第16話熱

カラカラと自転車のチェーンが回って音を立てる。



チラリと隣の那須を見ると肩にかけたトートバッグの紐をぎゅっと持って俯きがちに歩いていた。


並んで歩いて5分程会話はなくどこか空気はギクシャクしている。



「えーっと...那須ってこの辺に住んでるんだな」



この辺りはバスも通っていないし徒歩通学という時点でだいたいそう予測していたけど。



「はい、学校まで、歩いて10分くらいのところです...」



「へ、へぇー...、あ、でも、ギリギリまで朝は寝てられるし良いな!僕なんて自転車使っても40分くらいはかかるから毎朝6時半に起きてギリギリくらいなのに」



「あ...えと。すみません、それなのに送ってもらっちゃって...」



やば。凄い気を遣われてる。



「大丈夫大丈夫!どうせ帰ってもやることないし。誰もいないから」



母は今日も遅いだろう。妹も今年は中学受験で塾に行っている。


それに家にいてもいなくても、誰も僕のことを気にかけない。



「そう、なんですか」




「......」



「......」



会話終了!



何このギクシャクした空気!


こんなこと那須との間に今までなかったのに。



喧嘩をしたり怒らせたりという訳ではないから謝って解決するものでは無いし。



あれ、今までどう話してたっけ?





何か、とにかく話しかけないと。



頭を捻って考えていると不意に那須が口を開いた。



「私も、です」



「私もって...何が?」



「家に帰っても誰もいないんです。一人暮らしなので」



「え?親は?」



「同じ県内にはいますけどあまり会うことはないです」



「でもこの前は呼んだらすぐ来てくれたじゃん」



「...あの人は...親としての務めを果たしただけですよ。そこに感情はないですから」



那須は顔を上げ空を見上げた。点々と秋の星が光る。



「今の家は高校受験の時に受験勉強に集中するために与えられたんです。高校の近くなので環境にも早く慣れるからと」



ここまで聞く限り良い両親だと思う。だが、星空に照らされた那須の悲しそうな顔がそうではないと物語っていた。




「私にあの高校に落ちるという選択肢はなかったんですよ」




ゾッと背中に寒気が走る。



選択肢も外堀も埋められて、ただ言われるがままにする。それがどんなに大変で苦しくて、どれほどのものを犠牲にしなければならないのか。




「でも最近、無理して今の学校に入って良かったって思ってます」



那須と視線が合う。


人々を虜にし続けた笑みが今、僕1人に向けられていた。



「押川さんに出会えて良かったです」



その言葉を聞いた瞬間、呼吸が苦しくなり頭が真っ白になった。



自転車のハンドルを持つ手を片方離し胸に当てる。100メートルを全力疾走した後みたいにバクバクと激しく鼓動している。



そうこうしていると那須が「ここです」と綺麗なマンションの前で立ち止まった。オートロック付きで見るからに高そうだ。



「あ、そうだ。うち寄っていきますか?」



フフッと微笑みながら那須が僕の顔を覗き込む。冗談なのか本気なのか分からなかった。




「いや遠慮しとく」



緊張で変にぶっきらぼうにそう言うと



「分かりました。今度機会があれば是非いらっしゃってくださいね」



丁寧にお辞儀をし、鍵をさしてドアの向こうに消える那須を見送ってから僕は自転車に跨った。





少し漕ぐと赤信号に捕まり電柱の傍で片足をついて止まる。



強ばっていた力が抜けハンドルに両手を置いてその上に頭をもたれさせた。



「はぁー...」と息を吐き出す。


額をくっつけた部分に熱が伝わる。




ダメだ。



溢れてきそうになる気持ちに気づいては。



この気持ちに名前を付けてしまったらもうきっと僕は自分を抑えられなくなる。



相談に乗って力になりたいと思う相手に邪な気持ちを抱くなんてあってはならない事なんだから。



それに初めに那須に言ったじゃないか。『恋愛的な目で那須を見ることはない』と。



そんな感情が存在すれば純粋に自分の1番心の奥底にある感情をさらけ出すことなんて出来なくなるから。今の相談ありきで成り立っている関係も崩れてしまうから。




いつまで経っても熱が引かない顔をゆっくり上げるといつの間にか青に変わっていた信号が点滅して赤になった。



代わりに青信号になった車道側で規則正しく並んだ車が走り出す。




もう一度来た道を、那須の家の方向を振り返った。


もう視界の中に那須はいないのに。



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