第4話最厄


7限まで乗り切り、放課後になった。



「きりーつ!気をつけーっ!さようならー!!」



「「「さようなら」」」




クラス委員長の号令に合わせ帰りの挨拶をすると一気にクラスは賑やかになる。


ダッシュで部活に向かう者、例の数学のプリントを手にトボトボ、あるいは文句を垂れつつクラスを出て行く者、談笑する者、机につっ伏す者ーー



十人十色の行動のガヤガヤも僕の耳にはどこか遠くに聞こえる。



通学用の黒の大きめのリュックサックに持ち帰る教科書やプリント、ファイル、筆記用具などを入れて口を閉じる。



その後に机の中と教室後方のロッカーの再チェックをする。



ロッカーといっても蓋のない木製の棚が隙間なく並んでいるだけで大きさも小さく、置きっぱなしにしている物は辞書や大きめの教材くらいだ。


この学校は一部を除いて教科書を持ち帰るよう指示されている。おかげで鞄が毎日重いったらありゃしないが、基本チェックはしていないらしく置き勉している人も少なくないようだった。



しかし僕は家で絶対に使わないと断言出来る重い物はさすがに置いて帰っているがそれ以外は持ち帰るようにしている。


中学のときに教科書が一時的に紛失したことがあり、教科書を自分の監視下の外に置いておかないという事に不安を感じるようになったのだ。どうせ持って帰っても使わない物がほとんどなのだが日頃の運動不足を補うトレーニングと言うことにして諦めている。



僕の家はこの学校から少し離れた所にあり自転車で片道約40分。坂道が多いため息切れしながらいつも漕いでいる。夏の終わりがすぐそこまで来ているもののまだ到着する頃には全身汗だくになるほど。それを考えるとやはりうんざりはするが。



重いリュックサックを背負いうるさい教室を脱出する。




どこのクラスもガヤガヤした音や声が大合唱していて、どのクラスが1番大きいボリュームか競い合っているみたいだ。



ぼんやりしながら2クラス分通り過ぎて階段を降りるとすぐ靴箱に辿り着く。



3学年分集まる靴箱が見えてくると、土や足の独特な匂いがほのかに香る。


遠くからは既に始まった部活のウォーミングアップの声や吹奏楽部の楽器の音がバラバラに聞こえた。



部活か。



途端、懐かしい記憶が蘇ってくる。



中学の頃の、記憶が。



『どうしてーー』



「...ッ!!」



胸を刺すような苦しさを感じキュッと目を瞑って深呼吸を繰り返す。



大丈夫、大丈夫、大丈夫ーー




何回かそう繰り返しているとようやく呼吸が落ち着いた。




再度大きく息を吐き出しもうさっさと帰ろうと足を自分の靴箱の方へと向けると



「ねえ!」



明るい声に呼び止められた。



さっぱりしたショートカットに屈託のない笑顔。




「えーっと......」



誰だろう。



そこにいたのは知らない人だった。



よーし、ちょっと待てよ。



いくら興味が無いとはいえさすがにクラスメイトの顔は覚えた。名前までは一致していない人もいるが。


だが、その中にこの女生徒は絶対いない、はず。



その他の記憶のデータベースを漁ってもどこにも引っかからなーーー




「あ、3組の...甲斐かいさん ?」



案外あっさりとデータベースに引っかかる。



確かこの前委員会帰りにプリントを届けた生徒だ。



その甲斐さんはニッと笑い



「当ったり〜!押川くん今帰り?」



名前を覚えられた事に驚き、「僕名乗ったっけ?」と一瞬思うも、そう言えばプリントを届けに行った時に言ったな、と思い出す。



「うん」



「そっか、そっか!」



甲斐さんは笑顔でウンウン頷き



「この後ってなんか予定とかある?」



「予定...?いや...ないけど」



そう言うと甲斐さんはあざとくパンっと手を打ち自分の顔の近くに合わせた手を持って行って首を傾けた。



「ほんと!実はさ!あたしちょいと呼び出し食らっちゃってすぐ行かなきゃ行けないんだけど、『友達の』荷物預かって来ちゃってて〜。...で、入れ違いになっちゃうと行けないから渡して貰えないっかな〜?もうすぐ来ると思うから!」



「え、いや...それなら僕じゃなくて......」



他の友達とかに渡して貰えばいいのでは?と言葉の続きを言おうとすると



「いっや〜!超ダッシュで行かないと行けないんだよね〜。友達ももう部活行っちゃってすぐ捕まる子誰もいなくて〜。で、たまたま知り合い見つけたからどうかな〜みたいな?」



だったら相当運が悪い所に出くわしたことになるな。どうして僕がそんな面倒事をわざわざ進んで引き受けなきゃならないんだ。



ここは何とか理由を付けて断って...



「はいこれ」



「あ、...はい」



何とか理由を付けて断る間もなくグイッと差し出されたチャックの付いた大きめのトートバッグを咄嗟に受け取る。しまった!!



「じゃ、『那須なすさん』によろしく!」



この鞄の持ち主は那須さんと言うらしい。



...て。



「ちょ、ちょっと待ってって!」



呼び止めようとしたが既に甲斐さんの姿はない。




どうしよう。



面倒事の気配がぷんぷんする。


しかもただでさえほとんど面識のない甲斐さんと関わって疲労したのにこの後更に『那須さん』という知らない女生徒を相手にしなくちゃ行けない試練が出来た。



このまま預かった鞄だけここに置いておくという選択肢もあるが誰かに盗られでもしたら後々厄介だ。



この鞄をどうするかということについての対処法を頭に思い浮かべては却下するということをやり続け、思いつく限りの全ての選択肢を検討した結果、結局ここで『那須さん』を待つという選択肢を選択せざるをえなかった。



まあ、幸い、甲斐さんの言葉を信じるならばすぐ来るということだったし...




しばらくの間何となく上を向いたりキュッと目を閉じたりしたりして時間を潰しているとふいに辺りがざわめいた。



帰りのピークが過ぎ静かになってきた事もあり、視線が吸い寄せられる。



と同時に息を呑んだ。




また『あの美人』が現れたのだ。



この間、甲斐さんにプリントを届けに行った際に見た美人。


あの後学年で前々から噂になっていたというその少女の話を直樹に聞いた。



那須なすいのり』。



テストの度に廊下に張り出される上位順位表には毎回必ず名前があり、4月に行われたスポーツテストでも上々の結果。


中学の頃に書いた作文が賞を取り全国放送にも取り上げられ、その他のことに関しても他者が一歩引けを取るほどの秀才。


噂によると家も豪邸で両親も超優秀の恵まれたお嬢様だとか。



そんだけ優秀な少女があの日クラスで取り囲まれていた理由も分かる。


すでに非公式のファンクラブも構内に存在する程学校内で有名な人気者。



まさに僕とは天と地の存在だ。



そんな完璧超人は靴箱スペースに入り込んでからしきりにキョロキョロと視線を彷徨わせていて



「...あ」



そして小さな鈴の音のような澄んだ声を漏らし...



あれ、なんかこっちに近づいてないか?



グングンと僕の方へと近づいて来る。


那須が歩くと同時にその場に居合わせた人の視線が付いてきた。



「あ、あの」


これが僕へ向けた言葉だと言うことを理解するのに時間がかかった。



「あのっ!」



聞こえていないと思ったのか少女の声が先程より大きくなる。



「は、はい!えと、なんでしょう...」



周囲のざわめきに居心地の悪さを感じつつそう言うと那須は僕の肩にかかるトートバッグを控えめに指さした。



「それ......」



そこまで言って言葉を切り、何かに気づくようにハッとした。


そして今更のように辺りを見回しキッと僕に顔を近づける。



ふわっとミルクみたいな甘い香りがし、頭がふわふわした。


美人だ美人だと思っていた顔が数センチ先にありコンマ1秒で心拍数は最骨頂になる。


言葉を出そうにも喉から息がヒュルヒュル漏れるだけで音にならない。



そんな僕の様子など露知らず那須は顔を近づけたまま



「すみません。外でお話しませんか?ここだと、ちょっとあれなので。問題ないですか?」



言葉が出ずコクコクと大きく首を振ると



「じゃあ、学校の裏門...神社があるの分かります?その境内の裏で待ってます」



それだけ言い残し、那須さんは1歩距離を取り深々と頭を下げ自身の靴箱に向かっていった。



周りの視線が外れてしばらくしてもバクバクと暴れる心臓は収まる気配がない。


無意識にキュッとトートバッグを掴む手に力が入った。




甲斐さんが言っていた『那須さん』。



それが那須祈を指すのだということに今更ながら気がついた。一緒にいたところを前に見たというのに。


それにもっとこのことに早く気がついて入れば、このあからさまに面倒な役割もその辺の誰かに任せ、早急にこの場から離脱していただろうに。



こんな後悔は後の祭り。



ハッと気がつくと先程の光景を見ていたらしい人達の視線が再び僕に向けられていることに気がついた。コソコソと僕の事を話題にされているのが分かる。



クソ、なんでこんな役回り。




『学校の裏門...神社があるの分かります?その境内の裏で待ってます』



僕はさっきの那須の言葉を頭の中で繰り返し早足に自分の靴箱に向かった。


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