ。行きなさい」
食べかけのランチをトレーにのせて、私は立ち上がった。
その時、
ガチャン。
母さんが手に持っていたスプーンを落とした。
「どうしたの?」
「う、うん・・・」
額に手を当てる母さん。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと目眩がしただけ」
ちょっと目眩って、
「今日検診だったんでしょう?」
「いいから、あなたは仕事に行きなさい」
こんな時なのに、私の仕事の心配をしている。
ブブブ ブブブ
また救急から。
「いいから行きなさい」
「でも・・・」
「樹里先生。行ってください」
近くにいたドクターが声をかけてくれた。
「母さんが・・・」
「いいから行きなさい」
母さんは私を押し出そうとする。
仕方ない、
「父と大樹を、兄を呼んでください」
駆け寄ってくれたドクターに依頼した。
「分かりました。ここは大丈夫ですから、先生は行ってください」
私は目一杯後ろ髪を引かれながら、それでも救急外来へ走った。
***
事故は重傷者と軽傷者合わせて9名。
5台が絡む大きな事故。
全員の診察と処置を終え、重傷者を病棟に上げ終えたときにはすでに夕方になっていた。
「樹里先生。ここはいいから、病棟に行きなさい」
部長が言ってくれた。
「母は?」
仕事中は忙しくて気にかけられなかった。
もちろん、何かあれば教えてもらえると思ったし。
「大丈夫。念のために、経過観察入院になった。詳しいことは病棟で聞きなさい」
部長の表情も穏やか。
どうやら重症ではなさそう。
「ここはいいから、行きなさい」
先輩ドクターも言ってくれて、私は勤務を早めに切り上げ病棟に向かった。
***
ガラガラ。
「母さん」
ノックもせずに病室のドアを開けた。
駆け寄って、とにかく顔を見たい。
「樹里亜、心配しなくても大丈夫だから」
母さんはベットで体を起こしていた。
はあー。
本当だ。元気そう。
「よかった」
心底ホッとした。
もし母さんに何かあれば、私は一生後悔したと思う。
そのくらい心配だった。
「樹里亜、来たのか?」
大樹が病室に入ってきた。
「遅くなってごめん」
「仕事だ。気にするな」
「うん、ありがとう。それで、容体はどうなの?」
「少し貧血が進んでいるけれど、心配はないだろう。まあ、検査も兼ねて2,3日休んで帰ると良いよ。今夜は救急病棟に泊まって、明日から血液内科で検査をしよう」
「わかった」
今日の血液検査の結果を見せてもらったけれど、緊急入院するほど悪くはない。
きっと疲れが出て、目眩がしたのね。
色々心労も多いはずだから・・・
「こんばんは」
渚が病室に入ってきた。
「今夜の救急病棟担当の高橋です。お変わりありませんか?」
静かに声をかけながら、診察をしていく。
「ええ。大丈夫です」
「少しでも変わったことがあれば、我慢せずに言ってください」
「はい。ありがとうございます」
母さんもにこやかに答えている。
「今日は誰か泊まられますか?」
回診についてきた看護師が私と大地を見る。
「私が泊まります」
「そうですか。樹里先生のお布団がいるようなら、おっしゃってください。ご用意しますので」
「ありがとうございます」
***
その時、
ガラガラ。
病室のドアが開き、梨華と父さんが入ってきた。
「お姉ちゃん!ひどいじゃないっ」
いきなり、梨華が声を上げた。
えええ?
驚いて振り返ると、
「何で具合の悪い母さんを残して、仕事に戻るのよ」
言いながら、私を睨み付けている。
「梨華、それはね・・」
「他人を治療するより母さんについているべきでしょう?何で置いて行ったのよ」
大きな声で、怒り散らす。
「梨華、落ち着け」
大樹が止めてくれるけれど、梨華は私に詰め寄ってきた。
「ねえ、何でそんなに冷静なの?自分の親が倒れたんでしょう?それを置いて仕事に戻るとか、ありえない」
梨華の言うことは娘として最もなのかも知れない。
母親が目の前で具合が悪くなったら、娘はうろたえて当然。
冷静に仕事に戻る私が、冷酷なのかも・・・
「梨華。いい加減にしなさい。それが、医者という仕事なんだ。樹里亜を責めるな。たとえ、私でも、大樹でも同じ事をしたはずだ」
父さんが言い聞かせてくれて、梨華は黙った。
でも、とても不満そう。
「はいはい。どうせ、悪いのはいつも私なのよね」
そう言うと、梨華は私にに近づき、
「そんなだから、『血の繋がらない子』って言われるのよ」
小さな小さな声で囁いた。
多分、私にしか聞こえない声で。
きっと、今の梨華は母さんのことで動揺している。
いつもはこんなこと言わない。
分かっているけれど・・・傷ついた。
「梨華、俺が本気で怒る前に止めろよ」
なんとなく状況を察した大樹が牽制してくれる。
「はいはい。じゃあ、私はまた明日来るから」
梨華が母さんに手を振る。
「うん。ありがとう」
母さんも笑顔で見送った。
私と入れ替わりに、梨華は帰って行った。
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