結婚も、子供も・・・考えられない
お見合い
7月のある日、私はホテルのロビーにいた。
普段は気ないようなワンピースを着て、ハイヒールなんて履いている。
馬子にも衣装というか、おかげで私も大人の女性っぽく見える。
今日は、おばさんに押し切られたお見合いの日。
あの後も何度か断るチャンスはあったけれど、結局今日を迎えてしまった。
「お待たせしました」
約束の時間よりかなり早く来てしまった私は、オレンジジュースを注文していた。
かわいらしい曲線のグラスに、黄色の液体。
カランカラン。と、氷が音を立てる。
一口、二口と喉を通しながら、なんでここに来てしまったんだろうと、後悔に浸った。
5分ほどして、
「失礼ですが、竹浦樹里亜さんですか?」
スーツ姿の男性が声をかけた。
「は、はい。そうです」
「僕、山口海人(ヤマグチ カイト)です」
さわやかに笑い、向かいの席に腰かける。
「始めまして」
私もペコリと頭を下げた。
山口さんは、じーっと私を見ている。
「何か?」
「いえ、伺っていた通り奇麗な方だなあと思って」
真顔で言われると恥ずかしい。
「ありがとうございます。たとえお世辞でも、うれしいです」
ただ、ありがとうございますと言えばいいものを、ここで余計な一言を言ってしまうのが私の悪いところだ。
しかし、
ハハハ。
山口さんは愉快そうに笑った。
***
その後、私たちは簡単な自己紹介をした。
山口海人さんは28歳の高校教師。理科を教えているらしい。
いかにも優しそうで、穏やかそうな人。
2人兄弟の次男で、今も実家暮らし。
「樹里亜さんは一人暮らしですか?」
「はい。職場から駅二つ離れたマンションに暮らしています」
「へー、さすが」
大体この後、「お医者さんはお金持ちなんですね」と言葉が続く。
どこの飲み会に行っても、必ず言われる。
「理解のあるご両親ですね」
「はあ?」
思わず聞き返してしまった。
「こんなに近くに住んでいて、それでも1人暮らしを許すなんて理解がある親御さんです」
なるほど、そういう見方もあるのね。
今までそんな風に考えたことなかった。
「山口さんなら嫌ですか?」
なぜだろう、彼の見解が世間の声のような気がして意見が聞きたくなった。
「そうですねえ。僕はまだ娘を持ったことはありませんが、兄貴の娘を見ていると本当にかわいくて、ずっと手元に置いておきたいと思うはずです」
「そんなもんですか・・・」
「そんなもんですよ。とはいえ、兄貴の娘は2歳ですけどね」
ハハハ。
と、笑う。
「2歳って、まだ赤ちゃんじゃないですか」
私もつられて笑った。
「まじめな話をすると、僕も職業柄いろいろな親御さんを見ています。共通しているのは、親はみな子供がかわいいんです。手放したくない、一緒にいたいと思うのも親の愛情ですし、かわいい娘のわがままを聞いて1人暮らしを許すのも愛情です」
さすが先生。
言葉に重みがある。
「すみません。説教みたいでしたね」
山口さんが頭を下げた。
「いいえ、おっしゃることはよくわかりました。私は今まで、1人で大きくなったような気がしていましたから」
きっと、山口さんは私の生い立ちを知っている。
それを知った上で、育ててもらったことにまずは感謝をすべきだと言っているんだと思う。
いかにも教育者らしい表現だけど、押しつけがましくなくて、気持ちはまっすぐに伝わってきた。
***
その後、デパートを覗いたり公園を歩いたりとブラブラして過ごした。
山口さんとの時間は、気負いがなく、自然体でいられた。
「樹里亜さんは結婚を考えるような男性は居ないんですか?」
公園のベンチに座りながら、お見合いの席には似合わないことを聞いてきた。
「ええ?」
「彼氏とか、いないんですか?」
さらに聞いてくる。
「あの、今日ってお見合いなんですよね?」
つい、聞き返してしまった。
「まあ。そうですね。でも、お見合い結婚なんてする気がありますか?」
「いえ。それは・・・」
私は言葉に詰まった。
一体山口さんは何を考えているんだろう。
どんなつもりで、今日ここに来たんだろう。
さっぱり分からない。
「僕は知り合いに勧められてここに来ました。いい加減な気持ちではありませんが、まだ具体的に結婚を考えてはいません」
「そうですか」
「樹里亜さんは?」
「私も、叔母に勧められてきました。今、結婚を考えられるような男性は居ませんが、好きな人はいます。ですから、お見合いは最初からお断りするつもりで来ました。ごめんなさい」
私は立ち上がり、山口さんに向けて深々と頭を下げた。
「いいんですよ。なんとなくわかっていましたから」
「本当にごめんなさい」
ひたすら頭を下げることしかできない。
***
「樹里亜さん。おなかがすきませんか?」
そういえば、もうすぐ夕食時。
「どこか行きたい店はありますか?」
「いいえ」
「僕に任せてもらっていいですか?」
「はい」
連れて来られたのは、裏通りにあるお寿司屋さん。
決して大きな店ではないけれど、歴史のありそうな店構え。
「こんばんわ」
山口さんはためらうことなく、のれんをくぐって行った。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から、若い店主が声をかける。
「あら、先生。いらっしゃいませ」
店主より年配の女性。
先生と聞いて、自分のことかと思ってしまった。
そうか、山口さんも先生だった。
カウンターに座ると、「ここは、教え子の店なんだ」と教えてくれた。
なんだか嘘をついてお見合いしたようでとても心が痛んだけど、お寿司は美味しかった。
店主やおかみさんお心使いも行き届いていて気持ちよかった。
山口さん自身にも、とても好感が持てた。
「樹里亜さん。よかったら、又会っていただけますか?」
食事もほぼ終わりかけた頃、山口さんが口にした。
私は、持っていた箸を置き姿勢を正した。
もう、黙っている訳にはいかない。
「実は、私は1人暮らしではないんです。一緒に暮らしている男性がいます」
やはり、山口さんは絶句した。
そりゃあそうだ、私の行動は非常識すぎる。
「樹里亜さん」
「はい」
「よかったら、又食事に行きませんか?」
はああ?
「山口さん、私の話を聞いてました?私には」
「結婚は考えてないんですよね。それに、同棲の事は秘密なんですよね。じゃあ、黙っている代わりに、時々食事に付き合って下さい」
私は口を開けたまま、山口さんを見つめた。
「無理強いはしませんが、迷惑でなかったら友達として、時々食事に付き合ってください。樹里亜さんもそのほうが都合がいいんじゃないですか?」
確かに、それはそうなんだけど。
断ればおばさんが、益々うるさくなるだろうし。
「でも・・・」
あまりにも不誠実なんじゃないかと思う。
「いいじゃないですか。新しい友達ができたと思ってください」
結局、押し切られてしまった。
***
夜9時を回って私は帰宅した。
「おかえり」
キッチンから渚が顔を出す。
「ただいま」
私はリビングを通り過ぎて、寝室に向かった。
外出着から部屋着に着替えて、お化粧も落とす。
あー、生きかえる。
やっぱり、家が一番落ち着く。
「樹里亜、ビール飲む?」
リビングから渚の声。
「うん。いただく」
極端にアルコールに弱い私だけど、お酒は嫌いじゃない。
もちろん、数々の失敗談を持つ身としては外では飲まないことにしている。
でも、家にいるときは渚と一緒に飲むことが多い。
少しお酒の回ったあの感じだたまらない。
「お見合いだったんだろ?」
つまみに用意された枝豆に手を伸ばしながら、渚が聞く。
「うん。高校の先生で、いい人だったよ」
こんな話をしているなんて、なんか変な気分。
「そう」
気のない返事。
「いい人すぎて、一緒に住んでいる人がいるって言ってしまった」
ついバラしてしまった。
「相手は?」
「渚のことは言ってないよ。ただ、同棲しているんですって話しただけ」
「そうじゃないよ。同棲してる男がいるのにお見合いに来た樹里亜に対して、相手はどんな反応だったの?」
珍しく、身を乗り出してきた。
「友達として、また食事に行きましょうって言われた。その代わり黙っていますからって」
「なんか、下心があるんじゃないの?」
「そうかなあ?」
そんな人には見えなかった。
「ちゃんと断ったほうがいいよ」
不機嫌そうに言い、ビールを口にする。
「・・・」
私は黙ってしまった。
もし断ったら、渚のことがバレそうな気がする。
そんなことになったら、一緒に暮らせなくなる。
それは、嫌だ。
その辺のことを、渚はどう考えているんだろうか?
缶ビールを半分ほど飲んだだけなのに、すでに動けなくなっている私。
渚に抱えられて、今日も寝室に向かうことになった。
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