雪娼―せつしょう―

白宮安海

第1話 雪と欲

雪が嫌いだ。


僕が男のそれを舐めたのは5歳の時。その男の冷たい瞳、息遣い、髪を撫でる感触は今でも忘れられない。僕は怒られないように何も考えず行為を続けた。


男は一言も喋らずまるで機械の動きみたく腰を揺らすだけだった。外では雪が降っていたのを覚えている。口の中に気味の悪いものが放たれ、僕の心臓は凍りついていた。その後、物置小屋から出て無関心に降り続ける雪を思って僕は心の底で呟いた。


雪が嫌いだ。


新宿の街はこの日、不幸にも雪が降っていた。夜のネオンや車のヘッドライトにちらちらと粉雪が舞っているのが見える。

僕はタクシーから降りて勤務地まで5分とかからない道を傘もささずに歩いた。白を纏ったコンクリートは、欲望にまみれた人々の足によってぐちゃぐちゃに汚されきっていた。


今日のコーディネートはビビアンの細身の黒いコート。それに黒い毛皮のマフラー。黒のブーツ。それからシルバーの指輪と、ハート型のシルバーのネックレス。その服装で髪は白に近い金髪だから僕は目立つ。と言いたいところだが、新宿というこの街、特に歌舞伎町界隈にはこんな格好の連中はわんさかいる。


ポケットに両手を忍ばせ何度も飽きることなく地面に足跡を残す。純白を汚しながら、僕はいい気味だ、と小さく笑った。自分でも性格が悪いなとは承知してる。


そんな僕に酔っぱらいのおっさんが近寄ってきて距離感ゼロの感覚で喋りかけてきた。

「ねえ君可愛いね。いくらで買えるの? 」

男は酔っているのか赤ら顔をしていて、ジャンパーは安売りかなんかの代物だった。


僕は白い息を吐いて視線だけを彼に向けると、指を五本立てた。

「えっ、5!? 」

おっさんの声がひっくり返った。僕はこくこくと頷く。

「5は高いよ5は。せめて2とかに負けてくんない?どこの店?」

僕は立ち止まって言ってやった。

「5なんて安いもんだよ。ペットショップで売ってる猫より安いんだからさ。でも僕は猫よりおじさんを楽しませる自信がある」おっさんの顔の前でにっこりと笑った。

「言うねぇ。強気な子嫌いじゃないよ。なんて名前の店?」

僕は名刺をポケットから取り出すと、彼の上着に忍び込ませてやった。おっさんは名刺を即座に手で掴んで、瞼を絞りながら顔を近づけた。

「ありがとう、指名したら沢山サービスしてくれよ」

「いい子にしてたらねー」

軽く片手をひらつかせ、おっさんの元から去り、そのまま猥雑とした道を歩いていった。


Vestales(ウェスタ)それが僕の働いている店の名前だ。黒で固めた外観に紫のネオンの文字の看板が薄ぼんやりと誘う。


Vestalesはギリシャ神話の処女神ことだが、一体誰がこんな皮肉めいた名前をつけたんだろう。それとも単なるアホの仕業か。


扉を開くと中は真っ暗で、ぽつぽつと乳白色の電灯がかろうじて灯っていて、何の前触れもなくフロントがそこにある。

「おはようございまーす」

僕が言うとフロントの、風馬さんはパンキッシュないかつい見た目とは程遠い高い声色で言ってきた。

「あれ?スズ、今日はサボらずにちゃーんと出勤してきたのね。偉いわねぇ」

風馬さんはほぼ布地の少ないバニーボーイの服を着ていた。逞しい胸筋の両方にばつ印のテープを貼っている。この前なんてセーラー服を着ていた。

「指名は?」

「一本。この前のお客さん。新田さん」

「あー、あの人。あの人嫌いなんだよな。痛いだけで全然愛がこもってないし」

「嫌ならキャンセルしてもいいのよ。NGにしとく?」

「いや、いい。だってその人、下手くそだけど気前はいいしこっちが萎えてても気にしないから楽」僕は階段を登り始めた。

「何か嫌な事があったら遠慮なく言うのよ。ああ、スズの今日の部屋番号は201ね」

「はーい」


重たげに足を運び、目の前にすぐ現れた201の扉を開く。部屋の中は、赤い木馬…どう使用するかは端折らせて貰う。それから、拘束用のエックスのはりつけが壁に設置されている。いわゆるSMホテルのつくりってやつ。


僕はこの部屋を見ても今は驚かない。今はむしろ見慣れた光景になった。部屋のベッドの上に準備されているベストとシャツに着替える。もう分かったと思うがここは会員制の高級SM風俗店。しかもゲイ専用の。僕はここで働いている。つい最近20歳になったばっかりだから、若い男が好きな客にはウケがいい。


風呂場の浴槽に湯を入れてから、フロントに電話をかける。

「準備オーケーっす」

「はーい、それじゃあお客様案内するわね。待機よろしくお願いしまーす」

ベッドの縁に座ってしばらくすると、インターフォンが鳴る。僕は緊張するでもなく玄関に向かい、扉を開けて客を出迎えた。

「あ、新田さーん。この前ぶりですね。また僕に会いに来てくれたんだ」僕はハンバーガー店員顔負けの笑顔を作る。

「スズ君の事が忘れられなくて」

「ありがとう。じゃあ中入って」僕は彼の手を引っ張って導いた。

「お邪魔します!」新田は緊張の裏返しか、声を張った。さりげなく股間を確認してみるとすでに布地を押し上げていた。僕は、単純な理由で僕の存在を求めてくれる新田の事が嫌いだし好きだった。

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