意外なライバル
お見合いの後、山口さんは時々食事に誘ってくれるようになった。
お互いに忙しい為なかなか時間が合わないけれど、2度ほど食事に行った。
全く違う世界で働く山口さんの話は、新鮮で面白い。
でも、なぜか心が晴れない。
「樹里先生。お財布を忘れないでくださいね」
師長が面白そうに声をかける。
「わかってます。同じ間違いは2度しません」
照れながら返事をした。
今日、私はヘリの担当。
とはいっても、緊急搬送ではなくて転院の搬送。
救急病棟の患者が心臓の難しい手術を受けることとなり、循環器専門の病院へヘリで転院する。
転院先の循環器センターは隣の県にあり、ヘリで40分ほどの距離。
「竹浦先生。今日の予定確認をお願いします」
フライトナースの桃子さんがスケジュール片手に声をかけた。
「はい。お願いします」
搬送する患者は40代女性。
今は比較的状態が落ち着いている。
病院の出発は2時。
2時40分には転院先に到着の予定。
その後、引継ぎに1時間半程度かかる。
「向こうの病院を出るのは4時半頃になると思います。駅までの時間と特急で3時間かかることを考えると、病院に戻ってくるのは8時頃ですね」
「わかりました。よろしくお願いします」
ヘリ搬送とは、あくまでも患者を運ぶのが業務。
タクシーではないのだから、引継ぎを終える私たちを待っていてくれる訳はなく、患者を降ろしたら帰ってしまう。
結果、私たちはヘリなら40分の道を陸路で4時間近くかけて戻らなくてはならない。
「少し待ってでも、連れて帰ってくれればいいのにね」
冗談で言ったのに、
「その時間に緊急搬送があったらどうするんですか?」
真顔で答えられて、
「すいません」
謝ってしまった。
陸路で病院まで帰ってくるからには、当然着替えも財布も持っていかなくてはならない。
以前、財布が入ったカバンごと忘れていき見ず知らずの人にお金を借りて帰ってきた前科が私にはある。
今日も気をつけないと。
***
「では、よろしくお願いします」
「ありがとうございました。気をつけて帰ってください」
患者の引継ぎを終えた私たちは、転院先のスタッフに挨拶をして病院を後にした。
今回の搬送もとても順調だった。
フライトナースの桃子さんはすごく優秀で、私が言葉にする前から準備をしてくれる。
仕事に対する厳しさと、女子特有の慣れあう感じの無さから、孤立することも多いけれど、間違いなく仕事はできる。
本当に、フライトナースの鏡だ。
タクシーで最寄り駅に向かい、私たちはホームに駆け込んだ。
さあ、特急で3時間。
長い旅が始まる。
駅のコンビニで夕食を買い込んで、私と桃子さんは列車に乗り込んだ。
「病院に着くのは9時前になりそうですね」
桃子さんが時計を気にしている。
そう言えば、引き継ぎに少し時間がかかってしまったから、予定よりも少し遅れ気味。
「もしかして、この後に予定がありますか?」
桃子さんはあまり自分の事を話さないから、聞いたらまずいのかななんて思ったりもしたけれど、つい聞いてしまった。
しかし、とても意外な返事が返ってきた。
「今日は子供の誕生日なんです」
ちょっと照れながら、話してくれた。
「ええっ。お子さんがいるんですか?」
思わず声が大きくなった。
***
「はい。娘が1人。今日で9歳になります」
「きゅ、9歳?」
又々、声を上げてしまった。
「先生。驚きすぎです」
にこやかに笑いながら、突っ込みを入れられた。
あれ?桃子さんってこんなに笑う人だっけ?
私のイメージではいつも1人でいて、キャアキャア言ってる女子達を冷めて見ているイメージなんだけど。
それに、
「桃子さんって、いくつですか?」
ゴホッ。
突然年を聞かれて、コーヒーを飲んでいた桃子さんがむせた。
「ごめんなさい。驚かせましたね」
「いえ、大丈夫です。私は、26歳です」
へえ、同い年かぁ。
随分大人っぽく見えるけれど。
ちょっ、ちょっと待って。
26歳で、子供が9歳って、
「随分お若いときのお子さん?」
聞いてはいけないことだったかも知れないけれど、深く考えることなく聞いてしまった。
「17歳の時に生みました。当時付き合っていた彼と結婚するつもりで生んだんですが、出産後に別れてしまいました。若気の至りです」
「・・・」
なんとも言葉が返せない。
「出産の為に高校もやめてしまったので、大検を受けて大学の看護学科に行きました。お陰でみんなより2年も長くかかりましたけれど」
「へー、凄いですね。私、同い年なのに。なんだか恥ずかしい」
私は17歳の頃何をしていたんだろう?
毎日塾に通って、とりあえずどこでもいいから医学部にって思っていた。
出産とか、育児とか考えられない。
「私は樹里先生や高橋先生の方が凄いと思いますし、羨ましいとも思いますよ」
「ええ?そうですか?」
羨ましいは分かるけれど、凄いはないでしょう。
それに、何で渚?
***
「高橋先生が同い年って知ってるんですね」
もちろん興味を持って調べれば分かることだけれど、あまり人当たりのよくない渚だけに、ハッキリした年齢を知らない人が多い。
「私、高橋先生のファンなんです」
ええええ!
これには驚いた。
「珍しいですね。アイスマンですよ」
「誰にでも調子いい人よりいいじゃないですか」
まあ、それはそうだけど、
「樹里先生。高橋先生と親しいんですよね」
「親しいというか・・・同期だし。同い年だし。研修医時代には何度も助けてもらったから」
うん。これは嘘ではない。
ただ、同棲していると言ってないだけ。
「私も同じです」
夕飯用に買ったサンドイッチつまみながら、桃子さんが話し出した。
「これでも、高校は進学校で真面目に医学部を狙っていたんですよ。でも2つ上の先輩を好きになってしまって、付き合ってすぐに妊娠して。相手は大学生で、結婚なんて出来るわけないのに」
淡々と、人ごとのように冷静に話す桃子さん。
「産まない選択はなかったんですか?」
非常識と知りながら、言ってしまった。
なんだか、自分の母親と桃子さんが重なって、聞かずにはいられなかった。
「どんなに小さくても命ですから」
「そうですね・・・」
医者の私がそんな質問をしてしまったことが恥ずかしい。
「でも、私も何度か産んだことを後悔しましたよ。どれだけ勉強しても、10代の母で高校中退ってなれば、不良でしょって見られますから」
そうかもしれない。
きっと、大変な苦労をしてきたんだろう。
「看護師になって初めて勤務したのがこの病院でした。でも、やはり新人看護師の中でも浮いていて、先輩にも虐められて、逃げ出しかけていたときに、高橋先生が先輩に注意してくれたんです」
へー、渚が。
でも、分かる気がする。
「だから、ファンなんですね」
「ええ」
フッ。
桃子さんが笑った。
ん?
「いえ、初めて話しました」
「私も、桃子さんがこんなに話すのを初めて見ました」
ははは。
2人で笑い合った。
「今度、一緒に食事に行きましょうよ。同い年同志って事で、お嬢さんも一緒に。ね?」
「はい。ぜひ」
帰りの列車に乗っている3時間の間に、私達はすっかり仲良くなった。
渚のことを話せないのが辛いけれど、良い友達が1人出来てしまった。
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